目まぐるしさに身を任せ 4
ガタガタっという物音に、ザイードが身構えるのがわかった。
が、しかし。
少し遠くから、転がるようにして駆けて来る姿。
帝国を逃げる際、何度も見た光景だ。
懐かしいアイシャの姿を遮るように、2人の男性が前を走っている。
(たった4ヶ月ほどで戻ってきちゃったな……なにから説明すればいいのか……)
人の国を出てから、まだ4ヶ月しか経っていないのが信じられない。
フィッツと「ティニカの隠れ家」で過ごした5ヶ月という日々は、あっという間に過ぎて行ったのに。
「ご、ご、ごあい、ご挨拶は、のち、のちほど! お、お早く!」
「よ、よう、ようこそ、おい、おいで……っ……?!」
「挨拶は、あとになさってください、お父様っ! 中へ、早く、中へ!」
「あ、うん……ありがとう、アイシャ」
アイシャは、祖父と父に育てられたと言っていたのを思い出す。
老齢の男性が祖父で、隣にいるのが父親だろう。
3人とも、言葉を発しつつも、涙を流していた。
何度、見ても見慣れない。
隣にいるザイードを窺うと、明らかに戸惑っている。
しぱしぱと瞬きをし、3人を、しげしげと見つめていた。
「さあ、どうぞ、こちらに!」
1番しっかりしているのは、アイシャだ。
面識があるので、まだしも「免疫」ができているに違いない。
アイシャが案内している間、男性2人は後ろをついてくる。
それが気になるのか、ザイードは、繰り返し振り向いていた。
こうした大仰な扱いに慣れられるものではないけれど、胸の奥が暖かくなる。
やはり、人の絶滅を願うことはできなさそうだ。
屋敷へと招かれ、室内に通してもらう。
この部屋は、きっと「特別製」に違いない。
ラーザの技術が使われていると、予想がついた。
外では話せないことでも、ここでは気兼ねなく話せる。
バレスタンと名乗りながらも、ここは守護騎士の家門「エガルベ」なのだ。
向かい合わせに置かれたソファの奥側に座る。
戸惑った様子を見せながらも、隣にザイードが座った。
瞬間。
がばぁっと、3人が平伏する。
やっぱりこうなるのか、と思った。
馴染めるはずもない光景に、ザイードは、そわそわしている。
尾を隠していなければ、左右にぶんぶんと振れていたのではないだろうか。
「初めて、お目にかかります。我が心の主、崇高なるヴェスキルの継承者、カサンドラ王女様! 私は、アイシャの祖父、ルジェロ・エガルベにございっ……」
「我が家門をお訪ねくださるとは、なんたる光栄! アイシャの父、エガルベの現当主、トルフィノ・エガっ……」
「カサンドラ王女様! 崇高なる御身と、再び、お会いできるとは……っ……このアイシャ・エガルベ、人生のすべてをかけて、お役に立てるよう……!」
「うん、わかった。みんな、落ち着いて」
三者三様に、号泣していた。
はらはら、だーだー、ぼたぼたと涙を流している。
いきなり来たことを謝るべきだと思いはするが、やめておいた。
アイシャも含め、ラーザの民に謝罪は無用なのだ。
すれば、相手をよけいに恐縮させてしまうと、わかっている。
(おいたわしいって、もっと泣かれちゃいそうだもんなぁ……)
巻き込みたくなくて、アイシャには2度と会わないつもりでいた。
なのに、結局、頼ってしまっている。
また巻き込むことになったのを、本当には、謝りたかったのだけれども。
「あの、さ……話しにくいから、みんなも、ソファに座ってくれるかな」
「は!」
「かしこまりました!」
「承知いたしました!」
短い返事で答えたのは、アイシャだった。
前に、フィッツから「話は完結に」と言われたからかもしれない。
ひとつひとつの光景が鮮明に思い出され、胸が苦しくなる。
それを抑えるために、大きく息をついた。
「アイシャ、心配かけたよね」
「……ティニカの隠れ家ならば安全だと、警護を離れた私の責任でごさいます」
「あれは、どうしようもなかったよ。あんな強硬なことするとは、こっちだって、思ってなかったからね」
「今は、そちらのかたが警護をされておられるのですか?」
「警護っていうのとは違うけど、私を助けてくれた……助けてくれたかただよ」
ソファに座った3人が、ザイードに向かって、深々と頭を下げる。
人の言葉を解さないザイードには、なにが起きているのかわからないだろう。
「私を助けてくれてありがとうって、言っています」
こくりと、ザイードがうなずいた。
だが、落ち着かなげに、周りを見回している。
そこに急にドアが開いたので、バッと立ち上がった。
キャスを守るように、背中に庇っている。
「大丈夫、お茶を運んで来てくれたみたいです。座ってください」
ザイードは、それでも警戒しつつ、ソファに腰をおろした。
どうやらメイドもラーザの民らしい。
アイシャと変わらない年齢に見える女性は、大きな目に涙を浮かべ、テーブルにお茶を置いて出て行った。
