過厄の気配 2
なにやら、外が騒がしい。
魔物の国に来てから、半月が経とうとしている。
厳密にはわからないが、たぶん、そのくらいだ。
怪我も、だいぶ治ってきている。
精神的には、まだ不安定な部分も残っていた。
だが、考えなければならないことがあるので、思考は動く。
朝食後、ザイードに、なにか書くものを用意してもらえるよう頼んでいた。
人と魔物では文字が違うだろうが、自分の覚え書きとして作っておきたいこともあったからだ。
「ちょ……っ……お待ちく……っ……」
「……っ……せん……っ!」
シュザとノノマの声だと気づく。
次の瞬間、簡素な木製の戸が、ガラッと開かれた。
皇宮などの手前に開くタイプの扉とは違い、ここは横に開く形の戸なのだ。
いわゆる「引き戸」と呼ばれる、日本で言えば襖や障子と同じ仕様。
まだ外に出たことがないので、外観は不明だった。
だが、中は、前の世界の「時代劇」で見たことのある「長屋」風に思える。
戸を開くと土間、上り框があって、座敷、といった具合だ。
ただし、ザイードが大きいからか、部屋全体は広い。
隣にあるザイードの部屋も広そうだった。
ザイードは、たいてい寝る前までは、キャスの部屋にいるのだが、寝る時は隣の部屋に移動する。
その際に、ちらっと中が見えたのだ。
「お前が、キャスか?」
キャスは、上半身を起こし、声の主を見つめる。
変化をしているのだろう、人型。
銀色の長髪に、吊り上がった灰色の瞳と銀の瞳孔。
身なりはガリダ族と似ているが、絶対に他種族の魔物だ。
ふさふさ。
背後で、髪と同じ銀色の尾が揺れている。
ザイードの爬虫類っぽい鱗のある尾とは、明らかに違っていた。
「困ります、ダイス様!」
「勝手に押し入るなぞ不躾な……っ……」
「押し入っちゃいねぇだろ。ちゃあんと変化だってしてるしな」
「そういう問題ではございません!」
「さようにござりまする! ザイード様のお許しもなく……」
ダイス、というのが、その魔物の名らしい。
人型に変化しているのは、自分への「気遣い」のようだ。
おそらく、系統で言えば、哺乳類系の魔物だと推測できる。
なにしろ「しっぽ」のほかに、三角の耳まであるのだから。
(犬? 狐? 狼? しっぽの感じからすると、虎とか豹じゃなさそうだよ)
虎や豹なら、もっと細い尾だったはずだ。
ダイスの尾は、ふさふさしている。
それに、ツンと高い鼻も、イヌ科っぽい感じがした。
とはいえ、狐だの狼だのと言うのも失礼な気がしたので、言葉にはせずにいる。
「別にいいだろ。固いこと言うな。危害を加えるつもりで来たんじゃねぇんだぞ」
「ですが、キャス様は、まだお体が本調子では……」
「そういや、魔獣に嚙みつかれたんだって?」
シュザの言葉もなんのその。
どかっと、布団の横に座って来る。
ノノマが、おろおろしながら、室内を歩き回っていた。
シュザも困った顔で、ダイスを見ている。
「ガリダとは違う種族みたいですね」
「ああ、オレは、ルーポ族なんだよ。まだ怪我が治ってねぇのか?」
「かなり治ってきてますよ。シュザが薬を調合してくれたので」
「そりゃあ、なによりだ。ザイードも、これで、ひと安心だな」
言いながら、ダイスが、体を寄せて来た。
そして。
すんすんすんすん。
絶対にイヌ科だ。
この好奇心の発揮ぶりに、匂いで判断しようするところ。
大きさによって、種類に違いはあるかもしれないが、イヌ科風な魔物であるのは間違いないと思った。
「おやめくださりませ、ダイス様」
ノノマが、ダイスの周りを、しきりにウロウロしている。
が、ダイスは、少しも気にしていない。
しっしっとばかりに、ノノマに手を振っていた。
シュザとノノマは、落ち着かなげだ。
下げた尾を、左右に大きく振って、とにかくウロウロ。
「大丈夫。そんなに心配しなくても、私は平気だから落ち着いて」
「そうだぞ。お前ら、落ち着け。落ち着いて、そのへんに座っとけ」
心配そうに、こっちを見ている2頭に、彼女はうなずいてみせた。
だが、座れと言われても、座る気にはなれないらしい。
足は止めたが、ダイスの近くに立ったままでいる。
それも、ダイスは気に留めていないようだ。
胡坐をかいた膝に肘をついて、キャスを、ものめずらしそうに見ている。
(ルーポ族は、こういう感じなのか。怖くはないなぁ)
ガリダには、ザイードのように体格のいいものと、シュザのようにほっそりしたものとがいた。
ルーポにも、もっと大型のものもいるのかもしれない。
ダイス自体、シュザより大きく体格もいいのだ。
