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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第2章 彼女の話は通じない
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景色が見えない日々ばかり 3

 すでに何日が経ったのか、数えるのをやめていた。

 だが、ザイードの言ったことは的を射ている。

 体の傷が癒えてくるに連れ、思考が戻り始めたのだ。

 それが(うと)ましくてたまらない。

 

 なにも考えたくないのに「考える」ことを()められずにいる。

 周囲のことや、ザイードの言葉が、勝手に頭に入ってくるのだ。

 入ってくれば、考えずにはいられない。

 言葉であれば、どうしたって意味を捉えようとする。

 

 彼女の「力」を裏付けるように。

 

 相手が、なにかを話していると認識すると、嫌でも脳が処理しようとするのだ。

 なにを言っているのか、どういう意味なのか。

 それらを理解するために働き出す。

 聞き流したり、無視したりすることができるのも、それが「言葉」だと認識しているからこそだった。

 要は、完全な遮断は不可能だということ。

 

「かなり良うなっておる。この調子なら、そろそろ動けるようになろうな」

 

 動きたくなんかない。

 だが、動けるようになったら、どうするべきか。

 それを「考えよう」としている。

 

 キャスは上半身を起こした状態で、上掛けを両手で握りしめた。

 この世界で、したいことなんて、なにもない。

 なくなってしまっている。

 このまま、ここで暮らすのも望んではいなかった。

 

(動けるようになったら……出て行こう……)

 

 行くアテがあるわけではないし、どこかに行く気もない。

 ただ、それが人であれ、魔物であれ、誰とも関りたくないのだ。

 この国を出て、また魔獣に襲われたとしても、かまわなかった。

 どうして自分が生きているのか、それがわからない。

 

 もともと自分の「生」に執着はなかったが、今は、命の肯定すらできずにいる。

 

 頑張っても無駄だと思い知ったからだ。

 最初の予定通り、誰とも深く関わらずにいれば、最悪の事態は招かなかったかもしれない。

 

「キャス、そなたは、もうガリダの民だ。勝手に出て行ってはならぬぞ」

 

 心の(うち)を見透かしたようなザイードの言葉に、苛とする。

 この世界にも、この地にも、来たくて来たのではなかった。

 うつむいて、自分の両手を見つめる。

 布団を握りしめつつも、右手には、ひし形があった。

 

「助けてくれと頼んだ覚えはありません」

「そうだの」

「勝手に、連れて来ておいて、出て行くなと言うんですか?」

「そうだ」

「責任があると思ってるのかもしれませんが、迷惑です」

「責任とは思うておらぬ。むしろ、そなたの義務と言えよう」

「義務……? 助けてくれと頼んでもいないのに、なぜ義務が生じるんてす?」

 

 喉が痛む。

 長く話していなかったせいかもしれない。

 声もかすれていて、話すたびに、喉の奥が、ざりざりする。

 

「そなたの意思に非ずとも体は生きようとしておる。それゆえの義務だ。生きようとしておる体を放り出すな」

 

 キャスは、小さく息を吐いた。

 息を吐くだけでも、喉が痛むのだ。

 深呼吸など、する気にもなれない。

 本当には、溜め息だって。

 

「生きることを強いられたくありませんね」

 

 彼女は、自分が、最期に携帯電話へと手を伸ばさなかったのを覚えている。

 もし、救急車を呼んでいたら助かっていたかもしれない。

 助かっていたら、生きる「必要」が生じていただろう。

 ザイードに助けられていなければ、とっくに死んでいた。

 体が生きようとしているのは、生かされてしまったせいだ。

 

「大事な相手を喪うたか」

 

 言葉に、胸が、ぎゅっと痛くなる。

 思い出したくないし、認めたくもないことだ。

 心の中を引っ掻き回されている気がして、腹が立つ。

 けれど、悲しみのほうが大きくて、言葉が出て来なかった。

 

「であれば、なおのこと生きねばならぬな」

 

 腹立ちと悲しみの中で、キャスは、ハッと小さく笑う。

 ひどく、ささくれた感情に支配されていた。

 

 望んでもいないのに、生かされて。

 なぜ魔物に説教などされなければならないのか。

 

「死んだ人が悲しむから? そんなことを相手が望んでいないから? その人の分まで生きなければならない?」

 

