ただの泡ですが、母親やってます。
今日の業務を終えた俺は、愛しい者たちがいる部屋へ足早に進む。
そろそろ俺へ王位を譲る話が出てきているので、仕事が中々に忙しく、部屋に帰る時間が遅くなってしまうのが困りものだ。もう少し仕事の方法と種類の選別を見直した方がいいと思うが、妙に俺と話したがるものが多いのでそちらの対応も多くて困る。
俺が王になる可能性が高いので、皆俺と接点を持ちたいのだろう。情ではなく能力主義で政務は行うと明言した方がいいのだろうか? 公爵子息にチラッと確認したが、明言はしてもいいが、仕事の邪魔となる人物が居るならばリストアップして欲しいと言われた。……リストアップ後、何が起きるかが不穏な気がしたので、やはり俺の方が上手くさばいていくべき案件だろう。
裏で暗躍された安穏を求めているわけではない。
「最近気疲れが多いし、早く部屋に帰りたいな」
元々俺は、自室と仕事部屋を行き来するだけの生活で、人とのかかわりを極力少なくしていた。しかし最近は対人の部分が増加した為に気疲れする。王となるならば、最低限の社交は必要となるのでやるしかない。ただ腹の探り合いならばまだいいが、好意を向けられるのが疲れる。
特に弟と公爵子息から向けられる敬愛に気が付いてしまったのが大きい。前までなら気にも留めていなかったが、そこから発生する弟と公爵子息の対抗心の危うさ、さらにその対抗心による周りへの影響なども見えてきて、無視するわけにもいかなくなっていた。そして無視しないとなれば、俺も何らかの感情を返す事となり、そこが慣れないのだ。
まあそれはそれとして、仕事は楽しいけど職場の人間関係に困っているという、以前はよく分からなかった部下達の愚痴の類も理解できてきた。なるほど。
これにより働けなくなる者もいると聞くので、悩みを聞く部署のようなものを作った方がより効率的かもしれない。後は仕事ができるものが優秀な上司となれるとも限らない点も考えていくべきだろうか。仕事では上司と部下の人間関係が問題になっている場合もある。となると、人を育てるための勉強なども取り入れて行けるといいかもしれないな。上司が根性論タイプだとより部下への接し方に問題が――いっそ、その辺りを誰かに調査させて、対応策をいくつか出させるか?
そんな事をツラツラと考えていれば、目的の部屋に到着した。
俺はノックをして扉を開ける。
「ただいまシャボン――」
「お帰りなさい!」
シャボンは人間の姿で、笑顔で扉の方に駆け寄って来たが――。俺は、慌てて扉を閉めた。
「待てっ!! なんで、服を着ない!!」
確かにここは王族のプライベート空間で、自由な恰好をしてもいいが、やめてくれ。俺の心臓が持たない。
初めてその姿を見た時と同じ見事なプロポーションで、裸体も美しいが、それとこれは話が違う。
「いいか。人間は服を着るもので、裸体をさらすのは恥ずかしいんだ。というか、俺が困るし、他人になんか絶対見せたくないし、子供の情緒教育にも良くない」
「でも寝る時は、裸の方が寝心地がいいですよ? いま、子供達を寝かしつけしてたんです」
「そうかもしれないが……いや。本当に、俺の理性を試し続けないでくれ」
愛ではなく理性を試される日々だ。
俺はネグリジェを持ってきてさっとシャボンに着せてやる。最初は女性ものの服の構造など全く分からなかったが、最近は完璧に着付けもできる。勿論シャボンの為だ。
「えー。じゃあ、泡になりましょうか?」
「泡の君も好きだが、その……人間の君で今は居てくれないだろうか。……抱きしめたいんだ」
理性が云々を語っていたくせに抱きしめたいとか、俺は馬鹿かと言いたいが、気疲れした時はできればくっついて体温を感じたい。
「いいですよ。どうぞ」
ためらいなくシャボンが腕を広げたので、俺は遠慮なく抱きしめる。
彼女を抱きしめていると、シャボンはちゃんとここに居るのだと実感できてほっとする。
「もしかして最近少し痩せました?」
「……もう少し食べる量を増やすようにする」