それでも、怖いとは思わなかった。
ただ、彼女はザイードを見た時も怖いとは思わなかったので、その感覚はアテにならないと感じている。
単に怖くないだけなのか、元々、命に強い執着がなかったからなのか、心が欠けてしまっているせいなのか。
怖いと思わない理由がなにかを、自分で判断できない。
「ところで、キャスは、いくつなんだ?」
「24……」
まだ慣れていないので、うっかり「人年齢」を言ってしまった。
案の定というか、ダイスどころか、シュザとノノマまで、口をぱかりと開いて、固まっている。
また「幼子」だと思われたらしい。
「というのは人に換算した歳で、魔物の歳では120歳です」
「お、おお……びっくりしたぜ……」
ふるふるっと、ダイスが体を震わせた。
水をかけられたあとの犬のような仕草だ。
本能的なものなのだろう、無意識の動作に違いない。
感情表現も、魔物それぞれなのだな、と思う。
「ザイードが、そんな幼子をつが……」
むぐっと、ダイスが言葉を詰まらせた。
というより、シュザとノノマに口を押さえられ、言葉が続けられなかったのだ。
さっきまでの「おろおろウロウロ」を忘れるくらい、素早い動きだった。
「そのお話は、またいずれいたしますゆえ、今はお控えくださりませ」
ノノマが、やけに、ひそひそっとした声で言う。
シュザは黙ったまま、ダイスに、うんうんと、うなずいてみせていた。
ダイスが、ぺんぺんっと、軽く2頭の手を、はたき落とす。
「わかったよ。まだ公になってねぇことだしな。ザイードも、周りから、うるさく言われくねぇか」
キャスには、さっぱり意味がわからない。
魔物にとっては常識とされている「なにか」があるのだろう。
だが、まだ魔物について学んでいないキャスには、理解がおよばないことだ。
そのうちわかるようになるだろうと、あえて追及しないことにする。
「……本日は、キャス様に魔物について、お教えしようと思うておったのに……」
ぶつ…と、シュザが愚痴めいたことをこぼした。
途端、ダイスの耳が、きゅくっと上に伸びる。
正三角形が、二等辺三角形になったみたいな感じだ。
「それなら、オレが教えてやるぞ? なんでも聞け」
「そ、そんな……それは、私の役目……」
「オレのほうが長生きしてるからな。その分、お前よりたくさん教えられるだろ」
「長生きというのは、どのくらいですか?」
「オレか? オレ、160歳」
「ザイードより年上?」
見た目でも、振る舞いでも、ザイードのほうが年上に思える。
これも、良くないことではあるのだろうが。
(なんか雪原ではしゃいでる犬みたいなイメージがあるよなぁ、ダイスって)
まさに「犬は喜び、庭駆け回り」的な感じ。
160歳といえば、人の歳に直せば、32歳のはずなのだけれども。
個の性格の違いとは別に、種族としての性質の違いもあるらしい。
日本人とアメリカ人くらいの、イメージに差がある。
「そうなんだよな。ザイードは、どっか年寄りくさいところがあるだろ?」
「年寄りくさいというか……落ち着いてますね」
「いいこと言うねえ。やっぱりあれか。欠点も長所に見えるってやつか」
「いえ、ザイードは、本当に落ち着いてますよ、ダイス様」
彼女が言うと、きゅと、ダイスが鼻にしわをよせた。
人型なのに、器用だなと思う。
「様付けはよしてくれ。ルーポの長じゃあるが、ザイードとは親しくしてるんだ。あいつが連れて来たってなら、オレにとっても身内みたいなもんさ」
そこにこだわっても、しかたがない。
すでにガリダ族の長であるザイードのことを呼び捨てにしているのだ。
ダイスが望むのなら、あえて敬称をつける必要もない。
(シュザに魔物について教えてもらって、ダイスが補足ってのが良さそうだけど)
とても、上手くいきそうになかった。
シュザの「話の腰」は複雑骨折させられるほど、ダイスに、へし折られそうだ。
それなら、シュザには、あとで「ガリダ」について、詳しく説明してもらうのがいいだろう。
少なくとも、ルーポ族については、ダイスに聞くほうが早いはずだ。
「魔物には、5つの種族がいるそうですね」
「だな。ルーポ、ガリダ、イホラ、ファニ、コルコの5つだ」
「どこが、1番、大きい種族なんですか?」
「だいたい、どこも同じくらいだぜ? 土地の広さも変わらない」
人が来た時に、どう対処するか。
それを考えるためには、各種族の特性を知っておきたい。
ダイスに訊けるところは訊き、あとで覚え書きとしてまとめておくことにした。




