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いつかの空を見る日まで  作者: たつみ
第2章 彼女の話は通じない
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景色が見えない日々ばかり 1

 目が覚めてから、何日が経ったのか。

 正直、よくわからない状態だ。

 ぼんやりしていて、頭が少しも回っていない。

 ほとんど言葉も発していないし、思考も途切れ途切れ。

 

 考えるのが嫌だった。

 

 天井の板張りの隙間から光が射し、目を覚ます。

 与えられた食事に、少しだけ口をつける。

 明かりが灯されると夜になったのだと思う。

 

 毎日は、それの繰り返しに過ぎない。

 生きている自分を、遠くから眺めている。

 

 カサンドラ・ヴェスキル。

 

 それが、この世界で、彼女に与えられた名だ。

 彼女は、別の次元で生き、そして、死んでいる。

 その際、この世界の「カサンドラ」と出会った。

 

 カサンドラは、やり直しの人生を望まず、彼女の魂に体と命を与えている。

 カサンドラの語った人生を聞き、わすかばかり共感はしたものの、彼女だって、やり直しの人生など望んではいなかった。

 

 だから、腹を立てていた。

 

 ある意味では、彼女はカサンドラに自分の「死」を奪われたのだ。

 とはいえ、苦痛を伴ってまで自死するほど、死に執着もない。

 生きるも死ぬも、成り行き任せ。

 それが、彼女の生きかただった。

 

 カサンドラの人生をなぞるつもりはなかったし、復讐するような義理もない。

 もとより「くれ」と頼んだ「生」でもない。

 この世界に飛ばされて、与えられた人生を進まなければならなくても、彼女は、彼女の好きにするだけだった。


 その中で、皇太子との婚姻は、彼女にとっては有り得ない選択。

 カサンドラは、人の国の中枢を担うヴァルキアス帝国皇帝の命による、皇太子の婚約者だったのだ。

 だが、この世界と彼女は無関係で、どうでもいいことの範疇にあった。

 

 そもそも、皇太子は「本物」のカサンドラを冤罪で裁いた人物だ。

 やり直しの人生の上で、どれほど皇太子が変わろうと彼女の認識は変わらない。

 絶対に許さないと決めていた。

 

 結果、彼女は皇宮から逃げたのだ。

 その過程で、大事な人を喪っている。

 人と関わるのを好まなかった彼女が、初めて関わりたいと思えた人だった。

 恋に興味がなかった彼女が、初めて恋をした相手でもある。

 

 キャス。

 

 この世界にいた「本物」のカサンドラが、母と暮らしていた頃に使っていた愛称だけが、耳に残っている。

 初めて、彼女を、そう呼んでくれた人は、もういない。

 最初で最後の1回になってしまった。

 

 自分のせいだ。

 

 もうずっと、そう思い続けている。

 大人しく身を潜めていれば、あんなことにはならなかった。

 もしくは、イチかゼロかの線引きを明確にしていれば良かったのだ。

 どちらも選ばなかったがために、あんなことになってしまった。

 

(……なのに……喉が渇いたり……ちょっとは、お腹が空いたり、する……)

 

 そんな自分に腹が立つ。

 生きようとする体が煩わしかった。

 生きたいのか、死にたいのかも、もうよくわからない。

 自分が死ねばよかったのに、とは思っているのだけれども。

 

 今の彼女には、なにもない。

 世界は、また遠くなり、現実感さえ薄れている。

 残っているのは、キャスという名だけだ。

 

「体を起こすぞ、キャス」

 

 上半身が持ち上げられる。

 今は、昼だろうか。

 1日の大半を、彼女は横になっていた。

 だが、こうして世話をするものがいる。

 

 ガリダ族の(おさ)、ザイード。

 

 オオトカゲのような顔に、それに見合った鱗のある体。

 ここは、魔物の国なのだ。

 

