利害の模索 1
1年。
その長さを、考える。
カサンドラが防御障壁を出たと思われる時期から、3ヶ月以上が経っていた。
捜索に行きたいのはやまやまだが、現状、できることはなにもない。
アトゥリノの国王となったロキティスが言った通りなのだ。
まず防御障壁を抜ける装置なり、装備が必要。
同時に、聖魔の力から身を守るための装備も必要。
この2つが揃うまでは、どうにも手の打ちようがなかった。
自分にできることがないのも、苛立ちの原因になっている。
皇帝となり、大きな権力を手にしても、愛する女性1人、探せない。
大事な臣下であり友であった者を救うこともできない。
ヴァルキアス帝国皇帝ティトーヴァ・ヴァルキア。
即位して間もないため、公務に政務にと忙しかった。
だが、こうして執務室にこもっていても、2人のことが、頭から離れないのだ。
防御障壁を越えたカサンドラがどうしているのかを、日々、考える。
医療管理室からの報告で、ベンジャミンの容態に変化がないことに落胆する。
そんな毎日はつらく、ティトーヴァを、より孤独にしていた。
気を許せる相手だったベンジャミンはおらず、本音で話せたカサンドラはどこにいるのかすらわからなくなっている。
そのせいで、ティトーヴァは、1日中、心の休まる時がない。
「陛下、本日は、もうお休みになられてはいかがでしょうか」
机から顔を上げたが、そこにベンジャミンはいない。
代わりに、別の者が控えている。
白い騎士服が、皇帝直属の親衛隊の者であることを示していた。
ガラス越しに見る遠い空のような水色の瞳に、感情は見えない。
それが、ほかの者にとって冷淡に見えようと、気にしないのだろう。
茶色の髪に、いかにもなリュドサイオ人らしい風貌に体格。
皇帝直属親衛隊隊長、セウテル・リュドサイオ。
ヴァルキアス帝国の直轄国リュドサイオ王国の第2王子だ。
王位継承のリストから外れたのは、セウテルが長子でなかったためではない。
忠のリュドサイオ。
リュドサイオ王国は、周りから、そう呼ばれるほど忠誠心に厚い。
第1王子が「有能」であれば、今、セウテルは、ここにはいなかったはずだ。
リュドサイオは、皇帝に忠誠を誓っており、命を懸けることも躊躇はしない。
継承者かどうかに関わらず、有能な者を皇帝の側近に推すのは当然だった。
前皇帝は、皇后を迎えいれる際、側近を入れ替えている。
その際、リュドサイオの意向を聞き入れ、セウテルを側近とした。
セウテルは、ティトーヴァより3歳上の28歳、今年中には29になる。
皇帝の最側近としては若いと、周りが騒いでいたのを記憶していた。
親衛隊の隊長に与えられている権限は、かなり広い。
親衛隊の中には情報統括部もあり、監視室のみならず、ありとあらゆる情報を、セウテルは手に入れられるのだ。
だとしても、その情報を、どう使うかは、皇帝に委ねられている。
皇帝以外、セウテルに命令を下せる者はいない。
ティトーヴァは、皇太子の頃からセウテルの働きぶりを見てきた。
皇帝にとって、最も信頼のおける人物であるのは間違いない。
そのため、セウテルが「手のひらを返した」とは思っていなかった。
ただ、ティトーヴァの立場が変わっただけだ。
実際、セウテルは、前皇帝に仕えていた頃と変わらない忠誠心を示している。
「父上にも、そのようなことを言っていたのか?」
「いえ……」
「俺は、お前が気遣わねばならん程度の皇帝だということだな」
「そのようなことはございません」
「かまわんさ。即位して間もない、不慣れな“皇帝”を心配するのはわかる」
セウテルが口を閉じた。
ティトーヴァにもわかっている。
セウテルは忠誠心に厚く、皇宮においては清廉であるほうだった。
損得で動く者とは違う。
セウテルが、カサンドラの実情を、ティトーヴァに話さずにいたのは、前皇帝の指示だ。
側近として「皇帝」に忠実であったに過ぎない
だが、心のどこかで「それでも」と思う気持ちがティトーヴァの中にはあった。
セウテルが、ほんの少しでもカサンドラの実情を教えてくれていればとの思いが消せずにいる。
ティトーヴァが気づくきっかけに成り得た、ささやかな言葉ひとつ、耳打ちしてくれていただけでも、違った未来があったかもしれない。
それは、自分の甘えであり、身勝手な思いだ。
わかっていても、ベンジャミンのようには、セウテルを信用しきれなかった。
皇帝の指示に従うという意味で「信頼」しているが、それ以上のものではない。
(セウテルには、セウテルの立場があった。ベンジーが俺の心に寄り添ってくれたのと同様、セウテルは父上の命に従っていただけだ)
