行きつ戻りつ 3
ザイードは、しばし黙り込む。
キャスの言いたいことは、理解していた。
だからと言って、簡単にうなずくことはできない。
彼女が危険に晒されるとわかっていた。
とはいえ、キャスも容易には説得に応じはしない。
それも、わかっている。
魔物の側に立ちながらも、どこかに属するのを拒絶していると感じていた。
人の国にも、魔物の国にも、そして、ガリダにも。
「では、余も同行いたす」
キャスが、目を丸くして驚いている。
すぐに、正気に戻ったように、険しい目つきになった。
その目を、まっすぐに見つめ返す。
ザイードは、この考えを翻す気はない。
「なに言ってんの?」
「同行すると言うたのだ」
「捕まりに行くようなものじゃん! 変化もできないくせに!」
キャスは気づいていないらしいが、言葉遣いが乱れていた。
いつもは色を失ったような瞳にも、光が宿っている。
それは、怒りに近い。
キャスの望みは「1人で片をつけること」だからだ。
「変化なぞ覚える気があれば、すぐに習得できる」
「でも、魔力は隠せないでしょ?! 魔力を感知する技術が……」
「隠せる」
「え……? だけど……」
「変化より難しいのは確かだが、余は魔力を完全に抑え込める」
ザイードは、日頃から魔力を抑え込むようにしている。
でなければ、魔力が大き過ぎて、周りを委縮させてしまうのだ。
これは魔物の特性で、大きな魔力を感じると否応なく反応する。
なので、周りを威圧しない程度に抑えていた。
日々の抑制が鍛錬になったのか、今では完全に抑えこめるようになっている。
「いや、でも、やっぱり駄目だよ」
「なぜだ?」
「もうさ、何回も言ってる気がするんだけど、私の問題に巻き込みたくないって。ザイードになにかあったらどうするんだよ? 私のせいでガリダの長が殺されたなんて言われたくない」
ふう…と、ザイードは大きく息をついた。
これが、キャスのかかえている大きな「問題」だと思う。
瞳孔を細めて、少し厳しい眼差しを向けた。
「そなたがどうであれ、人は来る。そうであろう?」
キャスのことは、口実に過ぎない。
さっき、キャス自身が示したことだ。
「これはもう、そなただけの問題ではない。己1人で、片がつけられると思うのは不遜に過ぎるぞ。そなた1人で、なにができる。どこまでできるという」
ぐっと、キャスが言葉を詰まらせる。
きつい言いかたをしている自覚はあった。
けれど、こうでも言わなければ、キャスが「折れない」とわかっている。
「そなたは我らの情報源であり、武器でもある。仮に、そなたが、なにも成し得ず人の国で命を落とせば、こちらはどうなる? 知り得たはずの情報もなく、そなたという武器も失い、なすすべなく蹂躙されよと言うか」
キャスの瞳に迷いが見えた。
ザイードの身を危険に晒すことを気にしているのだろう。
キャスには、こういうところがある。
自らのことは省みないのに、誰かを巻き込むのを極端に嫌がるのだ。
(個を好むものはおるが、キャスは孤独であろうとしておる)
不信感や無関心から、周囲と関わりを持とうとしないものはいる。
相手との関り自体を億劫に感じて避けるものもいる。
だが、生きていくなかで、完全な孤独に身を置くことは困難なのだ。
いくら、本人が孤独であろうとしたとしても。
(暮らしていくうえで、必要なものがなければ調達せねばならぬ。調達できねば、命を削ることになる)
完全な孤独は「生」の中にはない。
死に向かう途中の「命の過程」に過ぎないのだ。
それを、キャスからは感じる。
死ぬまでの、いっときの「生」を使い潰しているかのような。
きっと、キャスには迷惑がられるに違いない。
わかっているのだが「いらぬ世話」を焼きたくなる。
キャスを見ていると、ザイードの胸は痛むのだ。
声もなく泣いている姿が忘れられなかった。
「余は、そなたを守るために同行するのではない。もし、そう思うておるのなら、自惚れもたいがいにいたせ。確かに、余は、そなたを助けたが己が身を捨ててまで助けようとは思うておらぬ。心得違いをされては迷惑ぞ」
「……私のためじゃないなら、なんで?」
「そのほうが人の国に入り易かろうし、確実な情報も手に入る。伝聞よりも、己で確かめたきこともある」
「……魔物だってバレたら?」
「そなたを、囮か人質にし、逃げに転ずるだけのこと」
もちろん本気ではないが、そうとは悟られないよう感情を制御する。
ザイードは魔物だが、瞳孔や尾の動きを制御することに長けていた。
