12
サイラスはアリーナを元の席に座らせるとガバッと手で前髪を戻し、身を縮めた。壊れそうな程大きな心臓の音が耳に響く。
誰にも見せる気は無かった。幸いにもアリーナが前髪の事を聞いてくる事が無かったので安心していたのだ。
初めて見た彼女はギョッと凝視していた。
それは、驚きの目だ。
罵倒や、忌避の言葉には慣れている筈なのに、その目を見てしまっただけでサイラスの心はズクリと傷む。
「…綺麗。」
「へ?」
長い沈黙の後、ポツリとアリーナの口からため息の様に零れる。
サイラスは予想外の言葉が来た為に無骨な返しをしてしまう。
「あっ、ごめん、変な事言って!隠してるって事は秘密だったよね?その…、余りにも綺麗だったからさ…。」
珍しくアリーナが頬を染めて俯いた。
そして、それが余計にサイラスの頭を混乱させた。
「え、いや、その……え?これが?」
「うん!今まで見た、どんっっっな宝石よりも綺麗!」
そう力一杯言うアリーナの目はキラキラしていた。
そこには嘘偽り等無く、純粋な思いが乗せられている。
サイラスはポカンとしてしまい、何も考えられ無かった。彼女は「内緒ね。」と言う様に人差し指を唇に当てて、はにかんだ。
まさかそんな風に言われる日が来る事を全く予想していなかったからだ。
思考が真っ白でろくな返事も出来ぬまま、ガタリと馬車が止まり目的地の王城へと到着してしまう。
それから、自分達の順番を待ち、パーティー会場の広間へと向かう。
サイラスはエスコートなんてした事が無かったが、基本的な事は多少なりともサイラス自分で身に付けていたし、アリーナが忙しい合間に練習がてらに事細かに教えたのでそれなりに形にはなっていた。
『血濡れのサイラスだわ、恐ろしい。』
『なんだ、あの爪は。見ろ、アリーナ嬢までとち狂ってしまったようだ。』
『俺達のアリーナ様があんな化け物に……。』
道中、色々な声が聞こえる。
蔑み、妬み、恐怖、嘲笑う人々の声。
そのどれもがマイナスの印象だ。
アリーナとサイラスは、真っ直ぐ前を向いて聞いていないフリをする。
サイラスは微かに震えていた。それは怒りによるものか、恐怖から来るものか分からないが、アリーナはエスコートしてくれる彼の手をギュッと握る。
二人はここに来る前に約束をしていた。
「何言われても徹底的に無視。面白がってるだけなんだから構っちゃダメ。前を向いて、二人だけの世界って感じでめちゃくちゃ仲良さそ~って雰囲気出そ!」
と、提案したのはアリーナだ。
実害が及ばない限り、言いたい奴には言わせておこう作戦である。
サイラスの優しさも、ネイルの素晴らしさも分からない人には分からなくて良い。
それに、良い印象を持ったとしてもこの雰囲気の中では言えないだろう。
「サイラス、笑って。」
広間に到着すると、アリーナはサイラスにだけ聞こえるように話しかけ、彼に微笑む。
サイラスは、口しか見えない状態だがぎこち無く微笑み返した。
すると、ザワッと何人かの小さな驚きの声が上がる。
「…今の所、君の言った通りだな。」
小声でサイラスが言うとアリーナは扇子で口元を隠すとニヤリと笑い、空いている手でするりと彼と腕を組む。
「ふっふっふ~、予想通り過ぎてもうちょい捻り欲しかったかな。」
いきなり腕を組んで来た彼女に信じられない顔をしているのだが、全く見えていないサイラスは恥ずかしい気持ちを全力で抑える。
だが、更にカチコチに固まってしまっている彼にアリーナはクスクスと笑った。
「ごめん、ごめん。今日だけ、ね?」
と言うと、サイラスはコクコクと頷く。
アリーナはサイラスとの話し合いで、ある程度このような事を言われるのでは無いかという予想を事前に言っていた。
その予想の上を行くでもなく、そのまま過ぎてサイラスもいつもより気が楽で、そちらも驚きを隠せない。
「これは、驚いた。」
「お久しぶりです、お父様。」
国王陛下への挨拶には順番があり、それを待つ間に二人が向かったのはアリーナの父、デュラン伯爵の元である。
デュラン伯爵は嫁いで行った実の娘が、あの出不精のミーガン侯爵と仲睦まじい姿で登場したので、つい言葉に出してしまった。
「し、式も終わったというのにご挨拶が遅くなってしまい、も、も、申し訳ない。この通り、彼女の事は大切にさせて貰っている。」
身体を真っ赤にして話す、その青年の言葉にデュラン伯爵はカパッと口を開けたまま固まってしまう。
「お父様?」
「はっ!いやはや……。アリーナからの手紙で聞いてはいたのですが、余りにも、その、お噂とは違ったものでな。こちらこそ、ろくなご挨拶も出来ず申し訳ない。」
「ふふ、お父様ったら。サイラスは、噂とは全然違う方よ。余り人と関わる事が無かったから、少し人見知りなだけなの。」
そう言って見つめ合う二人に初々しさを感じつつも、今まで異性に全く興味が無さそうだった娘に、父としては複雑な感じだなと伯爵は思う。
「では、お父様。そろそろ順番だから行くわね。また改めて挨拶に伺うとサイラスも言ってくれているから、また手紙を書くわ。」
「あぁ、覚えておこう。ミーガン侯爵、娘を宜しくお願い致します。」
最初の一言以外は一切喋らず、ペコリとお辞儀をするサイラスに不思議と嫌な気持ちにはならない。
いくら社交の上手なアリーナであっても、腕を組むまで懐くのは珍しい。
特に異性には、一定の距離を保ち、皆の憧れの対象であった事を自覚していたのだから。
そして、目立つそれに伯爵は気付く。
「…そうか、夢が叶ったのか。」
伯爵は、妙に納得してしまった。
去りゆく娘の背中がなんだかとても嬉しそうで、『お似合いじゃないか』なんて思ってしまうのが、少し歯痒がった。