たまに食べるのが面倒になって抜いていた所為だろう。相変わらずの筋肉確認をされて、俺は苦笑しながら答えた。彼女の好きな筋肉もちゃんと維持したいので、中々不摂生な事もできない。
「はい。お願いします!」
そう言って、えへへっと笑う彼女が愛おしい。昔は筋肉の為の発言だっただろうが、今は俺の体を心配してくれていると分かるから。
「少し子供達を見ていいか?」
「はい。良く寝てるので、多分起きませんよ。今日も海で水泳を楽しんでいました」
「きっと君に似たんだな」
元人魚と俺の子は、人間の姿で生まれた。勿論卵生ではない。だから人間でいいとは思う。しかし人魚の血が入っているからか、泳ぐのが大好きだし、シャボンと同じで好奇心旺盛だ。子供というのがそういうものなのかは分からないが、シャボンに似た部分を見つけると、更に愛おしく思える。
隣の部屋のベッドには三つの小さな頭があった。少しだけ大きいのは長男、残り二つは双子の長女たちだ。すやすやと可愛らしい寝息を立てている。本来なら王族や貴族の子供は、一人部屋を貰いそこで寝るのだが、人魚は幼い頃は親がつきっきりで見守るという習性があるので、今のところ寝室を一緒にしている。
「そう言えば、今日は海水浴中に姉の子が遊びに来てくれました。どうも魔女さんに聞いたらしくて」
「何か嫌な事は言われたりしていないか?」
「大丈夫です。それより、色々子育て方法を聞かれました。どうも私が育てた子達は、私方式の育児法を実践しているらしくて」
確かシャボンの育児方法は子供に手をかけるので、生存率が高いが、人魚の普通からは外れているものだったはずだ。その所為で変わり者扱いをされていたと言っていた。
「良かったじゃないか。シャボンの方法が認められたんだ」
「……いいんですかね? もしかしたら、あの子達も変わり者扱いされてしまうかも」
「思うんだが、普通というのは大多数がやっている事であるだけで、正しい事というわけでもないだろ? 俺は生存率が上がったと言うのなら、シャボンのやり方こそ正しいと思う。そしてそれを、君が育てた子達が実践すれば、さらにそれを推奨する者も増えるというわけだ。そして増えればそれが普通となる」
何が普通かなんて、生まれ育った場所や時間で変わってくる。
だって同じ時を生きるシャボンと俺は全然常識が違って、そして過去の王族と俺もやはり考え方が違う。
「もしも人間になりたいという人魚がいれば、魔女に相談してもらってくれ。交渉人を貸してもいい。人間になったら、この国で生きられるよう手を貸そう。もしかしたら、逆に君と俺の子供達も人魚として生きたいと言い出す事があるかもしれないしな」
「私は人魚出身なので楽しいことも知っていますが、人間として生きたのなら、人魚の生活はそれほど刺激的な生活だとは言えないと思いますが」
「それを決めるのは俺でも君でもなく、子供達だ。それに未来では、人魚と人間が結婚するのは普通になっているかもしれない。最近、魔物の数が減っているという話も聞くしな。色々魔女達が開発しているんだろう」
ダオと魔女が何をしているのかは知らないが、もしかしたら魔物が人間になったりただの動物になったりしているのかもしれないなと思っている。この国の害にならない限り、彼女達には自由に仕事をして貰っていた。元々魔女狩り後は、交渉人を作るなど、魔女を尊重してきたわけだしな。
ともかく、ダオと魔女がいる限り、変身薬がこの世から消えたわけではないという事だ。
また悲劇を生み出さない為にも、もっと限定的な薬にしていく必要があるだろうが、もしかしたら未来ではそれが安全に使えるようになっているかもしれない。
どうなるかなんて分からないし、普通だって変わっていく。
「未来はどう変わるか分からないが、俺は君を愛し続けるという事だけは変わらないからな」
「はい。私もです。王子が王子でも王子じゃなくても愛してます」
俺は可愛すぎる事を言うシャボンの唇を唇で塞いだ。
この先もいつだって俺の愛は試され続けるだろうけど、答えは永遠に同じだ。