 この世界は、人、魔物、聖魔という3つの種の国に分かれている。

 防御障壁を越え、人の国を出たあと、魔獣に襲われた。

 そこを、魔物の国のザイードに助けられたようだ。

 目覚めた時、名を問われ、彼女は「キャス」と答えている。

 この先も「カサンドラ」をやり続けるのが嫌だったのだ。

 

 元々、カサンドラに人生を押しつけられたあと、人の国を出るつもりでいた。

 魔物の国に行くと決めていたわけではない。

 ただ、人と、ほかの2つの種の国とを隔てているという防御障壁を抜けるのが、その頃の漠然とした最終目的だったのだ。

 抜けたらどうなるのかなんて考えてもいなかった。

 

 生きるも死ぬも、どっちでもいい。

 どうせ元の自分は死んでいる。

 やり直しの人生だって望んではいない。

 

 そんな気持ちの中、ほんのわずか、興味があった。

 

 別の次元の世界、人が越えられないという防御障壁。

 

 抜けた先に、なにがあるのかを見てみたかったのだ。

 たとえ、そこに死が待っていたとしても、命に未練はなかった。

 それが、自分の死であるならば。

 

「キャス、口を開けよ。そうだ、少しで良い」

 

 口に、液状のものが流し込まれる。

 体が勝手に、それを喉の奥に流し込んだ。

 そうやって命を繋いでいる。

 なんのためかは知らないけれど。

 

「怪我も癒えてきておるぞ。なに、もう少しすれば動けるようになる」

 

 本当なら、感謝すべきなのだろう。

 そんなことは、わかっている。

 わかっているのに、心が動かない。

 キャスの望んでいる相手ではないからだ。

 

 肩に負った怪我は、魔獣に襲われた時のものだった。

 死にたいのなら、ここを出て、野垂れ死ねばいい。

 外には魔獣がいて、人を襲うのだから。

 

 なのに、体を動かす気にもなれずにいた。

 ひたすら、ぼんやりしている。

 いろんなことが、どうでもいいことのように思えた。

 

 キャスは、右手に薄金色のひし形をした宝石のようなものを握っている。

 起きている時も、寝ている時も手放したことはない。

 無意識に握りしめている。

 

(……ッツが……)

 

 いない。

 いない者の名を呼ぶことはできなかった。

 胸が押し潰されそうになるほど苦しくなる。

 

「……キャス……また泣いておるのか? 飲んだ水の分だけ涙を流しては、意味がなかろう?」

 

 意味があるのか、ないのか。

 

 キャスに、ザイードの言葉はとどかない。

 顔を布で拭われているのはわかる。

 が、なぜ、ザイードが、せっせと自分の世話をするのかは、わからなかった。

 大きい手の指には、短いが鋭い爪がある。

 人など簡単に殺せるはずだ。

 

「体が良うなれば、自然と心も良うなる。ゆえに、早う怪我を治さねばな」

 

 ザイードは、人を殺せそうな手で、キャスの頭を撫でる。

 小さな子供にするような仕草だ。

 毎日、彼女の世話をしながら、頭を撫でながら、ザイードは話しかけてきた。

 キャスは、なにも話さないのに。

 

 ここで過ごしてはいても、生きたいのか、死にたいのかわからないような意識の中で、さまよっている。

 なにをする気力もない。

 見えていても、認識しているとは言えない状態だ。

 泣いていることさえも、無意識だった。

 

「そら、もう横になれ」

 

 上半身が、ゆっくりと倒される。

 開いていた目に、水かきのついた大きな手が乗せられた。

 その手は「なぜか」暖かい。

 自然と、目が閉じていく。

 

 周りは、とても静かだった。

 このまま、2度と目を覚ましたくない。

 けれど、目を覚ますことを、頭の片隅で察している。

 

 自分は生きているのだ、と。

 

「ゆっくり眠れ、キャス。そのうち良うなる。必ず、良うなる」

 

 深い眠りに落ちながら、彼女は、明日が来ないことを願う。

 良くなる、というザイードの言葉は、やはりキャスにはとどかない。


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