行きつ戻りつ 4
考えなければならないことは山積み。
けれど、なんだか頭の中が、ごちゃごちゃだ。
(足手まとい、か……なんでこうなっちゃうんだろ……)
薄金色の、ひし形をした立方体。
それは、琥珀という名の化石に似ている。
けれど、彼女にとっては、化石になんて成り得ない。
今、生きている意味そのものだった。
(どうしたらいいのかな……わからないんだよ、私には……)
ザイードの言うことは、理解している。
だからといって、危険があるとわかっていながら同行させるのが正しいことか。
それが、わからない。
(でもさ……確かに、私1人で、なにができるんだって言われたら……)
それも、わからなくなる。
とりあえず行ってみる、では駄目なのだ。
皇宮から「とりあえず」で逃げた時だって、考えてくれていたのは常にフィッツだった。
いつも、平気だと言い、大丈夫だと言ってくれて。
その結果が、どうであったのかは、日々、思い出している。
フィッツのいない生活だ。
だから「とりあえず」で「なんとかなる」なんて甘い考えではいけないと思う。
足手まといになるのは嫌だから。
そうは思うのだが、足手まといにならない自信もなかった。
自分にある力は、特定の圏内に限られていて、しかも、見破られ易い。
意識を失ったり、激痛が伴う怪我をしたりしても、力の発揮が難しくなる。
言うまでもなく、殺されてしまえば、無力になるのだ。
人間に対しての威力は絶大だが、ある意味では、1度しか通用しないと言える。
(調整すれば、ぶっ倒れさせるだけ、とかできるのかもしれないけど)
たとえば、街を巡回中の騎士に見つかった時などに、相手を昏倒させて、逃げることは可能な気がした。
長短で言葉を使い分ければ、調整できそうだからだ。
だが、それだと、相手に自分の力が悟られてしまう。
次に遭遇した際には、対策されているに違いない。
(使う時は……壊すって決めて使う……)
たとえ1度きりでも、いや、1度きりだからこそ、最も効果の大きい状況で使う必要がある。
そして、帝国を「ぶっ潰す」くらいの気持ちで、だ。
「あのさぁ、フィッツ……」
返事はない。
自然と、涙がこぼれた。
薄金色のひし形に、その姿がおぼろげに映っている。
「フィッツでも3年かかるのに……それより早くなんて……無理だよ……」
帝国を「ぶっ潰す」つもりはないが、戦いは避けられそうにない。
ロキティスは、こうなる前から準備をしていたのだ。
あとは、口実ができればよかった。
おそらく、壁越えの技術も、間もなく完成する。
想定していたよりも、残されている時間は短い。
両腕で涙を拭いた。
ひとつずつだ。
焦っても、できることはできるし、できないことはできない。
やれる限りの準備をするしかないのだと、キャスは立ち上がる。
家から出ると、外にノノマが立っていた。
キャスを見て、尾を下げている。
魔物は、共感の力が強いのだ。
彼女の「嘆き」にふれて、声をかけられずにいたのだろう。
「ごめん、ノノマ。それと、ありがとね」
「いえ、あの……大丈夫にござりまするか?」
「今は大丈夫。ていうか、ザイードが、どこにいるか知ってる?」
本当なら、さっき話しておくべきだったのだが、感情があふれてしまい、余裕を失ってしまった。
それを察したのか、ザイードは、家から出ている。
気を遣い、1人にしてくれたのだと、わかっていた。
「老体のところに向かわれたようにござりまする」
「私が行っちゃいけない感じ?」
「そのような場所は、ガリダにはござりませぬ。もし行かれるのであれば、案内をいたしまするが」
「じゃあ、お願いするよ。あ、でも、ご老体たちって、私の姿、平気かな?」
老体の中には、人に虐げられていたものもいると聞く。
魔力があるというだけで、キャスの見た目は完全に「人間」だ。
思い出してつらくなる、との気持ちを、彼女は、ついさっき経験していた。
だが、ノノマは軽く首を横に振る。
「私も変化をしておりまするし、気にされることはござりませぬ。我らは、魔力の揺らぎを見て、魔物だと判断しておりまするゆえ」
「そう言えば、色や揺らぎ、それに、匂いでわかるって言ってたね」
「キャス様の魔力は、不思議な揺らぎをしておられまする。ですが、あのものは、揺らぎがなく、おかしな感じにござりました」
「シャノンのこと?」
こくんと、首を前に倒すようにして、ノノマがうなずいた。
キャスに対しては好意的なノノマだが、シャノンには警戒心を解いていない。