 そんなのは、おためごかしに過ぎない。

 彼女は顔を上げ、トカゲ顔のザイードをにらむ。

 

「なんで、そんなことがわかるんですか? その人は、もう死んじゃってるのに。なにも訊けないし、確認もできません。その人が、なにを望んでるかなんて、生きてる者の勝手な推測、というより、生きていくための口実に過ぎませんよ」

 

 生きていてほしい、とは言われた。

 だが、死ぬなとは言われていない。

 もちろん、こじつけで自死しようとは思わないが、不可抗力で死ぬことまでは、止められないはずだ。

 

 たとえば、防御障壁を抜けたあと、魔獣に食い殺された、とか。

 

 それは不可抗力の死であって、自死とは違う。

 詭弁であろうと、いたしかたなかった、と言えるものではあるだろう。

 携帯電話に手を伸ばさなかったのと同様、ただ頑張らなかっただけなのだから。

 

「そのようなことは思うておらぬ。そなたが死ねば、その相手が再び死ぬることになるゆえ、言うておるのだ」

「再び……」

「死は肉体の滅びだけではない。誰の記憶からも忘れ去られた時にこそ、真の死が訪れる。その者は、どこにもおらぬ者となり、その命も生もなかったことになる。まるで生まれて来てもおらぬようにな」

 

 胸の奥が、ずきずきする。

 ティニカによって作られた命。

 けれど、確かに存在していた命だ。

 いなかったことにはできない。

 

 少なくとも、彼女には。

 

 ザイードの金色の瞳孔が、細められている。

 その瞳に、なにも言い返せなかった。

 大きな手が、彼女の頭を撫でる。

 やはり「なぜか」暖かいと感じた。

 

「忘れたい、と思うこともあろう。だが、それは、そなたの甘えだ。弱さであり、ただの逃げに過ぎぬ。ずっと、悲しんでおればよいではないか。嘆き続けておればよいのだ。日々、思い出して泣けばよい」

 

 パッと、彼女の目の前に、様々な光景が流れ始める。

 その姿も、はっきりと見えた。

 

 フィッツ。

 

 『置き去りにしないでください』

 

 そう言って、フィッツは、ほろほろと涙をこぼしていた。

 使命を果たすことだけを生きる目的としていたからだ。

 

 『姫様、私は、けして……けして……』

 

 アイシャに「破廉恥」だと言われ、動揺していた姿に、彼女は笑った。

 フィッツが感情を露わにしたのは、あれが初めてだったかもしれない。

 

 『私は、姫様を抱きしめたり、口づけたり、肌にふれたりすることが許されるのでしょうか』

 

 大真面目に、そんなことを言ってきた。

 同時に、カサンドラを守るためではなく、別の意味で抱きしめている。

 

(フィッツ……フィッツ……)

 

 いろんな表情を見せてくれたフィッツを思い出していた。

 最後の最後で、フィッツは、ティニカの鎖をすべて断ち切って。

 

 『大好きですよ、キャス』

 

 そう言ってくれた。

 全力で努力して、彼女の想いに応えてくれたのだ。

 

「こんなに……苦しいのに……?」

「そうだ。そなたは生きていかねばならぬのだ。その相手を生かしたくばな」

 

 涙があふれ出す。

 どっと、悲しみが押し寄せてきた。

 苦しいのに、遠ざけられない。

 フィッツは、彼女に遠ざけられるのを、なにより嫌がっていたから。

 

「時が経てば、悲しみが癒えるなぞとは言わぬ。いつまで経っても、つらいものはつらかろうし、悲しかろう。だが、そなたの想いだけが、その者を生かすのだ」

 

 低く深みのある声は、静かで優しげに聞こえる。

 けれど、ひどく残酷で、厳しい言葉だった。

 甘えることも、逃げることも許してはいない。

 

(……私が死んだら……フィッツもいなくなっちゃうのか……)

 

 だとしたら、まだもう少しだけ生きていようか、と思う。

 悲しくても苦しくても、今はまだ、フィッツを遠ざけることはできなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「誰の記憶からも忘れ去られた時のこそ、真の死が訪れる」というザイードの言葉が印象的でした。 カサンドラを愛したフィッツは、カサンドラの中にしか居ないんですよね。 辛くても生きていようかと思う…
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