魔物の頭数 3
昼になっても、ザイードは顔を出さなかった。
キャスが、ガリダ族の地で暮らすようになってからは、初めてのことだ。
ノノマは、所用と言っていたが、やはり長なので忙しいのかもしれない。
連日、自分の世話をしていたことのほうが不自然だったのだろう。
「キャス様、お体の具合はいかがですか?」
キャスは、ザイードの姿を「怖い」と思ったことはなかった。
魔物なので、人と違うのは当然だったし、魔獣に襲われたことだってある。
ザイードに窘められるまで、死ねば死んだでかまわないと思っていたからだ。
今も、生きていなければとは思うものの、魔物を怖いとは感じていない。
(そもそも助けられてるし。私に、なにかさせたいってわけでもなさそうだし)
ノノマにしても、不思議なくらい好意的に接してくれている。
裏がありそうな気配もなかった。
今しがたやってきたシュザという名の薬師もそうだ。
自分を「怖がらせない」ためなのか、変化している。
ノノマが言っていた、ガリダ族の風貌がザイードに似ているというのは、本当のことらしい。
変化はしているが、シュザも、薄い緑色の髪に茶色い目と黄色い瞳孔。
やや細いが、いわゆる垂れ目で、優しそうな雰囲気が漂っていた。
どういう「変化」かはわからないが、元の姿とかけ離れた姿にはならないのだと推測できる。
ほっそりとした体格も、元々、細身だからに違いない。
歯は、ぎざぎざだけれども。
「だいぶ良くなりました」
「人用の薬では、効きが、いまひとつなのでしょう」
「でも……私は、ほとんど人間なので……」
魔力がある、ということで、魔物たちは、キャスを「人」とは見なしていない。
だが、彼女自身は、人として生きてきたのだ。
元の世界では、完全に人だったし、この世界でも、魔力を隠して、人という生きかたをしてきた。
それは、ほとんど「カサンドラが」だったが、彼女自身の認識も、自分を「人」だとしている。
だから、魔物たちを騙している気分になるのだ。
魔力を隠す装置を壊したため、勝手に使えているだけで、自分からなにかをしているのではない。
魔力を使っている意識さえなかった。
彼女の意識は、依然として「人」のままなのだ。
「いかに見た目に人であれ、魔力を持つものを、人は人と見なしませぬ」
「さようですとも、キャス様」
ノノマとシュザが、口々に言う。
ずっと隠してきたので、魔力の有無が、それほどに2つの種を分かつものだとは知らずにいた。
「壁ができたあと、人は魔力を持つものを探し、皆殺しにしたと、老体から聞いております。かつて老体の中には……人と交わったものもおったようでして……」
「その老体は、壁ができた際に解放されておりまするが、相手は人であるため壁は越えられず、残して行かざるを得なかったそうにござりまする。子は魔力を持っておるというだけで、殺されたと……」
「その老体は、その後、何度か壁まで行き、そのことを知ったと言うておったと、我らは伝え聞いておるのですよ」
カサンドラの母が、魔力を隠す装置をつけさせた理由に納得する。
なぜ人間が、そこまで徹底して排除しようとしたのかは、わからない。
脅威になると考えたのは間違いないが、そもそも魔物が脅威だったなら、魔物の国を襲ったりはしなかったはずだ。
「人とは残虐な生き物にござりまする」
「魔物も種族の違うものはいますが、同胞ゆえ、殺し合うたりはせぬものです」
「……そうだね……人は……人を、殺す……」
ぽつんと、つぶやく。
人は、自らの不利益になると思えば、平気で人を殺す。
もしくは、自らの利益のために、人を殺すのだ。
魔物ですら種族が違っても同胞は殺さないとしているのに、人は同じ種族でも、国や個人の都合で殺し合いをする。
その狭間で、フィッツは死んだ。
思考が戻ってから、毎日、考える。
考えても、結果は変わらないとわかっていても、考える。
自分が逃げようとしなければ、フィッツは死なずにすんだのか。
途中で、逃亡を諦めていれば良かったのか。
あの時、投降していれば、最悪の事態は防げたのか。
