明らかな悪意
全ての料理を、テーブルに並べ終える。
まだ誰も、リビングには居ない。
けれど、ほんの少しの違和感に気が付く、黒井さん。
「雛川さん、ラップ外しましたか?」
「いえ」
「そうですか。」
「サラダ、少し手直ししてきますね」
そう言って、サラダの乗った皿を持って行く、黒井さん。
「椅子を拭いて置いて貰えますか?」
そう言われたので、エプロンに入れてあった除菌シートを使い、
椅子を引く。
と
「ひっ……」
声にならない音が口から発せられる。
除菌シートを手に、その場から動けない。
表情を引き攣らせたまま、その場から動く事も出来ない。
漫画やゲームのヒロインはなんでこんな時、可愛らしく悲鳴を上げることが出来るのだろうと、ほんの少しの疑問が湧く。
この席は、姫花の席。
其れにこんな物があったら、疑われるのはきっと私。
誰が何の為に何て事は考えない。
此れを苦手だと誰かに言った事は無いけれど、苦手な人が多いだろうと、容易に思いつく。
其れは、ウゴウゴと気味の悪い動きを椅子の上でしている。
どうしよう、どうしたらいい?
助けを呼ぶにも、足が棒になったように動かせない。
苦手では無い人にしてみれば、こんな物でと、嘲笑われるだろうと、考えつつも
苦手な者からすると、1㎜たりも足が動かなくなる物なのである。
でも、処理しないと、誰かが来てしまう。
そうなった場合批難されるのは私だろう。
声が聞こえてくる。
次々とリビングに入ってくる人の前に、姫花は居ない。
「どうしたの?顔が青いよ」
そう言って近付いて来たのは、悠先輩だった。
「あ、あの」
皆それぞれ席に着こうとする
「あ、ま、まってくださ、まだ座らないで、駄目です」
思ったように声は出ないが、そう伝えた。
「どうしたの?」
伊織ちゃんも寄って来る。
「あの……椅子に、其れが」
姫花の椅子を指差す。
「うげ、青虫」
伊織ちゃんが言うと
「麗斗、物置きから、虫籠持って来て。大和は、姫花の足止めをして。蒼、冬馬、奏太は他の椅子とその下も確認して。伊織は、雛川さんの介抱をして」
其々に指示を出す、悠先輩。
「雛川さん、黒井は?」
「あ、えっと、サラダの手直しをすると」
「サラダも、他の料理みたいにラップ掛けてあった?」
「はい…」
伊織ちゃんに手を引かれて、安全確認済みのソファに座らせられる。
虫籠を持った麗斗先輩が戻って来る。
麗斗先輩から、虫籠を受け取ると、何の躊躇もせずに、青虫を虫籠に入れる。
「麗斗、他の席にも居た。伊織の所と、大和の所と、麗斗の所」
「うえ、ボク虫嫌いなのに」
其々の所に居た青虫も、虫籠に入れていく、悠先輩。
「あ、除菌シートあります…」
拭こうと思い立ち上がると、
「君は、座ってて。」
冬馬くんに除菌シートを奪われる。
そのまま、其々の席を拭いて行く冬馬くんと蒼くん。
「ヤツが居た席に座りたくないって言うなら、別の椅子持って来るけど?」
と奏太先輩。
「ボクの所物凄く除菌殺菌してくれるなら別に良いけど、念の為、姫花のは変えておいたら?」
頷くと、姫花の椅子を持って、リビングから出ていく、奏太先輩。
「あの、悠様、其れどうなさるんですか」
震える声でそう言うと
「此れ、この辺りには居ない種類の物だから、居る場所に放つまでは、僕が飼うよ」
か、う、よ?