その原因は、魔力の揺らぎにあるようだ。
「でも、空気感はあったよね? ダイスも最初に気づいてたし」
「ルーポに似た空気はござりましたが、揺らぎはござりませんでした。体に纏えぬほど魔力の量が小さいということにござりまする」
「そっか。魔力が小さ過ぎると見えないんだね」
「我らは、この姿をとるために、変化を使いまする。されど、あのものは、元々、耳や尾が隠せぬのでござりまする」
ノノマは、今、変化を使い、人型になっているが、尾が残っている。
それは、ノノマの元の姿が、ザイードと似た爬虫類っぽいものだからだ。
が、シャノンは、そもそも耳や尾を隠せないらしい。
だから、限りなく人に近しい姿にもかかわらず耳や尾がある、といった、どちらつかずの姿になってしまうのだろう。
人には「耳や尾がある魔物」だとされる。
魔物には「耳や尾がある人間」と言われる。
「ダイス様も、驚かれておいでにござりました。変化をしておらぬのに、ルーポの姿にはなれぬとは」
「中間種だからなぁ。たぶん、シャノンは、人の血のほうが濃いってことだね」
「私も、さように感じておりまする」
つまり、ノノマからすると、キャスは人の姿をしていても、魔力が魔物のそれと同じくらい大きいので、魔物に近しいと判断している。
が、シャノンは、魔物よりも人に近しい生き物だと判断し、警戒している。
どうやら、そういうことのようだ。
(やっぱり魔物にとって、人間って敵なんだ……そりゃ、そっか……)
ノノマ自身が実害をこうむったのではなくても、ガリダ全体から見れば、大きな被害をこうむった。
そうした話が代々語り継がれてくれば、悪感情しかいだけなくてもしかたない。
キャスだって、人間がいいものかどうか、明確には答えられなくなっている。
悪い者ばかりではない。
けれど、良い者ばかりでもないのだ。
不意に、フィッツの顔が思い浮かぶ。
にっこりした時のものではなく、馴染み深い無表情。
「ごめんね、ノノマ」
「……なにがでござりまするか?」
キャスはうつむいて、足元を見ながら歩いていた。
隣で、ノノマが、どんな表情をしているのかは、わからない。
「ノノマは、人が嫌いだよね。私もさ、人間なんか絶滅すればいいのにって思ったこともあったんだ。でもさ……すごく好きだった人がいて……私に味方してくれる人たちもいて……だから、やっぱり……絶滅は駄目だなって……思っちゃうんだ」
自分は魔物の側につくと決めている。
それでも、人間というものを完全には否定できなかった。
フィッツも、そして、ラーザの民たちも人間だからだ。
魔物にとっては、人間なんて絶滅したほうがいい種なのだろうけれども。
「それは謝らねばならぬことではござりませぬ。キャス様がお好きなかたや味方をするかたというのは、キャス様の、ご同胞にござりますれば」
「人間だけど?」
「それは信用貸しにござりまする」
「信用貸し?」
「キャス様は魔物のために戦うてくださりまする。そのキャス様の、ご同胞なれば魔物のために戦うてくださるのではござりませぬか?」
少し考えてから、顔を上げる。
ノノマは、いつものノノマだった。
大きな茶色い目の中で、瞳孔を拡縮させている。
キャスを心配しているのだ。
「そっか。信用貸しか。じゃ、私は、もっとしっかりしないとだなぁ」
少し気持ちが楽になった。
フィッツがいれば、当然に、自分の味方をしてくれる。
もちろん、ラーザの民だって、味方をしてくれるに違いない。
それを「同胞」と呼ぶのなら、彼らは同胞だ。
(味方をしないなら敵っていうのも、微妙だけどさ……でも、完全に敵って言える奴はいる……ロキティス・アトゥリノ……)
今にして思えば、ディオンヌを坑道に行かせたのがロキティスだと確信できる。
少なくとも、ロキティスがなにをしようとしていて、どこまで進捗しているのか知っておかなければならない。
ロキティスを「始末」できればいいが、1度に多くを望むと失敗する。
人の国には、ザイードも同行するのだ。
行き当たりばったりで、ザイードに危険を背負わせるわけにはいかない。
「ありがと、ノノマ。よくわかったよ。誰を敵とするべきかってことがね」
「あのものは、どちらにござりまするか?」
「うーん……はっきりとは言えないから、今はまだ……敵かな」
シャノンは、ロキティスの元にいた。
簡単には信じられない。
ロキティスに対する、腹黒そうだという第1印象は当たっている。
キャスの見立てでは、ロキティスは、自らの手を汚さない。