だが、それを考えるたび、フィッツと過ごした日々を思い出す。
そのすべてを「なかったこと」にはしたくなかった。
どれも手放せない大事な記憶だ。
そうしたことがなければ、こんなにも悲しくはなかっただろう。
フィッツと過ごした日々の中で、彼女はフィッツに恋をした。
フィッツも感情を持てたと言っていた。
そして「幸せだった」と言ったのだ。
だから、なかったことにはしたくない。
できない。
考えても考えても、行きつく先は、いつもそこだ。
「キャス様……申し訳ござりませぬ……よけいなことを申しました……」
ノノマが、肩を落としている。
隣に正座していたシュザも、うつむいていた。
その姿を見つめながら、キャスは、首を横に振る。
むしろ、少し心が落ち着いてきた。
「人じゃないほうが……いいかも……って、思ったよ……」
魔力があるというだけで「人」の範疇から外れるのなら、外されて本望だ。
魔物のほうが、まだしも好感が持てる。
キャスにとって「人」に固執する理由などなかった。
人が自分を「魔物」だとするのなら、それでかまわないと思う。
「……キャス様は、人の国から?」
シュザの問いに、うなずいてみせた。
嘘をつきたくないというより、騙している気分になるのが嫌だったのだ。
「ずっと魔力を隠して人として生きてて……でも、逃げてきた……」
「……さようでしたか」
うう…と、声がする。
見れば、ノノマが泣いていた。
なぜ泣いているのかわからず、戸惑ってしまう。
「さ、さぞ……おつらい目に……」
無意識であっても、魔力での会話には、人のする会話とは違う感覚が伴うのかもしれない。
シュザもノノマも、明らかにキャスの「痛み」に共感をしている。
明確に伝わるものではないのだろうが、感覚的なもので通じているらしい。
「大丈夫。これは……私に必要なものなんだよ……」
記憶を薄れさせたくないから、悲しいままでいたいのだ。
つらくても、苦しくても、ずっとこの痛みを覚えていたいと思っている。
それだけが、彼女とフィッツを繋ぐものとなっていた。
とはいえ、魔物は感受性が強いようなので、引き込むわけにはいかない。
なるべく、自分1人の時にだけ、悲しむことにする。
「もう少し、元気になったら……ガリダ族について、教えて……」
いつまでいるかはともかく、なにも知らないままというわけにはいかない。
キャスには、ひとつの不安要素があった。
地の果てまで追われるような気がする。
以前、そう感じたことがあったが、それが現実になる可能性はゼロではない。
人には「技術」を発展させる力がある。
防御障壁が、いつまで「壁」と成り得るかは定かではないのだ。
(魔物の国が……巻き込まれることになったら……)
自分も、戦わねばならない。
人の側には立たないと、キャスは、そう思っていた。
「私はガリダの歴史に通じておりますゆえ、なんなりとお聞きください!」
「お体が、ご快復されましたら、ガリダの地も案内いたしまする!」
シュザは薬師だと言っていたが、歴史にも精通しているらしい。
薬を調合する上で、必要な知識なのだろう。
ノノマも泣き止み、目をキラキラさせている。
やはり可愛いと思った。
爬虫類っぽい目も気にならないほどだ。
むしろ、人型だからか、猫っぽく見える。
「なら、早く、元気にならないと、だね」
うんうんと、うなずいているのを見て、ふと気づいた。
こういう場合、どう言えばいいのだろう。
「つかぬことを、訊くけど……魔物は、どうやって……数えるの?」
人ではないし、魔物は人を嫌っている。
1人、2人という言いかたは好まれないのではなかろうか。
かと言って、1匹、2匹というのも違う気がする。
ザイードのような姿なら、それもアリな感じだが、それはともかく。
「ガリダ族では、頭と数えておりまする。私とノノマであれば、2頭」
「頭……そ、そか……」
言われた瞬間、なぜか大きな耳のゾウが出てきた。
かなり微妙な感覚にはなるが、それが正式であるなら慣れるべきだ。
郷に入っては郷に従え精神で。