元人魚姫ですが、今日はもちの気分です、こんにちは(2025年)
その日俺は、部屋に入った瞬間、白い塊と目が合った……。
いや、何処に目があるかが分からないので、実際には合っていないのかもしれない。
「あ、泡?」
机の上にある白い塊は、半分に割った球体が二つ重ねたようなフォルムをしている。しかし、いつもの泡感がない。なんというか、カチカチだ。
干からびた泡とでもいおうか……いや、まて。泡は干からびても泡という形で石のように固くなるのか?
泡の生態は謎が多いので、泡のミイラというものが存在するのかどうかさっぱり分からない。
「そんな……何でこんな固くなっているんだ」
こわごわと指先で突っついて見るが、ふわふわ感はなく、固く冷たい。……そんな冷たくなって……いや、泡の体温は最初から冷たかったはずだ。落ち着け、俺。
「泡、返事をしてくれ……。頼む!」
「はい。どうしました?」
「あ、泡?」
返事が返ってきた。
「はい。ただの泡です。こんにちは」
「びっくりさせないでくれ……。なんで今日は、こんなミイラのように固くなっているんだ?」
「いえ。それ、私じゃないです。泡違いです」
よいしょ、よいしょという掛け声を上げながら、壁をつたって泡が登ってきた。
よかった。いつものただの泡だ。……よかったのか?
元人魚の彼女が泡でいるのは、彼女が望んだことではあるけれど……。泡であることがよかったでいいのかは何とも言えない。
でも泡のミイラになっていなかったことはよかったでいいだろう。
「ならば、このミイラ泡は誰だ? ……いや、そもそも生きているのか?」
泡が生きているならば、ミイラの泡だって生きていてもいい。
だが、ミイラは死んだものがなる姿だから、そう考えると矛盾が生じる。
「えっ。ミイラは生き物ではないですよね」
顔がないのに、泡がキョトンとしているのが空気で分かる。
間違いない。その通りだ。
だが、ただの泡だって生き物といえるのか?
お前が言うなという気持ちが湧きあがる。しかしそんなことを言っていいものだろうか。もしもその所為で最愛の泡が落ち込むことになったら……。
「まあ、ただの泡も、生き物といっていいか微妙ですけどね」
「お前が言うな」
あっけらかんと言われてしまい、反射的にツッコミを入れた。
「えへへ。まあでも、これは、生き物じゃないですよ。東の方の国で、新年になると食べたり、飾ったりする、【もち】というものだそうです。魔除けの意味があり、その東の国では命を懸けて食べるそうです」
「……待て。魔除けまでは分かったが、なんで命をかけて食してるんだ」
魔除けしているのに、食べるために命をかけるというのは矛盾していないだろうか?
そんな俺の疑問を聞いたただの泡は、首をかしげるかのように、ぐにょんとアーチ状に曲がった。……相変わらず芸が多い。
「なんでですかね。毎年、千人を超える死亡者がいるにもかかわらず、食すのだそうです。まさに、白き魔物。はっ。これは、まさかのキャラ被り。このままではお役御免に——」
「ならないからな。どちらかに退場してもらうのだとしたら、間違いなく【もち】だ」
いや。本当に、なんで俺の部屋に置いた。
「しかし、王子をお守りするために、魔除けは大切ですよ。毎年千人以上殺せるなんてたよりになります。リストラするわけにはまいりません」
「……食べて死ぬわけだから、飾っておくだけならば死ぬことはないのではないのか?」
疑問をぶつけると、ただの泡は、ぴたりと固まった。
「想定外です。まさか、そんな弱点が」
「そもそも、俺は暗殺者を雇いたいなんて一度も言っていないからな」
「しかし食べられること、それは愛。また食べることも愛なのだから、食すことを拒むなど……」
「俺には食べて表現する愛はないし、そもそも【もち】は愛していない」
見た目がただの泡に若干似ていようと、このもちはただの泡ではないのだから愛することはないだろう。
「俺が愛しているのは、ただの泡だけだ」
「ひょわっ」
ただの泡が爆発した。
そして、飛び散った泡が、ずるずると動きまた一つに集まってくる。……どの泡が本体なのだろう。
「そもそも俺が愛して食べて死んだら駄目じゃないか?」
「そうですね。本末転倒でした。そもそも王子を守るために、他者を頼るという発想がよくなかったですね。守るならば自分の力で!」
「……ほどほどにしてくれよ?」
ふんむーと気合を入れる泡を俺は突っつく。
どこから【もち】入手したのかは知らないが、彼女なりに俺を思って部屋に飾ったのだろう。そう思うと、このもちも可愛く……ないな。うん。可愛くはない。
でもしばらく飾っておいてもいいかとは思う。
そんなことがあった次の日。
部屋に戻ると、机の上に二つの白い球が重なったような姿の、ただの泡がいた。反応に困る形状だ。そもそも二つに分かれているのか分かれていないのか。別れているならばどちらが本体なのか。
「雪だるまの真似か?」
「違います。白い魔物、もちの真似です。私が王子の魔除けになります」
「……それは心強いな」
正直、雪だるまの真似にしか見えないが、それでも俺のために考えてくれたのだと思うと嬉しくなる。
「はい。目指せ千人殺しです」
「それは心配しかないというか、頼むから食われないでくれ」
俺のただの泡は、今日も可愛く強くて物騒だ。
 