これも、周囲との協調のためだ。
ザイードは、いつも「のんびり」しているように見せている。
「…………わかった」
「足手まといにはなら……」
言いかけて、やめた。
サッと、一瞬で、キャスの顔色が変わったからだ。
連れ帰った時のように蒼褪めている。
その言葉は、キャスの心に強い影響を与えるらしい。
「余が変化を習得するのに、5日ばかりかかる。それまでは1人で動くでないぞ」
キャスが、小さくうなずいた。
厳しい言葉には、キャスは、怒りを交えつつも抵抗をしている。
なのに、ひとつの言葉により打ちのめされてしまったようだ。
激しい罪悪感に、今後「足手まとい」との言葉は封印することにする。
説得したかった気持ちはあっても、傷つけるつもりはなかった。
「では、準備をしてまいる」
言って、立ち上がる。
独りにするのもしのびないが、1人になりたいだろうと思ったのだ。
そっと家を出てから、溜め息をつく。
キャスは、また泣いているだろうか。
命を助けた時から、ザイードはキャスを同胞だと捉えていた。
もっと自分を頼ってほしいし、信じてほしいと思う。
けれど、それは自分の身勝手な想いでしかないのだ。
キャスには、彼女なりの事情がある。
(わかっておるのだがな……余は、寂しくてたまらぬ……)
魔物だ、人だという以前に、キャスは、誰も心に踏み込ませようとしない。
そう感じて、たまらなく寂しかった。
ごくわずかでもいいから、心の裡を見せてほしいのだ。
(喪うた相手には……キャスは……その心をあずけておったのか)
さっきの「足手まとい」との言葉に強く反応したのは、そのせいかもしれない。
キャスが足手まといになったのか、相手がそうであったのかはともかく。
ザイードは腕組みをして、うつむき、とぼとぼと歩き出す。
同行することを「強要」する形になったのを、後悔はしていない。
あのままキャスを行かせたら、今生の別れになる気がしたからだ。
それだけは、どうしても避けたかった。
キャスを失うのが、魔物の国にとって痛手になるというのは、嘘ではない。
だが、ザイード自身が、嫌だと思っている。
2度と会えなくなる可能性を考えただけで、胸が、きゅっと痛むのだ。
自分でも理由はわからないが、キャスにはここにいてもらいたいと感じている。
なので、できる限りの手は尽くすつもりだった。
「……老体のところで、変化の修練をせねばな」
ザイードは、ガリダの姿に誇りを持っている。
長になる前からだ。
そのため「変化」を覚えることを拒んできた。
今も自尊心はあるが、それよりも大事なものを選ぶことにしたのだ。
(今夜は、食事に顔を出さぬほうが良いかもしれぬ……)
肩を落として歩く姿は、いかにも「しょんぼり」といったふうなのだが、本人は気づいていない。
道々にいるガリダのものたちが、そんなザイードに視線をチラチラと投げていることにも、気づいていなかった。
いつもザイードは、どことは決めず領地をぶらぶらと歩いている。
そして、相談事があるものから声をかけられれば応じていた。
が、今は誰も声をかけてこない。
日頃、じゃれついてくる子供たちすら、ザイードに視線を向けるだけで大人しくしている。
これがルーポ族なら、ドーンと体当たりでもかまして「どうした」と聞いてくるだろうが、ガリダは好奇心に身を任せる種族ではないのだ。
ザイードを気にしつつも、ひそひそ話をするに留めている。
しばし歩いたのち、老体たちが好む湿地帯に着いた。
そこに立ち並ぶ家のひとつの戸を叩く。
老体たちは静かに余生をおくっていた。
過去のことを思い出すのが嫌だったり、引きずっていたりするためだ。
なので、ザイードも用がなければ、訪れないようにしている。
「いかがした? なんぞ厄介なことか?」
戸が開かれ、老いて体の小さくなったガリダが出て来た。
ゆうに3百歳を越えていて、数少ない人語を解する老体だ。
子を身ごもっていた妻を逃がすため、人と戦い捕まったのだと聞いている。
その時の子が、ヨアナの父だった。
「余に変化を、ご教示いただきたく」
「なんと……そうかそうか……ようやく、お主も……」
老体が笑みを浮かべたので、なにか勘違いされていることに気づく。
が、ひとまず、変化の習得を優先されることにした。
人の国に行くためだと言えば、教えてもらえなくなるかもしれない。
老体たちは、人の国に対し、恐怖と悪感情しか持っていないのだ。
(いずれ話すことにはなろうが……反対されても、余はキャスに同行せねばならぬ)