心理の亀裂 4
「なぜ、お前が、ここにおるのだ」
ザイードが渋い顔をしている。
3ヶ月以上をここで過ごしているからか、ガリダの姿でも、細かい表情の変化がわかるようになってきた。
ザイードは、あまり表情を変えないのだが、感じ取れるものはある。
とくに「嫌なこと」は、瞳孔に出るのだ。
「だって、今日はアヴィオの奴と、ナニャが来るだろ?」
「それが、お前の来る理由にはならぬ」
「いいや、なるね。キャスが力を使えば、ファニが寄って来るからな。ミネリネも来るはずだ。4種族の長が集まるってのに、オレだけ除け者にされるなんて、嫌なこった。だから、来たんだよ」
深く大きくザイードが溜め息をつく。
つーんと、そっぽを向いているダイスは譲りそうにもない。
大きな狼のような姿でも、こういう時のダイスは、非常に子供じみている。
とてもザイードより年上とは思えなかった。
(ダイスが160で、ザイードが146……人の年齢で言うと3歳差くらいか)
とはいえ、学校などで考えれば、高校1年生と3年生くらいの差はあるのだ。
そう考えれば、もうちょっと大人びていてもいい気はする。
「なぁ、キャス~、いいだろ? な? オレも混ぜてくれよ」
「私は、別にいいですけど……」
ちらっと、ザイードに視線を投げた。
キャスとしては「犬っぽい」ダイスを突き放しきれないのだ。
予想外に蹴飛ばされた犬みたいな顔をするに決まっている。
元の世界で、ペットを飼っていたこともないし、飼いたいと思ったこともない。
だが、人に対してより無関心ではいられなかったような気もした。
迷い猫の張り紙を見て、足を止める程度だったけれど、完全な無関心とは違う。
動物虐待に対しての抵抗感も持っていた。
「キャスが嫌がってねぇんだから、いいだろ?」
「しかたあるまい……大人しくしておれよ?」
「わかってるって」
はなはだ疑わしい。
が、言わずにおく。
そろそろ、2種族の長が来る頃だ。
ここで揉めている場合ではなかった。
家で、キャスの力を試すことはできないため、昨日と同じく湿地帯に来ていた。
ダイスの言うように、力を使えば、ファニたちが集まってくるからだ。
家の中は、それなりに広いが、あれだけの数のファニを収容することはできない。
ぎゅうぎゅう詰めになるどころか、外まであふれかえるだろう。
「お! 来たぞ」
ダイスの言葉に、キャスは、その視線の先を追う。
背が高く、がっちりとした体格、頭には2本の黒い角が見えた。
コルコのアヴィオが、先に着いたようだ。
死人から生じたと聞いていたため、かなり緊張する。
(……なんか、わかる……まんま鬼って感じだ……)
帝国に、明確な「宗教」はなかった。
皇帝が神格化されているような雰囲気ではあったが、神そのものではない。
むしろ、ラーザのヴェスキル王族に対する言動のほうが「宗教」じみていた。
ラーザの民にとって、ヴェスキルの女王は、彼女の元いた世界における「神」に最も近かったかもしれない。
(魔物にも宗教の概念はないみたいだから、地獄とか言ってもわからないよね)
聖魔という存在はいても、聖者は天使ではないし、魔人は悪魔でもない。
なので、天国だの地獄だのと言っても理解はされないだろう。
そもそも、そうした概念がないのだから。
(日本だったら、死人から生じた魔物が、鬼の姿だって言えば納得なんだけどさ)
この世界では違うとわかっているので、自分の心に留めておくことにした。
ひとまず、自分が「コルコ」の雰囲気を感じとれたのを肯とする。
近づいて来たコルコの長アヴィオを、じっと見つめた。
真っ赤な髪に、銀の瞳と赤い瞳孔をしている。
(イメージより短いけど赤い髪っていうのも、鬼っぽくはあるよね)
思っていた時だ。
ダイスが、パッと振り向く。
つられて見たほうから、ほっそりとした女性が歩いて来た。
イホラの長ナニャだろう。
聞いてはいたが、独特の美麗さがあった。
手首から先は木の枝のようで、足首から先は木の根のように見える。
けれど、それ以外、全身の肌は白くて艶やかだ。
体に沿う緑色の服が、きゅっと引き締まった腰に、豊満な胸を強調していた。
ファニのミネリネは神秘的な感じがしたが、ナニャには現実的な美しさがある。
「皆、揃うたな。キャス、手早うすませるといたそう」
「あ、はい。そうですね」
ザイードに声をかけられ、目的を思い出した。
それぞれの長も忙しいのだ。
出向かせたことで、すでに時間を取らせている。
「呼び出した理由も話さないつもりか?」
「話すより、分かり易いのでな。かまわぬ、キャス、やってみよ」