「大丈夫。誰の目にもつかない所で飼うから。」
「外の物置きか」
麗斗先輩がそう言うと
「そう。僕以外の立ち入り禁止にしている場所。昔作った秘密基地のような場所。」
そう言って、リビングを出ていく。
入れ替わりで、新しい椅子を持って来た奏太先輩が戻って来る。
「さっき、悠に、もう姫花呼んで来て良いって伝えてって言われた。」
スマートフォンを取り出し、誰かにメッセージを送る、冬馬くん。
其れから、数分後、戻って来た悠先輩は、洗面所方面へと行き
姫花と大和くんも来る。
と同時に、サラダを持って、黒井さんも戻って来た。
「準備は全て完了致しましたので、料理を盛り付けて参りますね」
「黒井。璃々那ちゃん、長距離移動で疲れたみたいだから、休ませてあげて。」
「大丈夫ですか?」
黒井さんは心配そうな表情を浮かべている。
「だ、大丈夫です」
そう言う物の、ヤツを思い出すと足が震える。
「璃々那ちゃん、ボクが一緒に居るから、大丈夫だよ」
「たかが移動しただけで体調崩すとか、自己管理出来て居ないのね。もう帰ったら?」
姫花は、璃々那を見ずにそう言う。
「ご迷わ」
「迷惑なんかじゃないよ!どんなに自己管理きちんとして居ても、具合悪くなる事あるから!」
伊織ちゃんは庇ってくれるけれど、居た堪れなさが湧き上がる。
其れに、本当は、移動疲れでは無い。
私が最も苦手とする者が居たからである。
恐怖心からの、震え、衝撃、心拍数の異常等
思い出すだけで、立ち上がる事さえもままならない。
因みに、アレを克服しようと色々試みたのだけれど、ますます苦手になるだけだった。
類が好きでやっている、モンスターを育て戦わせる系のゲームでワザと、アレ系列のモンスターをパートナーにした事もあったけれど、無理だった。
小中学生の時、教科書にアレの写真が大きく載っていた時、直視は出来なかったけれど、其れでも、覚えた。
その時だけで済んだから。
そう言えば、と顔を上げる。
姫花は、席に着こうとしない。
「黒井、私の部屋に、新しく作り直したもの、持って来て。」
「黒井は、僕の従者であって、君が命令する権利は無いよ。君は、君の従者にやらせたらどうかな?」
「あれは…」
「僕の屋敷内でこれ以上面倒事を起こそうと言うのなら、今直ぐにでも、此処から追い出しても良いんだよ?」
「面倒事?何の事かしら?」
「まず、僕言っておいたよね?食べる場所は、リビング、ダイニングのみだと。でも君の従者は、其れ以外の場所で食べると言う行為をしている。」
「貴女ね!?」
璃々那は何故か睨みつけられている。
「彼女からは何も聞いて居ない。」
きっぱりと、悠先輩が言う。
「姫花、気付いて居ないの?あの部屋の扉開閉時に、スナック菓子の強い匂いが漂う事に。」
「そ、れは」
「次に、海から此処に戻って来た時に、向こうで砂を落とす場所があったのに、其処を無視して、砂塗れで、自室まで戻ったよね?絨毯に入り込んだ砂粒は取り辛い。排水溝に入った砂粒は詰まりや劣化に繋がる。」
「それ、は」
姫花はずっと言い訳を考えているようだけれど、思い浮かばないのか直ぐに口を閉ざす。
「じゃあ、最後。この部屋に、さっき迄、とても珍しい種類の蝶の幼虫が居て、其れは、この辺り…と言うより、日本には居ない蝶の筈なんだ。誰かが研究目的や、自然に放たないという制約でしか、国内飼育出来ない類の。」
「其れは私は知らないわ!」
「その事は知らなくても、自分の席に座らなかった理由は、其れが関係して居るよね?」
「何で言い切れるのかしら?」
「証拠があるから。」
「しょう…こ」
「此処、各々に割り当てた部屋とトイレ脱衣所、浴室以外には、防犯カメラが設置されて居てね?この家を管理している警備員会社の人達が24時間体制で怪しい行動をしていないか確認して居るんだよ。」
「でも其れを私が命令したと言う証拠にはならないじゃない」
声を荒げる、姫花。
「誰も命令をしたとは言って居ないよ」
「私に何の接点があるのかしら!」
「犯人はもう分かって居るんだよ。」
「でも私は関係ない」
「従者のやった事で自分は関係ないと。」
「そう、あれが勝手にやった事」
「だけれど、その勝手にやった事を君は知っている。」
「でも私が命令した訳では無い」
「あの人の雇い主は君では無いけれど、此処であの人の主は君なんだよ。あの人の立場がどうとか関係ない。」
あの人の立場、という言葉が引っ掛かったけれど
姫花と、悠先輩の会話に誰も口を出せなかった。
そんな中、黒井さんが
「悠様」
呼びかける。
「お食事が冷めてしまわれますので、長く成るようでしたら、後にしていただけますか?皆様、待ちぼうけになって居られますし。」
普通、従者は、こういう場で口を挟まない物だけれど、黒井さんは他の人達の様子を見て、そう告げたのだと思われる。
いつの間にか、此処のお皿に、料理が小分けにされている。
其れを確認して、悠先輩は頷いた。
「そうだね。姫花、君の椅子は新しい物を持って来させているし、何かされて居そうな物は黒井が確認済みだから、安心して座って。此処の主は僕だから、従って貰うよ。」
姫花はしぶしぶと言った感じで席に着く。
璃々那の傍に居た伊織も席に着く。
「雛川さん、歩けますか」
黒井さんに問われ、頷いて立ち上がる。
「キッチンで少し、休憩しましょう。」
璃々那は自分が足手まといになって居る事を感じる。
キッチンに戻り椅子に腰かけ
「申し訳ありません…」
そう頭を下げる。
「構いませんよ。誰にでも苦手な物は存在します。」
本来はそんな物が言い訳にはならないだろう。
けれど、黒井さんは、構わないと言ってくれた。
「其れと、サラダには、何も混入して居ませんでした。」
「あの、何でサラダだけ確認したのですか?」
「実は、あのラップ、仕掛けがあるんです。誰かが剥がした時、形跡が残るように。」
「そうだったんですね」
「どういう仕掛けなのかは、雛川さんにも秘密です。信頼をしているしていないでは無く、此処では誰が訊いているのか判りませんから。」
璃々那ではない誰かにも向かってそう言っている気がした。
「さて、雛川さん、一緒に掃除に付き合って貰えませんか?」
「はい」
もう体の震えも治まって居る為、頷いた。




