おたくと私
正直、考察でも解説でもない、ただの感想です(笑)
ぐだぐだと書いてますので、おっさんの独り言に付き合えない方はブラバ推奨です(*´・ω・`)b
先日、YouTubeでヒカキンの1000万人ライヴ裏側、なんてのを見て感動したあと、オススメに岡田斗司夫氏の伝説の講演、オタクイズデッドの切り抜き動画が上がってきて、思わず見たんですよ。
岡田斗司夫氏がわからない方には申し訳ないですが、本当に面白くて、後半の岡田氏が泣きそうになるあたりでは、自分も涙ぐんでました(笑)
このオタクイズデッド(おたくは死んだ)は2006年にロフトプラスワンで行われたワンマンイベントで、その後、岡田斗司夫本人が加筆修正した「おたくはすでに死んでいる」が新潮新書から出版されています、現在はAmazonなどで電子書籍版もあるようなので、興味のある方はそちらで。
さて、この動画を見たあと、自分にとって「オタク」とは何だろうと思ったわけですね。
因みに筆者はオタク気質ではありますが、幼少期から今に至るまで自分でオタクと名乗ったことはありません。別にオタクを差別してるんでは無くて、むしろリスペクトする故です。
「自分なんて、知識も浅いし、読んでる作品見た作品も少ないし、特殊技能もないしでとても大手をふってオタクを名乗れない。自分なんぞが名乗ったら本物に失礼だ」
上に書いたことが小学生くらいから今まで、私がずっと思ってることなんですね。なので、最近のなんか中途半端なただのファンがオタクを名乗り、自らのステータスの一つのように振る舞うことに強烈な違和感がありました。
私が小学生から中学生くらいまで、おたくは差別用語でした、オタクイズデッドの中でも語られていますが、今の10代くらいの方にはわからないかもしれませんが、あの当時、おたくといえば、性犯罪者予備軍、ロリコン、変態、変人、根暗、不潔、気持ち悪い、社会不適合者と凡そ人間に向けられていいとは言えない惨澹たる評価だったんです。
別にアニメ好きな訳でない奴が「あいつ、暗いしうじうじしてるからおたくだぜ、絶対」「うそ、きもーい、でも間違い無いかも」なんて後ろ指さされたりしたんです( ノД`)…
自分が高校生くらいからでしょうか、おたくがオタクと表記され始めて、何となくネガティブな評価がマイルドになっていきました。
おたく的な趣味をカミングアウトする芸能人とかが出てきて、世間の認識も、暗いし変人だけど、何かすごい奴等、みたいなものになっていて。
で2000年代に入ったあたりで、ネガティブなイメージは残ってはいるけど、オタクやマニアってのが、インドア系趣味のオピニオンリーダーみたいになった時期があって、そこで完全に市民権を得たんですよ、オタクって。でも同時に「自分オタクでーす」って言う奴が急に増えたんです。
オタクイズデッドは社会構造の変化がオタク文化にもたらした変遷を丁寧に解説したものですが、それと同時に日本人の意識の変化を暗に語ったものでもありました。
岡田斗司夫氏はオタクイズデッドの中で、旧来のおたくをニーチェの超人思想になぞらえていました、自らの知的好奇心で道を求め、偏見に屈しない精神を持つ理知的で強いおたく像が旧来のおたくだと言っていました。
これは筆者にとってのおたく像と嬉しいことに重なります。
そして、分かりやすさが求められ、難解なものが排除された結果として、多くのライトユーザーを取り込むことに成功した反面、そうした旧来のおたくは姿を消しつつある、おたくは死んだというわけです。
様々な媒体があり、多くの娯楽のある現在、コアに一つのことを突き詰めるよりも、手軽に色々なことを楽しむ効率の良さが求められていて、創作物の消費のスピードや、その単価は下がり続けているように感じるんです。
クリエイターへのリスペクトが軽くなっていて、作り手と受け手双方の垣根が払われることで、多くの可能性が拡がる一方で双方のモラルの低下も問題になっている。
おたく文化が役目を終えたと涙したおたきんぐと、新しい時代の中でもクリエイターとしての矜持と誇りを見せてくれたヒカキンの配信を同日に同じ端末で見れる。
うまく言えないのですが、泣いてしまったんですよね、おっさんだなf(^_^;
YouTubeなんかも、再生数狙いなだけの若者や芸能人が押し寄せて、収益率は下がる一方のようですし、Googleが今の形でどこまで収益体制を維持するのかは不透明ですね。
少なくとも、収益の無かった時代から土壌を作ってくれた先駆者たちの努力を無駄にするような行いは慎んでもらいたいものです。
おっさんの独り言に付き合ってくれてありがとう(*´・ω・`)b
良かったら感想で愚痴ってくれ、
なんでも聞くぜ(*´・ω・`)b
ただ、あんまりいじめないでね、泣いちゃうから( ノД`)…