ただの泡ですが、超、超お役立ちする泡です!
ドラゴンが変身薬で、俺の母親になったのを俺は呆然と見ていた。
生きていたという喜びより、混乱が大きすぎて、感情がついて行かない。
「そう……。やはり貴方は、私の可愛い息子のミケルなのね」
『気安く名を呼ばないで下さい。この方は、王太子。王位継承権第一位なんです。ただの、ドラゴン風情が、気安く呼んでいい方ではありません!』
「……って、何でお前が言うんだよ」
俺が何も言えなかったからだろうけど、ただの泡がぷんすこ怒りながら、俺の母親だった女に文句を言う。まあ、確かに俺は気安く呼んでいい立場ではないけれど……というか、そういう事ちゃんと分かっていたんだな。ただの泡のいつもの行動を考えると、人間の地位などよく分かっていないだろうと思っていた。いや、今更、かしこまられたら俺が泣くけどな。
『私は王子の寵愛を一身に受けるただの泡です! だからそこそこ偉い泡なのです。なのではっきり言ってやりますが、ドラゴンとして生きていたという事は、彼女は母親である事を自ら捨ててここに居るという事ですよね? 今更母親面されるとか、嫌です。ものすごく、ムカつくんです』
やはり、自ら王宮を出たのか。
ただの泡から貰った情報を組み立てていけば分かる。あの日あの場所で落ちたのはわざとで、変身薬でドラゴンとなり俺らを追い払ったのだ。隣国の王女だった母は、変身薬を持っていてもおかしくはない。作れる魔女はいなくなってしまったが、薬が残っていないとは限らないのだから。
そして乳母が助けようとしなかったのは……彼女も知っていたのだろう。母が王宮から出て行くために一芝居打つことを。
「確かに偉い泡だな。俺の命よりも大切な泡だ」
『私は王子の命が大切ですから!』
ぴょんぴょんと飛び跳ねて愛を語ってくれたことで、体の緊張が取れた。
それにただの泡が飲ませた薬は一時的にしか人間にしてくれないものだ。再びドラゴンに戻られたら何も聞けなくなってしまう。
「お久しぶりです、母上。折角の再会ですが、時間がありませんので手短に色々聞かせていただきたいのですが」
「時間がない?」
「はい。今ただの泡が貴方に飲ませた薬は、一時的に体を変身させる薬です。数刻後にはまた元の姿に戻るでしょう」
「……私の為にこれを?」
「いいえ。これは私の大切な泡の為に作ったものです。彼女も、本当の姿はただの泡ではありませんから」
母の問に俺は首を横に振った。頷いた方が優しい嘘となったかもしれないが、俺にとって母は……過去だ。
「今聞きたい点は二つ。一つはこの森に元魔女はいるのか? もう一つは、どうして貴方がドラゴンとなっているかです」
「私については二の次なのね」
寂し気に笑う母になんと言っていいか分からない。
ずっと母は可哀想な女性だと思っていた。隣国から人質として連れて来られ、父と愛のない結婚をしたうえ、息子の乳母に父の愛人が付いたのだから。
実際、ここまでの情報に偽りはないので、可哀想な女性であった事は間違いない。でも彼女はドラゴンとなり生きていた。状況的に、自らそうなったのだろう。
だとすれば、俺は彼女に……捨てられたという事だ。
『当たり前じゃないですか。息子は貴方のアクセサリーではない。つまり独立した別の人格です。何も言わず捨てておいて、今更母親を一番に考えてくれると思ったら大間違いです。そもそも、王子は成人男子で、王宮でも凄く仕事ができて、皆から尊敬される一人前の人間なんです。貴方が子離れが上手くできていないからといって、王子まで親離れできないマザコンだと思わないでいただきたい』
マザコンではないと思いたいが、俺もそれなりに色々引きずっているけどな。
ただ、母親一番かと言われればそうでもない。俺はただの泡が一番大切だし、そこは間違える気はない。
ただ、ただの泡よ。妙に俺の事を持ち上げ過ぎではないか?
「ずけずけ言ってくれるわね」
『言いますよ、私は! 主婦姑戦争は、古今東西、昔から起きるものなのです』
「いや、人魚は主婦姑戦争なんてないだろ」
だって、結婚という概念すらない一族だし。本当に、何処でこういう単語を覚えて来るのだろう。
『とにかく、もしもあなたが今も王子を息子として愛しているというのなら、つべこべ言わず質問に答えるべきなんです。それが何年も王子を苦しめた、貴方にできる唯一の事でしょう?!』
……そうか。
俺は、苦しかったんだな。
ただの泡の代弁で、自分の感情の一つに気が付く。あの男を心底侮蔑していて、母が可哀想で悲しかったけれど、俺自身も母を苦しめる一端だったと思うと、ずっと苦しかった。俺自身が罪の塊のような気がして。
俺なんか、生まれてこなければよかったと、ずっと心のどこかで思っていた。
自分を否定して、でもやらなければいけない事は山積みで、だからできるだけ何も考えず黙々と王子をやってきた。
「……たぶん、元魔女だと思う魔物はいるわ。私は会話ができないから、絶対そうだとは言えないけれど」
「……会う事はできますか?」
「探してはあげられるけれど、私とは違い小動物のような姿だから、絶対見つけられるとは限らないわ」
母は何も言い訳をすることなく、俺の第一の質問に答えた。
とりあえず、元魔女がいるはずという事が分かっただけでも大きな収穫だ。魔女だって沢山いるだろう。偶然出会えた人物が完璧な変身薬の作り方を知っているとは限らない。それでも、その人物は別の魔女を知っているかもしれないし、もしも知っている魔女に会えれば、今度こそただの泡を人間の姿にできる。
『大丈夫ですよ、王子。いると分かれば、私の情報収集力の真の力を発揮しますから!』
「し、真の力だと?!」
いや、今までも十分情報収集力が高かったと思うのだが。この上があるというのだろうか。
『ふふふふ。ただの泡ですが、私は超、超お役立ちする泡なのです。えっへん』
胸をそらすかのように、ただの泡がアーチを描いた。




