ただの泡ですが、物申したいです
ドラゴンが現れあわてた俺は咄嗟に剣を抜いた。
ただしドラゴンの鱗は鋼よりも硬いと聞く。剣だけでは難しい可能性が高い。しかもそらを飛ぶので厄介だ。倒す方法として考えるならば、やはりうろこに覆われていない目か口の中を狙う方法だろう。後は薄い羽根を破り、飛べなくするのもいいかもしれない。体が大きいので森を歩くには適していない体格だ。倒すというよりも深手を負わせて逃げるという方法になるが。
『王子、まだ攻撃しないで下さい』
「……そうだったな。敵意はないのか?」
油断せずドラゴンを睨み剣先は向けるが、自分自身に落ち着けと言い聞かせる。ただ俺にはドラゴンの表情の変化など分からないので、害意があるかどうかは見極めが難しい。
間近で見たドラゴンは大型の爬虫類のような姿だが、背中に蝙蝠のような羽があった。目は猫に近いだろうか。金色の瞳にある瞳孔は長い。
大きな口には、無数の牙があり、いかにも肉を食べていると言った顔をしている。
どうしても油断はできない見た目だ。たとえ害意がなくても、俺の頭ぐらいなら簡単にかみ砕けそうだ。
『分かりませんが、こちらを伺っているのではないでしょうか? もし襲うなら、既に鉤爪で攻撃を仕掛けてきてもいいと思います』
ドラゴンの手は胴体に比べて長くはないが、鋭い鉤爪になっている。あれで切り裂かれたらひとたまりもないだろう。さらに尻尾も固い鱗で覆われているので、鞭のように振り回されれば同じく無事ではすまない。
「ドラゴンよ。私の言葉は分かるだろうか?」
そもそも戦って勝てる相手ではなく、傷を負わせ、隙をみて逃げなければいけない相手だ。俺は意を決して、頭上から見下ろしてくる相手に声をかけてみる事にした。
次の瞬間ドラコンが咆哮を上げ、空気が震えた。あまりの音に、俺は耳を手で塞ぐ。どっちだ。これは攻撃か? それとも頷きか?
さっぱり分からない。
一つ分かったのは、ただの泡とは違い、人の言葉を喋る事はできなさそうだ。
ならば、どうやって意思疎通ができるか、確認をすればいい? 少なくとも、今すぐ俺を食べる気はなさそうな事だけは分かった。もしもそうならば、さっきただの泡が言ったように攻撃をされていなければおかしい。
「降りてきていただけるだろうか? 剣は、ここに置く」
俺は剣を地面に置き、そこから一歩下がった。
もしも攻撃をされた場合は、丸腰で逃げる羽目になる。だが、ドラゴン相手なら剣があろうとなかろうと同じだろう。とにかく隙をついて逃げるしかない。
ここで下りてこなければ言葉が通じていない可能性が高い。
緊張から喉の渇きを感じつつも、俺はドラゴンから目を離さなかった。俺一人だけではなく、ただの泡もいるのだ。何とかしてこの窮地を脱しなければいけない。
そんな事を思っていると、ドラゴンは俺の目の前に降り立った。羽ばたく度に突風が襲ってくる。
真正面から見るドラゴンは、さび色の皮膚をしていた。そこをガラスのようなうろこが覆っている。実際にはガラスより数十倍固いものだと聞く。うろこは半透明で虹色に輝いて見えた。羽根は折り畳んでいるが、頭上で見た時は体よりずっと大きかった。
想像していたよりも、美しい姿だな。魔物なのでもっとグロテスクな外見かと思っていた。
「私の言葉が分かるんだな」
次は何もしゃべらなかった。ただこちらを見ているだけだ。先ほどの咆哮で俺が倒れかけたのが分かったからかもしれない。
どうやら、それなりに高い知能を持っているらしい。……魔女の話は本当だったのか。
元人間なのか、元人魚なのか、それともまったく別の生き物だったのかは分からない。しかし、魔物は人間を襲うという定説は覆された。
『はーい。お口開けて下さい』
ただの泡がそう言った瞬間、ドラゴンは大きな口を開いた。口の中は青紫色をしており、少々気持ちが悪い上に、鋭い牙が並んでいる。とてもじゃないが、近寄りたくない構造だ。しかしただの泡は、まったく何のためらいもなくドラゴンに近づいた。
「おいっ!」
『ちゃんとごっくんして下さいね!』
俺が止める間もなく、ただの泡は見覚えのある小瓶の中身をその大きな口の中にぶちまけた。
『いいですか。元の姿を思い出して下さい。元の姿の時は話す事もできましたよね。ちゃんと思い出して。昔の自分の姿を』
ただの泡がそう言った瞬間、ドラゴンから煙が上がった。
やはりさっきのは、変身薬か?! まだ完成した変身薬はないので、ただの泡が一時的に人間になる為用のものだろう。
次の瞬間、霧の中から素足が見えた。紛れもなく、人間のものだ。しかも男らしい骨格ではない。
俺はすぐに後ろを向いた。知らない相手に背を向けるのは危険だと分かっているが、ただの泡という婚約者がいるのに、他の女性の裸を見るなど許される行為ではない。
「服を持っていないなら、俺のリュックの中に入っている着替えを着てくれ!」
俺は背負っていた大きなリュックを下ろしできるだけ後ろにほうり投げた。念のために一着分だけブラウスとズボンを入れておいたはずだ。
ごそごそと背後で音がしたので、ちゃんと服を着てくれているらしい。やはり元人間で間違いないという事だろう。
『王子。もう振り向いても大丈夫ですよ』
ただの泡に言われて、俺は振り向いた。
そこには、金の髪に琥珀の瞳をした女性が立っていた。全体的に俺の方が大きい為、服が余り袖を曲げている。
金の髪は長く軽くウエーブをしていた。……その顔に既視感を覚え、俺はマジマジと見つめる。
どこかで見たことのある顔ではないだろうか? そう。……俺より丸みがあるが、俺の顔に似ている気がする。
年齢は若く、二十代中ごろだろう。俺よりは年上だが、曾祖父の時代の人間だと思うと若すぎる。……いや、イメージした姿そのままにしかなれないのだから、年老いた自分の姿を知らなければ、若い姿になるのかもしれない。
「貴方は……」
「私の名前は、アナスタシアです。わけあって、ドラゴンとなり、この森に棲んでいます」
俺はアナスタシアを名乗る女性をマジマジと見つめた。
嘘だろ?
アナスタシアという名前は珍しくはない。しかし金髪で琥珀の瞳をしていて、俺に似た女性でアナスタシアと言うと、特定の人物が思い浮かんでしまう。
『ちゃんと説明してもらえますか? それが親の責任だと思います』
何も言えず固まっている俺の隣でただの泡は、俺の思っていることを言った。




