ただの魔女だけど、本気だすわよ!
魔女さん視点のお話です。
私はごく普通のただの魔女よ。
……まあ、元は実験動物だし魔女の数も少ないから、ただの魔女というと、少々過少表現かもしれないわね。でも私は本物の天才魔女というのを知っているの。
あれよ。私のご主人様よ。
正直、私も昔はただのタコで水槽で飼われていたから、魔女が多くいた時代をしっかりと知らないわ。だからご主人様が普通だったのか規格外だったのかは分からない。でも間違いなく、私とは全く違う、規格外な魔女よ。たぶん今私が躓いている問題も簡単に解決させたでしょうね。
私が研究を続けている変身薬というのは、一種類ではなく、幾種類もあったものよ。勿論、製造方法は全て消えてしまったけれど。かつては様々なアプローチから多くの魔女が研究していたみたいよ。
初期の変身薬は、そもそも変身薬ではなく不老不死薬の研究中に偶然できたものみたいね。変身というよりも肉体を強化する事を目的で作ったそうよ。肉体が強ければ死は遠ざかるからね。でも本来の肉体には限界がある。女体は筋肉量が男体よりも増やせないし、体が小柄であれば、やはり大柄な肉体よりも筋肉量は増やせない。つまりその個体個体で、絶対の上限量というものが存在するの。
そこで上限量を超えさせるために、肉体を変化させようという事だったのよね。
だから初期の変身薬の未完全なものを投薬した動物は、死ぬか【魔物】になったわ。ちなみに私はその実験の動物だった。
私のご主人様は、肉体だけ強化した所で、脳が劣化すれば意味がなかろうと、脳の強化を研究していたみたい。そして私はその実験の中で生き残った個体なの。
脳の強化はかなりの負担を強いるから、大半が死んでしまったわ。最終的に脳を80%利用しても死なない薬になったみたい。そもそも脳は10%程度しか稼働していないの。だからその稼働率を上げられるようにしたみたいね。だから私はタコの脳には変わりないけれど、その脳を80%程度常に稼働させられる個体というわけ。
勿論80%稼働できるからと言って、天才になれるわけではないわ。知識が勝手に入ってくるわけでもないし、ひらめきは稼働率にはあまり関係ないみたいね。ただ記憶力は良くなったから、必死に知識を増やす日々よ。
話はずれたけれど、そんなわけで肉体を変化させる事に集約して研究がすすめられた結果できたのが変身薬。元々肉体強化を目的として開発が進められていたから、変身薬はイコールで肉体強化薬でもあるわ。だから魔物は強いのよ。そしてただの泡の情報処理能力が高いのは、脳の強化を研究していたご主人が開発していた変身薬だからよ。
まあ、そんなわけで、変身薬のそもそもの目的が肉体強化だから、自由に好きな姿への変身薬ではないのよ。
ご主人は脳の研究を主軸に研究をしていたから、イメージから変身する変身薬を作っていたわけだけど、はっきり言ってイメージって言うのはとてもあやふやなのよね。
同族でも女性と男性で体の形が違うわ。それを見たことはあるかもしれないけれど、手足の形、顔かたち、体毛などを完璧に記憶なんてしてないでしょ? 特に体毛は地域によっては全て剃ってしまうみたいね。だとすると、本来生えている状況なんて知りようがないわ。
異種族ならなおさら、全てを完璧に知っているはずがないのよ。特に人間は衣服で体を隠してしまっているわけだし。つまり元々魚の尾っぽだった人魚が人間の足なんて知るわけないのよ。尾っぽが二つになればいいってものじゃないでしょ。下半身と言えば性器とかの問題もあるわけで……マジマジと多種多様のソレを確認させるわけにもいかないでしょ。
だから知らないものに変身するという事は、薬の段階で、指定をしてあげなければいけないの。
変身したい種族の女性なら女性の体を、男性なら男性の体を。この指定が、所謂呪術の類になってくるわ。その上で幅を持たせて、自分の好きな形に一部変容可能にするわけだけど――。
「本当に指定が多すぎて、上手く呪術を発動できないのよ。どうやってこの情報量を圧縮するのか分からないし、情報もこれだけで十分かどうかわからないの!!」
「なるほど。つまり、薬を作る次の段階が分からなくて、新薬開発が停滞しているという事ですか」
城からやってきた交渉人はニコリともせず、淡々と現状をまとめた。
オールバックにした鬼畜眼鏡は、私の新薬の進歩を逐一確認しに来て、契約がちゃんと遂行されているかを監視してくる。
