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「ぜぇ…ぜぇ、ぐっ、…ふんっ!」
「マジでごめんね…。」
完全に腰を抜かしたアリーナは、サイラスに支えられながら何とか馬車付近に迄到達した。
ここまでの道のり、普通に歩くと五分とかからない所なのだが中々の時間がかかっている。
サイラスがほぼ引き摺りながら、アリーナの事を息を切らして前に押し出している。
恥を承知でおんぶにも挑戦したのだが、案の定サイラスは潰れてしまいアリーナは自分の体重の重さを呪った。
片手をサイラスの肩に担ぐ様に持って貰い、時には手を入れ替えながら来たがサイラスはご覧の通りだ。
「なっ、!……ゼェゼェ……っ、き、君が…謝る事は無いっ、ふぐっ、……な、軟弱な、僕が悪い。」
何度も謝るアリーナに、バッとサイラスは息を投げ捨てる様に言葉を吐くと、其方を向いた。
すると、余りにも近いその距離に驚いた。
数cmしかない顔と顔の距離。アリーナは社交界でも話題になる程の美人だ。
支える腰はコルセットがある為硬いが、細く引き締まっている。
頬に触れる髪は柔らかく、キラキラと輝くエメラルドグリーンの瞳に吸い込まれてしまいそうな錯覚を起こす。
「あ、ありがと。」
アリーナも流石に前髪で殆ど顔は隠れている相手だが、異性とこの距離で話した事が無かった為に免疫が無く、頬を染めて俯く。
しかし、それが余計にサイラスの羞恥を煽った。
「ア…」
「ご主人様、どうなさいました?!」
サイラスが何か言おうとしたその時、馬車で待機していたアイが二人に気付き、支えられているアリーナを見て慌てて走って来た。
「あ、あぁ。彼女が疲れてしまった。馬車迄運んでやってくれないか。」
「畏まりました、失礼致します。」
アイはそう言うと、ひょいとアリーナをお姫様抱っこすると馬車迄小走りをする。
まさか、アイが一人で運ぶとは思っていなかったのでサイラスはポカンとそれを眺めてしまう。
自分の不甲斐なさを思い知らされる様で、何とも言えない気持ちになる。そして、軽くなった身体に少し寂しさを覚えた。
アイを追い掛けて馬車に乗り込むと、柔らかいクッションが敷き詰められてアリーナが座っていた。
「ご苦労。」
「緊急事態ですので先に入ってしまいました事、お許し下さい。では、お座りになられましたら出発致しますので、お声掛け下さいませ。」
「あぁ。」
アイが外に出たので、サイラスはアリーナの前に座り出発の合図を出した。
アリーナはまだ少し顔色が良くない。
「…ねぇ、サイラス。」
「どうした?」
「……あのさ、と、隣に座って欲しいの。」
アリーナは珍しく俯いてボソボソと喋っている。
サイラスは、アリーナの様子に素直に言う事を聞いてあげる事にした。
アリーナの横のクッションを二つ程避けると、 隣に座る。
「こ、これでいいか?」
緊張で少し声が裏返ってしまう。
「………手を、……。」
「ん?」
「手を握っててくれない?」
縋るようにアリーナの瞳が揺れ、手を差し出される。
自分の心臓の音がアリーナに聞こえてしまうんじゃないか、とサイラスは思った。そろりと手を伸ばし、彼女の自身より小さな手を握る。
手に汗はかいていないだろうか、どの位の強さで握ったら良いのだろうか、ぐるりと思考は回るが正解は見つからない。
アリーナの手は冷たかった。
「…今日は色々ありがとね。サイラスが居なきゃ出来なかった事ばっかりだった。」
「あ、あぁ。だが、それは君の努力が身を結んだだけだ。僕はそれの手助けをしただけで。」
「ふふ、それが凄いんだけどね。……重かったでしょ?」
「…僕には何でも重く感じる。」
「……そっか。」
クスクスとアリーナが笑う。
それから二人は、暫く無言で手を握っていた。
段々とサイラスの温もりが移って、アリーナも温もりを取り戻していた。
サイラスは余計な事を考えない様に外を眺めた。すると、手を握っている方の肩に急に重みを感じる。
其方を向くと、アリーナが自分の肩に乗っているのが見えた。
「へ?」
すぅすぅと静かな寝息が聞こえて来る。
『寝てしまったのか。余程緊張していたんだな。』
倒れそうになる自分を支える為に、壁と自分の間に出来るだけクッションを詰めて倒れないように工夫した。
『……情けない。彼女一人すら僕は支えてあげられない。今日も彼女が頑張っただけで、何もしていないじゃないか。』
既にサイラスの筋肉は悲鳴を上げ、全身が軋む様に傷んでいる。
骨張った自分の肩で寝にくくは無いのかと不安になったが、アリーナはすやすやと寝ているので大丈夫なのだろうと思う事にした。
何も出来る事が無いので、柔らかく、細い手の先には美しく彩られた爪を眺める。
つるりと滑らかだが繊細な技が幾つも見られ、小さい小さいキャンバスの中に彼女の世界観が詰め込まれている。
ここまで完成されたものを作り上げるのに如何程の時間がかかったのだろうか。
『せめて僕に人並みの人脈と体力が有れば…。』
そう思い付いて、サイラスはハッとする。
今、何を考えていたのだと。頭を抱えた。
『僕は、既にこんなにも彼女に情が湧いてしまっているのか。』
さらりとアリーナの前髪に触れる。
きっと前日眠れていなかったのだろう。化粧で上手く隠してはいるが、近いと薄らとクマが有るのが分かる。極度の緊張と睡眠不足で色々と不安になってしまったのだろう。
だが、先程より血色の良い頬に安堵する。
今迄誰かに頼られた事が無かったので、むず痒い気持ちになるんだなとサイラスは思う。
だが、それはとても温かく喜びを与えてくれる。
「君は本当に不思議な人だな…、アリーナ。」
そう、ボソリと呟いたが誰の返事も返ってくる訳は無かった。