ただの泡ですが、王宮って怖い場所ですね
とりあえず、ただの泡が人間になる手がかりを掴むことができた。
さて、次は何故母がドラゴンになっているかだが……正直に言えば、聞きたくもあるが聞きたくないという気持ちもある。想像だにしていなかった現実に心が追い付いていない。
それでも何があったか、俺は知るべきだろう。たぶんこれは母一人の問題ではないはずなのだから。
「私が魔女について話せるのはこれぐらいだから、今度は私が何故ドラゴンになっているかね。どこから話せばいいかしら。私はこの国に人質という形で来たけれど、……正確には王の暗殺も視野に入れた人質としてこの国に嫁いできたの。この国でも変身薬が過去に使われていたけれど、私の国も同じだったわ。それを作った魔女はいなくなってしまったけれど、王家はまだ隠し持っていて、嫁ぐ私に渡したの。何か母国とこの国の間で問題が起これば、王を消して、母国にとって有益な別の王を立てろとね」
……最初からかなりショッキングな情報をもたらされて、俺は頭を押さえた。
可哀想な女性と思っていた人は暗殺者とか……今までの悩みは何だったのか。いや、暗殺者と言っても必ず暗殺をするわけではないので、やはり王が女性にやった事はクソだが。
「私のおじい様、つまり貴方にとっての曾おじい様はね、政敵を薬の力で抹消したわ。あの頃は、魔物に変えるような薬が入っているかもしれないと思って、食事も満足に摂れなかったし、兄弟ですら疑い合わなければいけない嫌な時代だった。私の初恋は従兄のお兄様だったけれど、彼はある日突然目の前で魔物になって捕らえられたし、とある貴族の殿方がくれたお菓子を動物に与えたらその動物が魔物になったりしたの」
知り合いが魔物になったり、魔物になる薬を盛ったりする時代……想像するだけで恐ろしい。
「だから私は、とても親に従順な子供だったわ。でもね、心底侮蔑していた。人を嵌めて手に入れた地位に何の価値があるのかと思った。でも大人になると分かるのは、あの人達も自分や自分の大切な者が魔物にならないようにやっていたんだって。結局おかしな薬を作ってしまったから、お互い疑い合って、殺し合う羽目になった。だからおじい様は魔女狩りを始め、父が変身薬が伝承していない事を確認した後に魔女狩りを禁じたの」
ここはただの泡から聞いた話と同じだ。
酷い時代を生きたからこそ、それを教訓に変身薬を禁じた。
「でも、人の心には魔が住んでいるのよね。自分が持っている変身薬は捨てられなかった。もしかしたら使わなければまた自分の身が危険にさらされるかもしれないと思ったのよね。実際、困った時は使っていた。私が持っていたのは、あの国では一応最後の薬と言われているわ。それを持って、あの国が畏れる国に私は嫁いだの」
薬の危険性は分かっていただろう。だから誰も使えないように禁じた。それでもそれによって生み出される安全も経験してしまった人は、自分なら使いこなせると使ってしまうものだ。ある種の学習である。
なんとなく、何が起こってきたかは理解できた。
「それでも父には使わなかったんですね」
「使えと命令は来たけどね。本当に疑心暗鬼になっている人間は厄介なのよ。でも私は貴方の父親なら、波風立てない政治ができると判断した。彼もね、変身薬がもたらした惨劇を経験して、祖父や父親を嫌悪してたから。だからこそ、私はあの人を魔物にしない方法を考えたの」
「それが貴方がドラゴンになる方法だったと?」
「ええ。薬を捨てても、私がいる限り、今度は毒殺を命令してくるだろうと思ったから。それに、もう王宮のいざこざは嫌だったのよ。私自身、何もかも投げ捨てたくてね、貴方の乳母と共謀して、私は王宮から逃げたわ。魔物になったっていいと思ったから。私は魔物になった従兄が捕まるのを見ているしかなかった時点で、心は魔物だと思っていたから」
彼女はそう言って、嘲笑した。
……俺の母は、何処か壊れた人間だったようだ。あの男も同じく何かが欠けている。この二人がから産まれた俺もまた、色々欠けた人間なのだろう。
俺の心にある、あの男への侮蔑は、同族嫌悪なのかもしれない。あんな男でも同じように親を侮蔑していたのだから。
『人間の王宮って、怖い場所なんですねー』
母の告白を聞いていると、俺の肩の上に登ったただの泡が、何だか気の抜けるような感想を言った。いや。間違ってはいないけれどな。
「……やっぱり王宮で暮らすのは止めるか?」
『大丈夫ですよ。だって、王子が王様になるんですから』
「ん?」
『王様になるから王子は王子なんですよね?』
いや、そうなんだが。
俺が王になるから大丈夫の意味が分からない。
「このまま俺が辞退しなければ、間違いなく俺が王になると思う。だが、それと大丈夫が繋がらないんだが」
誰でもなれるとは思うが、順当に行けばその座に就くのは俺になる。
『チッチッチ。人間は学ぶ生き物です。無駄な諍いを続ければ、消耗するだけだって乳母も、王兄も分かっています。だからものすごい、弟君も従兄君も王子派です。実際、王子は仕事できますし、尊敬バリバリされて当然なんですけど』
……何処情報だ、ソレ。
従兄弟である公爵子息とは、仕事上それなりに交流はあるが、弟とは年に数回顔を会わせる程度の仲だ。はっきり言って、仲がいい兄弟ではない。
「尊敬されるような事は何もしていないと思うが?」
『そう思っているのは王子だけです。王子が雇用を生み出して貧困街や孤児をなくしたり、治水によって農作物の収穫量を上げたりといったことをしているのは有名ですよ』
「それは仕事だからだ」
仕事として割り振られれば、その課題をどうにかするに決まっている。仕事なのだから尊敬する内容でもない。俺でなくとも、同じ結果をはじき出せるはずだ。何ら特別な事はしていない。
『貴方が母親としての仕事を放棄したから、王子がこんな風に育っちゃったんじゃないですか。でも謙虚だから余計に王子に入れ込む人も多いんですよね。困った王子です。とにかく、私は王子の代では絶対大丈夫だと思っています。そして王子なら淀んだ王宮の空気も変えてくれるはずです!』
凄く堂々と言われたため、否定もできない。もしも否定したらただの泡は俺の隣にいられなくなるという事でもある。なので俺は苦笑いするしかなかった。




