今日と同じ明日は来ず 3
ザイードは、朝食後、少し遠出をしている。
全力疾走してもダイスほどの速度は出せないので、着いた時には、とっくに昼を過ぎていた。
「思っていたより、人の国は狭い」
「そうよな」
地図を見ているのは、ナニャだ。
ザイードは、イホラの領地にいる。
枯れた大木のうろをもとに作られた、イホラの長の家だ。
今は、ナニャが住んでいる。
木の上から順に、寝る場所や食事をする場所に区切られていた。
ここは、1番下にある、客を迎える場所だ。
ガリダはともかく、木を登るのを億劫だと言う種族もいる。
そのため、出入りが楽な場所で集うようになった。
ザイードの家とは違い、木そのものの柔らかみのある床は、しっとりしている。
ひんやりともしていて、ザイードには心地いい。
土で作られたダイスの家や、岩場の洞にあるアヴィオの家より、ずっと快適だ。
「壁ができる以前、奴らはどこから襲来していたと思う?」
地図を床に置き、それを挟んで、ナニャと向かい合っている。
ナニャは女だが、ザイードと同じように足を左右に開いて座っていた。
美麗な風貌には似つかわしくないのかもしれないが、どちらかと言えばイホラは女のほうが強い。
あまり男女の差がないという点では、ファニと共通している。
「余も、それが気になっておったのだ。ガリダの書物によれば、人の最初の襲来はガリダとイホラの境あたり」
指で、地図を示した。
その辺りで、人が最初に魔物の国を襲ったとされている。
地図上で、ザイードは指を斜めに動かした。
「位置関係からすると、こう来たのであろうな」
「だが、よりイホラの領地に近い側のほうが、距離は短い」
ナニャの言う通りだ。
人の国から見て、魔物の国は北東に位置している。
「この魚の尾の上側を出て、ほぼ真っ直ぐに突き進めば、イホラだ」
「が、実際には、そうしておらぬ」
「北側……魚の背の側から来ている」
「そうだの」
ザイードは、地図で、位置関係を見直した。
あえて距離の長い北側を選んだ理由を考える。
ふと、キャスを助けた時のことが思い出された。
キャスは、魚の下側の尾から東に進んでいたのだ。
もし北東に向かっていれば、ほぼ最短で魔物の国に着いていただろうけれど。
「人は、魔獣を避けたのかもしれぬな」
「魔獣を? あいつらを避ける理由があるか?」
魔物にとって、魔獣は「獲物」に過ぎない。
食糧でもあるし、衣類など素材となるものでもある。
荒っぽい生き物であるには違いないが、脅威とは言えなかった。
人のほうが、よほど脅威なのだ。
「我らが太刀打ちできないほど強い相手が、魔獣ごときを怖がるはずがない」
「そうでもないのだ、ナニャよ」
「どういうことだ? 本気で、人が魔獣を恐れていると言うのか?」
「有り得る。キャスに聞いたのだが、人は聖魔を恐れ、あの壁を作ったという」
ナニャが、大きく目を見開く。
緑の目の中で、茶色の瞳孔が大きくなっていた。
次に、長いまつ毛を揺らせ、瞬きをする。
「あれは、人を閉じ込めるためのものだとばかり……」
「余も、そう思うておった。だが、キャスが言うには、聖魔に干渉を受けることを人は恐れておるそうだ」
「聖魔の干渉とはなんだ? 魔力はあるが、攻撃的なものではない」
「我らにとってはな。ただ煩わしきだけの存在に過ぎぬ」
ザイードは、キャスから聞いていた話を、ナニャに伝えた。
聖魔は、人の精神に干渉をして、惑わせるという話だ。
興味深そうに聞きながら、ナニャがうなずいている。
それから、納得したように言った。
「つまり、我らにとって脅威でないものが、人には脅威と成り得る」
「そう考えれば、この移動についても説明がつこう」
「魔獣の住処を避けての移動。だから、最短距離を選ばなかった」
キャスが倒れていた辺りも含め、人の国から東側は、ほぼ魔獣の住処なのだ。
ザイードたちの狩場ではあるが、人は、そこを危険な場所としているのだろう。
とはいえ、結論づけるには不可解な部分もある。
ナニャが言ったように「人は強い」のだ。
魔物でさえ太刀打ちできない。
「聖魔の精神干渉を恐れるのは理解できぬでもない。しかし、魔獣には魔力もなければ知恵もないのだ。なにゆえ、恐れるのか。余にも、そこがわからぬ」
「それについては、今一度、キャスとやらに聞いておけ」
「そうだの」
ザイードたちは、魔物の視点でしか、ものを考えられずにいる。
人との関わりも、長く断ってきた。