「だから、それを調べるために、本を読んでるのよ」
「読むのは構いませんが、それで、どれぐらいで薬はできるのですか?」
ビュオォォォォ。
目には見えないブリザードが彼の背中で見えた気がする。……ううう。そんなの分かるわけないでしょうがと言いたいけれど、研究で資金を提供されると、やはりノルマというものが出てくる。そしてできなければ打ち切りですめばいいけれど、私の場合は、魔女の契約違反を黙ってもらっている状態だ。
魔女の契約はとても大切で、師匠もそれだけは絶対侵さなかった。魔女は契約違反だけはしてはいけないとされる。だから、私は必ずただの泡を人間にしなければいけない。少なくとも王子と愛し合っていて、王子が結婚していない状況でただの泡になってしまっているのは早急に改善させなければならない。
「ちなみに、文献の解読に別の者を使うという事は?」
「……それはできないわ」
変身薬が消えたのは、その薬の危険性からだ。魔女狩りが行われたのもその薬のせい。だから、私は変身薬を調べてはいるけれど、その薬の製造法を広める気はない。私が私の為に欲しいから研究しているに過ぎないのだ。
「研究が停滞しているけれど、他者を入れる事もできない。できない事だらけですね」
「し、仕方ないでしょ。魔女の研究はこういうものなのよ」
「ではやる気が出る話でもしましょうか」
「な、何よ。研究費を倍増してくれるというの?」
「まあ、資金の関係は殿下に直接どうぞ。必要な経費であるならば、拒まれないと思いますよ。必要ならば」
「わ、分かっているわよ!」
眼鏡の奥の瞳が剣呑に光っていて、私は反射的に怒鳴る。
出会った当初に、理詰めで淡々と契約やお金に関する事などを話し続けられ、半泣きになった記憶が蘇る。正直プライドを捨てて土下座しかけたわ。王子が直前でとめてくれたから、プライドを捨てきらないで済んだけれど。
「やる気が出る話というのはですね、うちの王太子殿下、人気者なんです」
「はあ」
「かくいう私も、殿下が統治する国を見たいと思っている一人です」
……何を訳の分からないことを話し始めたのだろう。
もしかして、うちの王子凄いを知れば、共感してきびきび働きたくなるとでも言いたいのだろうか? いや、ないわ。ここで王子様すごーいの話を聞いたところで、私が心酔するはずもなく、正直鼻をほじくりたくなるぐらいつまらなさそうな話だと思う。
「殿下の弟君は殿下に敵対する者には容赦せず、暗殺も厭わないぐらいに愛しておられます」
「ん?」
「公爵子息様も、それはもう殿下を目に入れても痛くないと思われるぐらい愛しておられ、殿下の害となる者がいれば、この国で生活できなくなるように様々な人間を動かします。ただし自分がそれをやったと知られないよう巧妙に」
「んん?」
「そしてその弟君と公爵子息はとても仲が悪いです」
何だろう。思っていた話と違う。
ぞわぞわと背筋が冷たくなる話をされている気がする。王子が愛されているという話を聞いているはずなのに。
「ただ殿下は自分が愛されていることに気が付いておりません。それどころか、自分の替えなどいくらでもいると考えています。更に、殿下は優秀であらせられるので、サバイバルでも生き抜けますし、普通に他国に亡命して平民となっても生き抜けるでしょう」
「王子なのに?!」
「はい。ご自分の事はご自分でできるよう、幼少期からやってこられていますから。もしもただの泡様が人間になれず結婚相手として認められないなら、確実に王位を捨てられるでしょう。殿下が初めて執着したのが泡様でそれ以外に執着というものを持っていらっしゃらないので。殿下を失った後……この国はどうなるでしょうか……。私もとても心配です」
心配ですと言う言葉が棒読みで心があまりこもっていないように感じたけれど……どう考えても危険じゃないの?!
なに、その地雷だらけの中を歩いているような状況。
「早めにお願いしますね。私もできる事なら、五年後もこの国が存続して欲しいので」
「ひぃ」
「内乱って、何のうまみもなく、ただ国力を消耗していくんですよね……。そして消耗したら、虎視眈々と周りの国が――」
「分かったから、怖い話をしないで!!」
なんて恐ろしい。
私はこの日から、今まで以上に必死に本の解読にいそしみ、死ぬ気で薬を復元させたのだった。