「ラーザにお戻りになられなかったのは、正解にございました」
やっと落ち着いたらしき、アイシャの祖父ルジェロが、重々しい口調で言う。
予想はしていたが、実際に肯定されると、苦々しく感じた。
「あいつ……まだ私を探してるんだね」
「さようにございます。ティトーヴァ・ヴァルキアは即位したあと、いっそう力を振るい、ラーザ中を掘り返し、御身の手がかりを探しております」
「皇帝になったわけだ。まぁ、そうだと思ってたけどさ」
現当主というアイシャの父トルフィノの言葉にも驚かない。
ティトーヴァが即位することは「カサンドラ」から聞いていた話と合致する。
辿った道は違っても、踏襲される流れはあるのだろう。
もっとも「カサンドラ」が皇后になるという点が踏襲されることはない。
ティトーヴァと「会談」することはあっても、婚姻する気はないからだ。
「それはそうと、ロキティス・アトゥリノは、どうしてる?」
「アトゥリノの国王となりました」
「えっ? 28歳で王太子にもなってないって言ってたのに……」
アイシャが表情を曇らせた。
ほかの2人も、不快そうに顔をしかめている。
説明を引き継いだのは、トルフィノだ。
「どういうわけか、ロキティスは御身が壁を越えられたと皇帝に主張したのです。それを皇帝は受け入れて、奴を全面的に支援しております。皇帝が後ろ盾となったロキティス・アトゥリノの即位を阻む者はおらず……」
自分が考えたことを、トルフィノが裏付けてくれた。
普通は「壁を越えた」なんてふうには思わないのだ。
だから、トルフィノは「どういうわけか」と前置いている。
たとえ痕跡がなくとも、壁を越えて逃げたと考えるほうがおかしい。
「実際……まぁ、壁を越えたんだけどね」
「え……っ……?!」
声をあげたのは、アイシャだけだった。
ルジェロとトルフィノは、驚き過ぎたのか、口をぱかりと開いている。
驚いているところを申し訳ないが、さらに驚くことを言うつもりだ。
どうせ話すことになるのなら、早いほうがいい。
「実は、このザイードは、魔物の国でガリダ族と呼ばれる種族の長なんだよ」
今度は、アイシャも言葉を失っている。
3人とも、目を見開いて、ザイードを見ていた。
一斉に視線をあびせられ、ザイードが、いよいよ、そわそわし始める。
その手を、軽く、ぽんぽんと叩いた。
「びっくりしてるだけだから、大丈夫。3人は、私たちを襲ったりしないよ」
ハッとしたように、3人が深く頭を下げる。
とくにルジェロは、顔を蒼褪めさせるほどに罪悪感をいだいているようだ。
「人間が、あなたがたにしたことを考えれば……王女様を助けてくださって本当に感謝しております! そして……申し訳ございません!」
そうか、と思った。
ラーザの歴史は、とても長い。
2百年前にできたヴァルキアスなどとは違い、千年の歴史がある。
しかも、ヴァルキアス建国のために、ラーザの技術が使われた。
その矛先は、魔物の国に向けられたのだ。
もちろんルジェロだって、当時の人間ではない。
それでもラーザの民として、責任を感じている。
故郷を瓦解させてでも技術を隠そうとしたのは、そうした想いもあるからだ。
「彼らは、ザイードに謝っています。理由は色々とあるんですが、今は話している時間がありません。帰ったら、ちゃんと説明しますね」
ザイードがうなずくのを見て、視線を3人に戻す。
今は、状況や過去の話をしている時間はない。
なるべく早く情報を集め、魔物の国に帰らなければならないのだ。
アトゥリノの王になったというロキティスは、前より危険な存在となっている。
皇帝となったティトーヴァの後ろ盾があるのだから、なおさら始末に悪い。
「3人とも顔を上げてくれる?」
声をかけ、3人が顔を上げるのを待って、自分の頼みを口にした。
自分にできることは限られているが、どうしても言っておきたかったのだ。
「私は、今、魔物の国で暮らしてて、近々、人と対峙することになる。その時……ラーザの民には、絶対に、その戦に関わらないように伝えてほしい」
「なぜ、そのような……っ……」
「そうですとも。我らも、御身と共に戦いたく存じます!」
「帝国に与することなどありえません。私たちは御身とともにあるのですから!」
ルジェロ、トルフィノ、アイシャが、それぞれに言う。
だが、彼女は首を横に振った。
「協力をお願いするのに、身勝手な言い草だっていうのは、わかってる。でもね、私は、みんなの命を背負えるほど強くないんだよ。大勢に命を懸けさせるのは怖いことだから……今でも、十分、危険に晒してるって、わかってるんだけどさ」
ヴェスキルを「神」のごとく崇拝しているラーザの民に「情報だけ寄越し、後はなにもするな」と言うのは、ある意味、残酷な仕打ちとなる。
だとしても、人1人の命だって背負えやしないのだと、彼女は知っていた。