午前•崖の上の城に住む王様
子沢山の小国から岩だらけな王国へ、まるで椅子から立ち上がるみたいに気軽な様子で嫁いだのは、美しい金髪に澄んだ青い瞳の小柄な王女様でした。
彼女の名前はキリ。正式にはもっととても長いのですが、故郷のお城のみんなはキリ姫様と呼んでくれました。
王国も小国と同じくらい普通の国でしたが、お輿入れにはお迎えを送る伝統がありました。
お迎えは、お婿様になる若い王様でこそありませんが、王様の右腕とも呼べる方がおいでくださいました。
岩だらけな王国では、馬車が使えません。岩山ばかりで進めないのです。では歩くのかというと、まさかそんなことはありません。
王国馬という、岩場を楽々と登ってゆく特別な馬に乗って遠くまで行くことができるのでした。
柔らかなクッション付の立派な鞍で、快適な乗馬を楽しみながら、キリ姫様はこの岩だらけな王国の、崖の上のお城にやってきたのでありました。
「なんて素敵な方かしら。私の嫁ぐ王様は」
王国馬の背に揺られ、キリ姫様は弾む心で嫁いでいらしたのでありました。
今、この国に来てからキリ姫様はお后様と言われるだけで、名前を呼ばれることはありません。
けれども、キリ様は気にしません。岩だらけな王国でも、お城のみんなと仲良く暮らしておりましたから。
「お后様、お菓子をどうぞ」
「あら、ありがとう」
「このお菓子は、王様が特別に森の国からお取り寄せになりました」
「まあ、素敵。なんてお優しい王様でしょう」
キリ様は頬を染め、茶色いサラサラ髪のがっちりとした王様を思い出しては幸せそう。
お菓子はとっても繊細な小鳥の形の飴でした。小指の爪ほどしかない小鳥たちは、ちゃんと羽も嘴も目もあって、色によって形も少し違うのでした。
「お后様、ガラスに閉じ込めたお花です」
「まあなんて神秘的」
「お花の咲かないこの国へ、王様が花園の国からお取り寄せになりました」
「まあ、素敵。なんてお優しい王様でしょう」
キリ様はうっとりと、美しい緑の目をした王様を思い出しては嬉しそう。
この岩だらけな王国では、新鮮なお野菜もお魚もほとんど食べることが出来ません。
けれどもキリ様には、干したお野菜やお砂糖やお塩に漬け込んだ果物やお肉が珍しく、毎日楽しくお食事をいただいておりました。
ある日、朝ごはんが済んだキリ姫は、後ろに控えていた給仕さんに声をかけました。
「ご馳走様、素敵な朝ごはんでした。下げて頂戴」
その朝は、珍しく新鮮な鳥の肉刺しがありました。つやつやと赤い切り口をみせた薄切りの肉は、純白のお皿に丁寧に並べられておりました。
細かい扇形に切られた黄色い柑橘を散りばめられて、お肉の赤は、より一層輝いて見えました。
とても美味しかったので、キリ様は王様にお手紙を書くことに致しました。
王様はお忙しいので、お后様のキリ様でもなかなかお話が出来ないのです。何か伝えたいことがある時には、いつもお手紙をさしあげるのでした。
お返事が来るとは限りません。何しろ王様は、とてつもなくお忙しい方なのです。その日もお手紙や伝言は返ってきませんでした。
それを特に気にするでもなく、キリ様はお昼前のひと時を小さな見晴らし部屋で過ごしておりました。
その部屋は、物見の塔とは違います。何もない崖の上のお城で、お后様や子供達が退屈しないですむように、岩だらけな王国の昔の王様が造ったお部屋なのでした。
「毎日観ても飽きないわ」
キリ様は、縦長にくり抜いた窓から外の景色を眺めます。ごつごつした岩や、大きな岩、大きな岩に寄りかかる細長い岩。それから、欠けたり割れたりした岩も見えます。
「岩といっても、色も形も様々なのね」
お供のミリカにウキウキと話しかけておりますと、突然見晴らし部屋の扉が開きました。
「后よ、岩鳥の刺身が気に入ったとな?」
優しい声が、小さな石造りの部屋に響きます。キリ様は、愛しい王様の声に包まれて天にも昇る心地です。
「まあ、あの美味しい鳥は岩鳥というのですね」
キリ様は、なんとか気を取り直して言葉を紡ぎ出しました。
「見えるか?あれが岩鳥だ」
王様は、窓辺のキリ様の背中からふわりと寄り添い、指さします。
見れば、眼下の岩山に遊ぶ鮮やかな青い鳥がおりました。
「あら、こんなに近くで獲れるのですか」
キリ様は、平静を装ってお返事なさいますが、心の中は幸せと焦りでごちゃごちゃです。
「うむ。幼き折より捕らえておるぞ」
王様の自慢そうな素振りにも、キリ様は胸がドキドキと高鳴るのでした。
「ああ、今朝のものは王様が手ずからお獲りに?」
もしかしたら?と期待を込めたキリ様に、王様は少し照れながらお答えになりました。
「左様。美味であったろう?」
「はい。とても。付け合わせの、緑色をした薬味を擦ったようなものと、とてもよく合いました」
「あれは我が国の特産品だ。苦手な者も居ると聞く」
「まあ。あんなに美味しいのに」
キリ様のお返事に、王様はとても満足そうに微笑みました。
それから、王様はなんだかもじもじし始めました。キリ様は、どうしたのだろうと王様の様子を見ています。
「うむ、うん」
「はい」
「その、なんだ」
「はい」
王様は、大きく息を吸い込むと、にこりと笑ってこう言いました。
「キリよ、よくこの王国へ来てくれたなあ」
「はい。フォグさま。こちらへお呼びくださいまして嬉しゅうございます」
「ううむ」
初めて呼び合う互いの名前は、王様には恥ずかしく、キリ様には勇気を与えるものでした。
視線を逸らすフォグ王様にふふっと笑って寄り添うと、キリ様はまた、窓の外を見渡しました。
2人の眺める岩だらけの山には、岩鳥の他にも、緑色の王国山羊や茶色い岩山兎が忙しなく動き回っておりました。
2人はそっと身を寄せ合って、生き物たちの姿を見ています。
「王様、ご休憩時間が終わります」
部屋の隅で控えていたお付きの者が、控えめながらも毅然とした態度で進言します。
「左様か」
フォグ王様は、キリ様をぎゅうっと抱きしめると優しくひとつキスをして、
「では晩餐でな」
とキリ姫様の眼を覗きます。
「はい」
キリ様も、見つめ返しました。
2人の佇む窓辺には、小鳥の声が楽しげに聞こえてきました。そして、開け放たれた細長い窓から穏やかな風が吹き込んで、見つめ合う2人の髪を揺らすのでした。
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