セウテルも、ティトーヴァのいだく感情面での不信を感じているのだろう。
また、そうなってもしかたがないと思っているには違いない。
ティトーヴァが、今になって苦しんでいる姿を肯とはしていないのだ。
その原因の一端が、自らにあると、わかってもいる。
「陛下、私が信頼できないと感じておられるのであれば、更迭なさってください」
言われるまでもなく、すでに検討していた。
その結果を受け入れるしかないティトーヴァは、首を横に振る。
今の状況では、簡単に人を入れ替えることはできない。
即位に対して異を唱える者はいなかったが、信頼できるかと言えば話は異なる。
残念ながら、アテにできる人材は少なかった。
少なくとも「リュドサイオのセウテル」は信頼できる。
親衛隊長となるに相応しい忠誠心の持ち主でもあった。
それが前皇帝であれ、現皇帝であれ、セウテルの役目は同じだからだ。
ベンジャミンがいない今、「皇帝」の隣を任せられるのはセウテルしかいない。
セウテルは「更迭」を口にしたが、それほど簡単な話ではなかった。
仮に更迭するにしても今は時期ではないと、ティトーヴァは考えている。
地盤固めができたうえで、セウテルの後を継げるほどの者が現れるまでは、今の体制を維持していく、というのが、現状での結論だ。
「お前を更迭する気はない。思うようにならんことが多過ぎて苛立っていた。八つ当たりの類だと思え」
どうにもならないことを除いても、するべき実務の対処に追われている。
徐々に貴族たちが欲を見せ始めており、牽制するのにも苦労していた。
そのひとつに皇后の問題がある。
帝国本土にいる貴族は、建国当時からのヴァルキアスの臣下が多い。
属国は当然として、直轄国の王族よりも、立場の強い者たちだ。
本土貴族を罰する権利を持つのは、皇帝のみとされている。
礼儀は重んじられるべきではあるが、それだけのことだった。
「……1年は長い……今この瞬間にも、彼女が危険に晒されている可能性もある。ベンジーの治療方法も見つかっておらん。早期に打てる手があれば良いのだがな」
ティトーヴァは、執務机の上の書類に視線を落とし、小さく息をつく。
くだらない報告書が山積みになっていた。
火にくべてしまいたくなるが「皇帝」として、それはできない。
1度、背負ってしまった責任は、簡単に放棄できないのだ。
あげく、ティトーヴァには皇后もいなければ、側室を娶る気もなかった。
未婚の皇帝に、貴族らが騒ぎたてるのは、後継者が決められないせいだ。
ティトーヴァに、子はいない。
前皇帝が45歳という年齢で崩御したことを考えると、早めに子を設けることも皇帝の「役目」なのだ。
「陛下は、カサンドラ王女様を皇后陛下としてお迎えすることを望んでおられるのでしょうか」
「そうだ」
カサンドラは、皇宮を去る際、ティトーヴァとの婚約を解消している。
だが、行政的な手続きは監視室が行っているため、外部に漏れることはない。
ベンジャミンなど、側近以外は、監視室の情報に手は出せないからだ。
監視室は無人稼働であり、人のように情にほだされて、情報を「こっそり」打ち明けることもない。
ごく少数の者しか、婚約解消について知る者はいないと言える。
だが、カサンドラが「拉致」されたことは、広く知れ渡っていた。
ティトーヴァが、あえてセウテルに情報を公開させたのだ。
ただし「誰が拉致したか」というのは、伏せている。
公開した情報では、帝国に対する反勢力だとしていた。
それはカサンドラの捜索に異議を唱えさせないためであり、民の心に訴えかけるためのものでもある。
調査上、民たちは、概ねティトーヴァに同情的だった。
早く、カサンドラを見つけ、救い出してほしいと願う者も多い。
「では、貴族の動きは私が牽制いたします。場合によっては、先に手を打つことになるかもしれません」
「俺は、カサンドラを見つけるまで、婚姻など考える気はない。それを頭に入れて行動するのなら、貴族の相手は、お前に一任する。だが、逐次、報告はしろ」
「かしこまりました」
周りが気を遣っていたのだとしても「事実」を知らずに、前に進むのは危険だ。
最終的な判断や決断は、きちんと見極めてからすべきだと思っている。
2度と同じ間違いを犯さないために。
実のところ、すでに「2度目」なのだが、ティトーヴァは知らない。
夢の内容を目覚めると忘れているので、1度目があったと気づいていないのだ。
にもかかわらず、心の奥底に、暗い悲しみと絶望が潜んでいる。
そのため、別の道を進みながらも、カサンドラへの執着を捨てられずにいた。