ただの泡ですが、おつかい行ってきます!
「本当に、本当に大丈夫か?」
俺はある日の朝。まるで過保護な親のように、ただの泡に色々確認をしていた。
『大丈夫です。王子に会う前は、一人で城下町も歩いたんですよ?』
「それはそうなんだが……」
確かに、シャボンはただの泡になる前は野性的だがちゃんと人間として生活をし、ただの泡になっても一人で生活をしていた。
なので、大丈夫と言われれば大丈夫だとは思う。思うけれど……やっぱり一人で外出させるのは、不安なのだ。
『それに今回は魔女さんの家まで、人間の姿で行きますから、魔物と勘違いされないように隠れながら進むのとも違いますし』
「……勘違いされたんだな」
『まあ。でもすぐに民家の隙間に隠れたので、「魔物!」っと叫んだ方も首を傾げていましたし、それほど騒ぎにはなっていないと思います』
ただの泡がススススと動いている姿は……確かに魔物っぽい。ただ、魔物というのは、どういうわけか人間の姿を見ると襲ってくる。だから襲わず逃げるならば、見間違えだと思ったのだろう。最近王都で人が魔物に襲われたり目撃された事例報告は受けていない。
それにただの泡は日常に、ある意味埋没できる形だ。
『王子もあまり外出が増えると、王子の仕事に支障が出ますよね?』
「やるべきことはやっている」
『知っています。外出をするたびに夜遅くまで頑張っているの。でも人間は寝ないといけない生き物なので、寝る時間を確保して下さい』
「……分かった。気を付けるようにはする」
俺が倒れたところで代わりはいると思ったが、ただの泡の世話ができるのは俺だけだ。というか、俺が彼女の世話をしたい。
なので健康にはそれなりに気を使っておくべきか。仕事だって突然俺の穴を埋めるというのも、それなりに労力がいるだろうしな。しかしただの泡との時間は大事だし……うーん。
『もしも仕事量が多いなら、王子を手伝いたいと思っている方は沢山いましたよ?』
「いや。仕事は、俺が何とかする。気を使ってくれてありがとう」
この仕事は、俺がこの地位にいる代わりの対価だ。別の者がやるならば俺は必要なくなる。いっそそうなってもいいが、まだ地位を手放していないならちゃんと自分自身の役目を全うするべきだ。
「それに、少々他にもやりたい事があってな。ついて行ってやれなくて済まない」
仕事とは別に、今日は昔教鞭をとってもらった講師を呼んでいた。その為、シャボンが魔女の所へ献泡をしに行くのとは別行動をすることになったのだ。
『それこそ大丈夫です! 気にしないで下さい。私も日中、自由にさせてもらっていますし』
「そう言ってもらえると助かる」
ただの泡が出かけたのを見送った俺は、早速講師に待ってもらっている部屋へと移動した。
応接室には、久しぶりに見る、ダンスの女性講師がいた。茶色の髪は若干白髪まじりになっているが、腰などは曲がっていない。彼女は今も現役で、貴族子女に社交ダンスを教えているそうだ。
「お久しぶりでございます、殿下」
「ああ。急に呼び出して悪かったな」
「いいえ。とんでもございません。お元気に成長された姿を拝見できて、とてもうれしいです」
ダンスの講師には、それこそ俺がまだ五歳ぐらいの頃から社交ダンスを教えてもらった。男性パートは女性をエスコートできなければいけないので、しっかりリードできるようになっておかなければいけない。
後はヒールで足を踏まれても涼やかにしておくようにとも言われたな。女性に恥をかかせるのは三流の男だと。あのヒールは狂気……いや凶器だろうと幼い頃は思ったが、その教えのおかげで、俺はどんな痛みに対しても仮面を纏えるようになった。
ちなみに足を踏まれるのは、踏むような場所に足があるのが悪いというのもあるので、仮面を纏う前に、男がしっかり踊れるようになっておくのは大切だ。踏まれた所為で指を骨折したという噂も聞いた事がある。
「そう言ってもらえるとこちらも助かる。アンネ先生もお元気そうでよかった」
「年齢こそおばあちゃんですけど、まだまだ現役ですよ。社交ダンスは、若ければいいというものではありませんもの」
ふふふっと笑う彼女は、色々と年齢不詳だ。
「殿下に教鞭をとるのはいつぶりかしら」
「あの時は、突然辞めていただく事になって、申し訳なかった」
「責めたかったわけではございません。それに……あれは仕方がなかった事だと思っています。お母様が亡くなられて、殿下は王都を離れるしかなかったのですから」
俺の母が亡くなって、乳母が義母になったころに、俺は一度王都を離れている。その時色々急激に物事の変化が起こった為、先生には突然の解雇を言い渡す事になってしまったのだ。俺自身余裕がなかったので何もできなかったが、後からあれは申し訳なかったと思っていた。
「それでも、申し訳なかった。その上で、再び俺にダンスを教えるのを引き受けて下さりありがとうございます」
俺は先生に対して、深々と頭を下げた。
「本当に、私は大丈夫でしたから、頭を下げないで下さい。私自身は、幸い仕事は沢山ありましたし」
先生はダンスの講師として、かなり人気が高い。だから嘘ではなく、本当に仕事はあったと思う。それでも王宮での仕事を突然干されたら、色々嫌なうわさが流れたことだろう。
「それで、今日はどのようなダンスを学びたいと思われていらっしゃるのですか?」
社交ダンス以外の踊りを教えて欲しいと手紙は出してあったので、何を教えればいいのか戸惑っているのだろう。普通、王族が学ぶダンスと言えば、社交ダンス程度だ。
「その、あ……いを……」
「申し訳ございません。耳が遠いのでもう少し大きな言葉で話していただけますか?」
再度聞かれ、俺は覚悟を決めた。やると決めたのだから、徹底的にやろう。恥ずかしがっている場合では名い。
「……あ、愛を伝える為の踊りを教えて欲しい!」
俺は勇気を振り絞り、大きな声で目的を伝えたのだった。