もとより、襲われて以来、人を憎悪している。
わざわざ人について知りたいなどとは思わずにいた。
そのため、人がなにを考え、どう動くのかなど、さっぱりわからない。
「ところで、ナニャ。本日、ここに参ったのは、この話だけではないのだ」
ザイードは、懐から、もう1枚、紙を取り出す。
キャスに頼んで書いてもらったものだが、シュザも手伝いをした。
キャスの書く文字は、人のもので、魔物には読めない。
会話は魔力でできても、文字の置き換えはできないのだ。
キャスが読み上げ、それをシュザが魔物の文字に書き換えている。
「これは?」
「魔物の魔力の、それぞれの特徴を記すものだ」
「攻撃方法、有効範囲、威力……かなり細かいのだな」
ナニャが、顔をしかめていた。
それは、キャスを疑っているからではない。
魔物が魔力を使うのは、ほとんどが「感覚」による。
言ってしまえば、考えて使っていないのだ。
キャスの作った「表」というものの空いているマス目を埋めるためには、ひとつひとつ確認しなければならない。
個人差もあるので、種族総出で試す必要がある。
それが面倒だったのだろう。
「それと、もうひとつ」
「まだあるのか」
「同時に進めればよい内容だ。さほど面倒ではあるまい」
「これは?」
今度は懐ではなく、手荷物の中から綴り紐で括った紙束を取り出した。
これは、キャスに教わってノノマが作ったものだ。
キャス1人では大変だろうと、ノノマは積極的に手伝っている。
食事なども含め、とてもかいがいしく世話をしていた。
そんなノノマに「自分でする」というのが、最近のキャスの口癖になっている。
「聞いているのだが?」
「う、うーん……キャスは、なんと言うておったか……」
「お前らしくもない。重要なことを忘れるとは、たるんでいるな」
キャスのことを考えていたと言いたくなくて、誤魔化しただけだ。
言われた内容は、ちゃんと覚えている。
小さく、咳払いを数回。
いかにも叱られて思い出したというように、取り繕ってみせた。
「余とて、完璧ではない。思い出したゆえ、そう責めるな」
「責めてはいない。浮かれるのもしかたがないと呆れただけだ。それで?」
なぜ浮かれていると思われたのかは不明。
だか、そのように見えたのだろうと勝手に解釈して、訊き返さなかった。
「家族ごとに、名や性別、歳、どの程度魔力を使えるかを書く記帳だ」
「なにに使う」
「イホラが、今、何葉おるのか。そのうち、どれくらい参戦できるのかを把握するためだ。加えて、子のおるものは、基本的に戦から外す。どうしてもというのなら後方のような安全なところに配置する」
ふむ…と、ナニャが、書き込み前の綴りをパラパラとめくる。
考えていることは、ザイードにもわかっていた。
「アヴィオが承諾せぬのなら、無理に作らせようとは思うておらぬ」
「そうか。であれば、いい。私は、お前の考えに同意を示すだけだ」
ルーポも、このことについて反対はしないだろう。
ファニにしても、面倒くさがりはするだろうが、反対はしない。
だが、コルコだけはわからなかった。
素直に、記帳するか、確信は持てずにいる。
「話だけは通しておくつもりだがの」
「コルコに隠せば、アヴィオに突っかかられるのは目に見えているからな」
「そうではない。コルコも我らの一員であるゆえに話すのだ」
ナニャが、ふわりと両手を浮かせた。
人型に変化していないため、腕は、木の枝に似て細くて長い。
おそらく、肩をすくめたのだろう。
ナニャは、アヴィオと仲が悪い。
魔力の相性も悪く、自然、イホラとコルコ自体も、仲がいいとは言い難い状態となっている。
「いつになるかはともかく、今後は、魔物と人が対峙することになるのだ。あまりコルコと諍うてはいかんぞ」
「私たちは、なにもしていない。コルコが黙っていればな」
コルコも同じことを言うに違いない。
結局、お互いに妥協や譲歩はしないということだ。
身内で険悪になっている場合ではないのだが、これまでの関係もある。
簡単に考えを変えられはしないだろうし、時間をかけるしかない。
「まぁ、よい。できるだけ早う記帳を作り上げてくれ」
言って、立ち上がった。
ここに来てから、水の一杯も飲んでいない。
が、食事を勧められても受ける気はなかった。
陽が傾くまで時間はあるが、ここを今すぐに出ても、ガリダに帰り着くのは夜になるだろう。
せめて、深夜になる前に、ザイードはガリダに帰りたかったのだ。
キャスを、家に残して来ているので。