即時の転換 3
ティトーヴァは、かつては父の部屋であった皇帝の私室にいる。
本来、臣下との顔合わせは謁見室で行うものだ。
しかし、ゼノクル・リュドサイオたっての申し入れにより、私室に通した。
話が「カサンドラ」のことだと言われたため、ティトーヴァも、秘匿すべき内容だと察したのだ。
私室の中でも、さらに厳重に外部からの接触を封じている部屋が2つある。
ひとつは寝室、もうひとつは特別室だ。
その特別室にいるのは4人。
ティトーヴァ、ゼノクル・リュドサイオ、ロキティス・アトゥリノ、それから、皇帝の親衛隊長であるセウテル・リュドサイオ。
ソファではなく、テーブルを挟んでイスに座っていた。
当然だが、セウテルは立っている。
皇太子だった頃はベンジャミンがしていたことを、セウテルがやっているのだ。
ティトーヴァは即位後、セウテルを更迭し、ベンジャミンを、その地位につけるつもりでいた。
けれど、その望みは、最早、叶わない。
ベンジャミンは話すどころか、指1本、動かせないのだから。
あの痛ましい姿を思い出すたび、悲しみと、激しい怒りがこみあげてくる。
ティトーヴァは、ロキティスの言葉を、半ば信じていた。
すべてではないにしても、心が、信じるほうへと傾いている。
そのため、様々な怒りを「フィッツ」という従僕に向けていた。
カサンドラを攫い、ベンジャミンを攻撃した犯人だと決めつけている。
「ゼノクル・リュドサイオ、話というのを聞かせてもらおう」
向かいに座っているゼノクルが、深刻な表情をして、軽く頭を下げる。
ゼノクルの隣では、ロキティスも悩み深げな顔をしていた。
ゼノクルの様子を窺っているところから、ロキティスも話の内容を知らずにいるようだ。
「カサンドラ王女様が見つかりました」
「なんだとっ?!」
「どういうことだ……っ……」
ティトーヴァも声を上げたが、ロキティスも同様に驚いている。
座っているのはゼノクルだけで、2人はイスから腰を浮かせていた。
「見つかった、というのは言い過ぎでした。帝国内で、見かけた者がいる、という話なのです、陛下」
すとんと、ティトーヴァはイスに腰を落とす。
ロキティスも遅れて、イスに座り直していた。
だが、もうティトーヴァにはゼノクルの話にしか興味がない。
今まで、どれほど探してもカサンドラは見つからなかったのだ。
皇帝となってから、監視室はもとより、相当数の人員を配して、休みなく彼女を探させている。
少しでも似た風貌の者がいれば、わざわざ自分で確認しに行っていたほどだ。
それでも、カサンドラは見つからなかった。
だからこそ、ロキティスの「壁を越えた」という話にも信憑性が増したのだ。
「それは、どこだ?」
「リュドサイオの北西の端です。国境の警護をしている者が、夜の巡回中に、2人連れを見たとのことでした。それだけなら、私も、陛下に、ご報告しようとは思わなかったでしょう」
「前置きはいい。なぜカサンドラだと言えるのかを話せ」
ティトーヴァは、じりじりしている。
早く結果が知りたくてたまらない。
あの従僕が有能なのは認めている。
わずかな隙でもあれば、逃げられてしまう。
カサンドラだという可能性が少しでもあるのなら、すぐにでも動かなければ間に合わない。
またカサンドラを奪われる。
「2人……男女の2人連れが、不意に現れたように見えたと聞いております」
「不意に……それは……」
「壁の向こうから現れたので、そう見えたのではないかと、推測しました」
帝国中を探しても、カサンドラはいなかった。
痕跡すらも残されていなかった。
ロキティスの言った「壁越え」が正しかったとするならば、帰る際にも「壁」を越えてくるはずだ。
中からは、壁の向こうの景色は見えない。
不意に現れたのは、見えない場所から、壁を越えて見えるようになったからだ。
ゼノクルも、そう考えた。
そのため、カサンドラが帰ったのかもしれない、と推測したのだろう。
「リュドサイオの北西……」
「そ、それは、我が国の属国……ジュポナではないだろうね……っ……?」
ロキティスが顔色を蒼褪めさせ、体を震わせていた。
たとえ懇意な間柄であっても、自らの足元で起きたことを、他国の王子から申告されたのでは、立場がなくなる。
とはいえ、この際、ロキティスの立場など、どうでもよかった。
ティトーヴァにとっては「誰が」見つけようと、関係ない。
カサンドラが見つかりさえすれば、それでいいのだ。
「ロキティス、控えろ」
「も、申し訳ありません、陛下……」
ゼノクルが気づかわしげな視線をロキティスに向けつつ、口を開く。
ロキティスに連絡をしてから、ティトーヴァに報告をあげるのが筋ではあったのだろうが、時間がなかった。
ここで捕らえ損ねれば、次がいつになるか、わからない。
忠のリュドサイオ。
ゼノクルは、リュドサイオ人らしく、友人よりも皇帝を優先させたのだ。
