ただの泡ですが、○○でもあるようです。
とりあえず仕事を前倒してやり、周りにも指示を出しておき、俺は三日間の完璧な休みを手に入れた。困った時の指示を仰ぐ場所も指定しておいたし城にいなくても何とかなるだろう。
『王子って、思ったんですけど、働き過ぎではないですか?』
「そんな事はないと思うが? できないほどの仕事は請け負っていないからな。ちゃんと自分の力量は見誤っていないつもりだ」
なんでも自分でやればいいというものでもないと分かってる。それに能力以上の仕事を受け持ち、俺が倒れたら本末転倒だ。仕事が止まってしまう。だから、ちゃんとできる事、できない事は線引きしている。
「もしかして、部屋で仕事をしていたからか? あれはただ単に、一人でいる方が落ち着くから、一人で問題なくできるものは部屋でやっているだけだ」
別に仕事がさばききれないから部屋でやっているというわけでもない。
「それより、乗馬で来たが、大丈夫か?」
『はい! 楽しいです!』
「それならいい」
俺はただの泡と一緒に馬に乗って移動していた。馬車という手もあったが、馬車だとどうしても御者を連れて行かなくてはいけない。ただの泡と気ままに話しながら移動するには、この方が都合が良かった。
それにただの泡も馬に乗りたがっていたしな。
……多少馬が怯えていたが、俺がなだめれば落ち着きを取り戻したので、たぶん大丈夫だろう。見た目の問題か、それとも気配なのか。
ただの泡なら馬だって丸呑みできそうな気がするので、もしかしたら肉食動物を前にした草食動物の性なのかもしれない。ただの泡は、弱肉強食の厳しい世界の生き物だ。
「母が落ちた崖は、辺境にあるんだ。確か、あの時は視察で向かっていた気がする」
王妃、それに乳母と一緒に向かった記憶はあるが、何故その視察を行いに行ったのかは、よく分からない。調べれば視察の理由が分かるだろうが、俺はこれまであまり思い返さないようにしていた。
『確か、魔物が良く出ると言われる場所ですよね?』
「よく知っているな」
『メイドが噂していました。王妃の遺体を回収しなかったのも、魔物が多く出る為、危険と判断したからですよね?』
ずっと昔の話なのに、今も噂をする者がいるのか。
「そうだな。でも、俺の母が死んでからかなり年月が経っているのに、まだそんな噂をしている者がいるんだな」
『ああ。なんか王妃様の幽霊が出るから肝試ししようと相談をしている時にその話をしていました』
「……かなり不敬な発言だが……それだけ月日が経ったんだな」
死んだ直後はタブーに近かったはずだ。
それが今では、肝試しのネタに出せる程度になっているのだから、それだけ母の威厳も風化したという事だ。
うっそうと茂る森に入った俺は、魔物が出てこないか注意しながら馬を走らせた。
馬の方が危険察知能力が高く、魔物の気配も人間よりも早く気が付ける。だから馬の変化を見ていれば、おのずと魔物の気配に気が付けるだろう。
「魔物が出たら、リュックに隠れろよ。この辺りからは魔物の生息地だ」
『大丈夫ですよ。私強いので』
「それは知っているが……、もしもの事があったら……」
『大丈夫です。もしも食べようとして魔物が来たら、弱肉強食です! 正当防衛です! 食べようとする者は、自分も食べられると思わねばなりません』
……食べるのか。
魔物だから食べられないという話は聞かないが、食べたという話も聞かない。食べると危険という話を聞いた事がないので、特に毒があるわけではないと思う。毒がなくても食べないという事は、つまりは美味しくないのだろう。
だとすると、ただの泡が食べたところで問題はないが……かなりの恐怖映像になりそうだ。
「まあ、正当防衛……なんだろうな。あまり魔物相手にそういう言葉は使わないが」
襲われたから倒すのは当たり前だが、魔物は倒していいものだという認識が人間にはある。だから正当防衛といういい方はあまりしない。
『そうなのですか?』
「ああ。正当防衛というのは、本来なら傷をつけてはいけない相手に使う言葉だ」
ただの泡の、第一言語は人魚の言葉だ。人間の国の言葉だと細かいニュアンスを間違えて覚えている事もあるだろう。正式に習っていたわけではないしな。
『……あの。王子は、魔物はどういう生き物だと思っていますか?』
「どういう生き物? 抽象的な質問で答えにくいが、人間を襲う生き物だろ?」
魔物は人間を見ると襲う習性がある。
だから魔物は倒していい生き物だと俺達人間は思っていた。
『でも、それって野生で肉食の生き物なら、襲ってきますよね? 海の中だと、鮫とか』
「……言われてみるとそうだな。後は、本来はいるはずのない生き物というイメージだな」
魔物は神が作った生き物ではないと言われている。すべての生き物は神によってつくられたが、魔物は違う。だからアレは呪われた命なのだと言われていた。呪われているから、神に愛された人間が羨ましくて襲うのだと。
『本来はいるはずがないってどうしてそう思うんでしょうか?』
「……言われてみると、何故だろうな」
知らない生き物だからと言われれば、野生の生き物など知らない生き物の方が多いだろう。それでも、熊は生き物で、ドラゴンは魔物だと判別できる理由はなんなのか。
『魔女が言っていました。魔物は作られた生き物だから魔物なのではないかと』
「作られたって、誰に?」
『魔物ではない者に』
泡に言われた言葉と自分が知っている魔物について整理する。
神が作らず、魔物ではない者が作った存在。
人を襲う、呪われた命。
そして馬が、怖がる……。同じように馬が怖がる存在を俺は知っている。
嫌な説が俺の脳裏をよぎり、一度馬を止めた。嫌な予感で、心臓がバクバク言っている。
「なんで、そんな話を持ち出した」
『献泡している時に魔女から話を聞いて、ちゃんと私という存在を知ってもらいたいと思いました。最初に出会った時、王子、私に聞きましたよね?』
最初に出会った時と言えば……風呂場でのことだろう。
あの時俺はただの泡の事を——。
『ごめんなさい。最近まで私も知らなかったんですが、多分私、ただの泡ですけど、【魔物】です』
ただの泡の告白に合わせるように、森の奥から不気味な鳴き声が聞こえた。