アヴィオが不満そうだったので気にはなったが、ザイードに従うことにした。
話すより早い、というのは確かだからだ。
人と対峙した際に、言いそうな言葉を選ぶ。
『近づかないで!』
「くひゃっ! やっぱりくすぐってぇな!」
「そうだの」
「これは、赤色に近いわねぇ。でも、赤ではないわ」
「ぅうわ! やっばり来たのかよ!」
ミネリネだけではなく、ざわざわと、多くのファニが集まっていた。
キャスが力を使うのを「期待」して待っていたのかもしれない。
だが、それよりも、肝心なのは、アヴィオとナニャの反応だ。
「なんだ、これは」
アヴィオは、顔をしかめている。
あまりいい反応ではないと感じた。
対して、ナニャは、体をパタパタと手ではらっている。
どちらか言えば、ザイードやダイスと似た反応だ。
虫でもついたかとでも言いたげな仕草だった。
「湿地帯に虫が多いのは、しかたがない」
「虫だと? おおかた、お前がふざけた真似をしたのだろう、ダイス!」
「は? なんで、オレが……」
「お前でなければ、誰がいるっ? ここで、毛を飛ばせるのは、お前だけだ!」
「それって、どんな感じだよ……」
「ざわざわ、ぞわぞわ……とにかく、気色が悪い!」
ミネリネとファニたちが、不満そうに顔を見合わせている。
ファニたちにとっては心地いいものらしいので、気色が悪いと言われたのが心外だったのだろう。
「今のは、キャスの力だ。虫でも、ダイスの毛でもない」
ナニャの表情は変わらなかったが、アヴィオは驚いたという顔をする。
いきなり攻撃をしかけたも同然なので、恐る恐る聞いてみた。
「痛いとか苦しいとか、体に不調はありませんか?」
「不調はない。小虫にまとわりつかれた感じがしただけだ」
「だよなあ! オレなんか、くすぐったくて、くすぐったくて!」
「くすぐったくもない。少し気になるといった程度だ」
虚勢を張っている様子もなく、ナニャが言う。
イホラには、大きな影響はないらしい。
「これが、こいつの力?」
ハッと、アヴィオが馬鹿にしたように笑った。
魔物には人ほどの影響がないので、戦力にはならないと思われたのだとわかる。
けれど、キャスは内心では安堵していた。
最も影響が出るのではと危惧していたコルコも「気色が悪い」程度だったのだ。
ファニが集まって来てしまうのは問題だが、魔物を「壊す」恐れはなくなった。
少なくとも、使いどころを間違わなければ、人への対抗手段には成り得る。
「こいつじゃねえ、キャスだ。口のききかたに気をつけろよ、アヴィオ」
「こんなちっぽけな力をアテにするとはな。よく人と戦う気になったものだ」
「今からでも加勢を見送ればいい」
「今さら、そんな真似ができるか! もう俺だけの話ではなくなってるんだぞ!」
「だったら、黙って加勢なさいな。騒がしくするのはみっともなくてよ」
どうにも空気が良くない。
3種族の長が同調して、アヴィオを責める形になっている。
間に入ったほうがいいだろうか、と思った。
そのキャスを、急にアヴィオがにらみつけてくる。
赤い瞳孔が限りなく細くなっていた。
「聞くところによると、人の国の王は、お前に執着しているらしいな。だったら、お前が、その王の元に帰ればいいだけだろう。そのうえ、この程度の力で人と戦うだと? 笑わせるな。お前など足手まと……っ……」
バーンッ!!
大きな音とともに、アヴィオが吹き飛ばされていた。
いや、吹っ飛ばされたのだ。
ザイードに。
アヴィオは湿地帯の地面に倒れ、体半分、沈んでいる。
それほど衝撃が強かったのだろう。
「コルコに加勢は求めぬ。どこへなりと隠れておれ。もとより強制はしておらぬ。己で種族をおさめられぬとは長の器に非ず。身の処しかたは、己で決めるがよい」
その場が、しん…と静まり返っていた。
集まって来ていたファニたちも、ざわざわするのをやめている。
ザイードの声は静かだったが、怒りに満ちているのがわかった。
なんとなく、いたたまれない気持ちになる。
「私も、自分が戻ればすむのかなって思わなかったわけじゃなくて……でも……」
「もうよい、キャス」
「そうそう、これは、オレたちの戦いでもあるんだぜ? 永遠に人が来ねぇって、約束されてるわけじゃねぇもんな」
ザイードが、キャスの手を握ってきた。
手を繋ぐのは、初めてかもしれない。
爬虫類っぽい見た目に反して、ザイードの手は暖かかった。
「考えを改めぬ限り、ガリダに足を踏み入れることは許さぬぞ、アヴィオ」
言って、キャスの手を引き、歩き出す。
どうすればいいのかわからず、キャスはザイードについて歩くしかなかった。