ロキティスの「壁越え」は、まだ完成に至っていない。
ならば、この機を逃すわけにはいかなかった。
カサンドラたちが「壁」を越えられるのは、ほとんど確定的となったからだ。
「壁を越えられてしまえば、俺は奴を追うことができん。なんとしても、帝国内にいる間に片をつけてしまわなければ、次は、もっと警戒される」
「2人は、ジュポナに潜伏しているようです。匿っている者がいるのは間違いありません。おそらく、ラーザの民の生き残りでしょう」
「へ、陛下、これは……これは、やはり、僕の申し上げた通り、ラーザの者たちが叛逆を企てているからではないでしょうか。そのために、カサンドラ王女様は利用されているに違いありません」
ティトーヴァは、目を細め、ロキティスを小さくにらむ。
ラーザ再興のため、カサンドラが旗印として拉致されたと言ったのはロキティス自身なのだ。
にもかかわらず、自らの属国が侵食されていることにも気づいていなかった。
「お前の管理不行き届きではないのか、ロキティス。ジュポナが、ラーザの拠点になっていると気づいていれば、もっと早く、カサンドラの行方がわかっていたかもしれないのだぞ!」
「も、申し訳ございません! た、直ちに、アトゥリノの兵を……」
「お待ちください、陛下」
ゼノクルが、ロキティスを気にした様子で視線を投げる。
が、すぐにティトーヴァに視線を戻した。
「ジュポナ全域が、ラーザに侵食されているのなら、アトゥリノの兵を動かせば、気取られます。それに、ジュポナに最も近いアトゥリノの属国デルカムの国境は、2人の現れた場所とは反対方向。リュドサイオの国境のほうが遥かに近いのです」
「お前の言う通りだな。もとより、国境警備の者が目撃しているのだ。そちら方面から近づくのが最短となるだろう」
「いつでも陛下のお言葉に従えるよう、兵を招集し、待機させております」
ゼノクルにうなずいてみせてから、少し考える。
ジュポナは、小さな国だ。
数にものを言わせて、制圧するのは簡単だった。
とはいえ、それではカサンドラを人質に取られる可能性もある。
大勢の兵とラーザの民とが戦う混乱の中、逃げられることも有り得た。
なにより、カサンドラが怪我をするかもしれない。
(なぜジュポナだったのだ……? 奴が、ジュポナを選んだ理由があるはずだ)
あの従僕は、ほとんどの時間をカサンドラと過ごしていた。
皇宮を歩き回ってはいたようだが、皇宮内は限られた者しか入ることはできない。
いくらラーザに監視室を欺く技術があっても、騎士の目まで欺くのは困難だ。
カサンドラの従僕であれば見つかった際に誤魔化しはきいただろうが、ほかの者では、そうはいかない。
即位してから、皇宮の人員の見直しも行っている。
怪しい者は、殺さないまでも、皇宮からは追い出していた。
目視での警備を強化してもいる。
(ひそかに連絡を取り合っていたとも考えられるが……)
なにか確実性に欠ける気がした。
カサンドラを連れて、安全性が不確実な場所に行くだろうかと思ったのだ。
もっと確固とした理由があるような気がした。
「……戦車試合……あの試合で、奴はジュポナの女を助けた……」
「バレスタンの娘のことでしょうか?」
ロキティスの問いに、うなずく。
カサンドラが声をかけたので助けたのだとばかり思っていたが、それだけが理由ではなかったのかもしれない。
無意味な上に、危険な行為であったのは確かなのだ。
「そこだ。そこにカサンドラはいる。奴を匿うラーザの民はバレスタン伯爵家だ」
あの戦車試合の日に、カサンドラは姿を消した。
婚約解消の届出書も、奴に書かされたのかもしれない。
彼女は、あの従僕を信頼していたので、脅す必要はなかっただろう。
それが「姫様のためだ」とでも言えばすむ。
「ゼノクル、部隊を分け、目立たないよう、ジュポナに潜入させろ。街の者も信用できん。けして、人目につくな」
「は! 密偵に長けた者たちで隊を作り、バレスタンを見張らせておきましょう。カサンドラ王女様を、無事お救いできるよう最善を尽くします、陛下」
「頼んだぞ。俺も、すぐに向かう」
ゼノクルに言ってから、ティトーヴァは、ロキティスに視線を向けた。
冷たい口調で、命令を下す。
「ロキティス、お前は帝都に残り、技術開発を進めよ。いつも通りにな」
アトゥリノの兵は動かせないし、失態をした者に指揮をとらせるつもりもない。
ロキティスにも、ティトーヴァの「叱責」が伝わったのか、蒼褪めた顔でうつむいている。
そんなロキティスを一瞥してから、パッと立ち上がり、特別室を出た。
後ろにセウテルがついてくる。
「ゼノクルと近衛隊の指揮権を共有しておけ。お前の兄には動かせる兵が少ない」
「かしこまりました。感謝いたします、陛下」
セウテルが兄ゼノクルを、どう思っているのかは知らない。
だが、口調からは、本心が感じ取れた。