ただの泡なので、いい子で帰りを待ってます
色々話を聞けて、俺的には大収穫だった。
それにしても、苦労してないように見えて苦労してたんだな。初めて会ったときはすでにただの泡で、得体が知れない上に、そんな苦労をしているようには感じなかった。
でもそれは、彼女がそう見せなかっただけだろう。辛い顔をしてないからと言って辛くないわけではない。……たぶん。
たぶんとついてしまうのは、今までのただの泡の自由すぎる行動が微妙に確信を持てなくするためだ。本当に泡生を楽しんでいるようにしかみえない時が……いや、確実に楽しんでいるよな?
もしやこれまで生きた中で、今が一番楽しいとかないよな?
「そう言えば、貴方はシャボンちゃんの話を聞くためだけにここまできたの?」
「いや、この間の変身薬について文句を言いにも来たんだ。前に飲んだ分量からの変身時間を考えると、今日飲んだ分量からの変身時間が短すぎてな」
俺は錦鯉の品評会の途中で変身が解けてしまった事を伝えた。幸いギリギリでシャボンが、解けかけているのに気がつけたから良かったが、もし人前で変身が解けたら、人間が溶けて泡になる怪事件になってしまう。ただの泡が正体で人間に化けていたと解ったとしてもパニックが起こりそうだ。……どう転んでもいい事などない。
嘔吐したという勘違いですんで良かったと言える。女性としては恥ずかしいかもしれないが。
「それから、変身すると彼女は疲れるそうだ。これは普通の症状なのか?」
変身薬など、俺は今まで一度も見たことも使った事もなかった。そもそも、ただの泡が使っているものなのだ。人間が使うのとはまた条件が違うかもしれない。
「早く効果が切れたのはこちらの不手際ね。申し訳なかったわね。もしかしたら一度飲んだことで抗体ができてしまって効きが悪かったのかもしれないわ。元々シャボンちゃんは変身が続いているという状況下だから。それから、疲れるのは普通よ。だって体の骨格から変えるんだもの。質量すら変化を加えるんだから 疲れない方がどうかしてるわ。だからこれ以上は飲んではいけないラインがあったはずよ」
「はず? そもそも魔女はどうやって薬の作り方を研究しているんだ」
変身薬の治験など、俺は聞いたことがない。それでも飲んではいけないラインは作られている。動物実験をした結果なのだろうか。
「古の本を読んでるのよ。正直に告白すれば、この薬の作り方は私が考案したのではなく、ずっと昔の魔女が完成させたものよ。私たち魔女は数も少ないし、知識継承は途切れているわ。新人魔女の仕事と研究は、過去の研究を紐解くところから始まるの。ただしすべての古の知識を解き明かしきった魔女なんていないと思う。読めない古語や暗号化された研究書なんてざらだから」
「……なら、大昔は完璧な変身薬があったというのか?」
「あったはずよ。必ずあったはず。私はその研究をしてるの。シャボンちゃんの体が泡になったのもその変身薬の一つによるものだし。まだ解き明かしきれてない本は沢山あるのよ。私は古の本を解読しながら、得た知識で薬を売っているわ」
何だか、思ったのと違う。
今より過去の技術の方が優れていたというのがそもそも怪しすぎる。しかし魔女の技法は薬師とは違う得体の知れない外法なので、おかしな実験を繰り返しているのかと思っていた。まさか文献の解読が中心だったとは……。
「何でそんなもの研究してるんだ」
「ただ知りたいからじゃ駄目かしら?」
言う気はないと。
別に俺も魔女がどういう理由で魔女になったのかは興味ない。ただ薬が完成できればそれでいい。
「いや。かまわない。仕事さえしてくれれば」
「じゃあ変身薬については、本をもう少し読み直してみるわ。耐性について書かれてるかも知れないから」
俺はそういう魔女の前から早々に立ち去る事にする。ここに居てもやることがないし、シャボンの姉もまだ帰っていないので、この後何か話し合いをするのだろう。
シャボンは出かける前に厨房に行くと言っていたが、大丈夫だろうか?
馬を走らせながら、シャボンの事を考える。ただの泡と勘違いされて、また水で流されていないだろうか? 魔物と勘違いされて大変な事になっていないだろうか?
こんな風に誰かの事を考え続ける日が来るなんて思っていなかった。
城に戻れば皆が俺の前で頭をたれる。誰の顔も見えない。
その中を自室に向かう。
扉を開けすぐさま金魚鉢の方を見れば、朝と同じようになみなみとただの泡が入っていた。
「ただいま。大事なかったか?」
『はい! 大丈夫でした!』
元気のいい返事が返ってきて俺はようやくほっとする。
「そうか」
『それでなんですが、実は厨房のほうから少々食材を頂戴してきまして』
「ああ。何か食べたいものがあったなら、遠慮なく言ってくれればいいし、食べてくれ」
城の中にある食材なら、よっぽど変なものはないはずだ。
少々、この泡、好奇心が強すぎるので怪しい部分はあるが……。
『そうではなく、王子に料理作ってみました!』
「えっ?」
『料理なんてした事がないので、ライムギパンというものも、ニシンの酢漬けというものも、厨房にあったものを使っています。なので料理というものとは違うかもしれませんが』
ただの泡に言われてテーブルの方に目をやれば、スモーブローと呼ばれるオープンサンドが置かれていた。確かに、これは料理だ。
『お腹が空くと元気が出ないですよ。最近王子、ご飯を食べる量も減ってますし、是非食べてみて下さい。泡によりをかけて作ってみました!』
「泡によりをかけてって、どうやって作ったんだよ」
確かに彼女に腕はない。
ただその言い回しに、俺はぷっと噴出した。
彼女はマメな性格で、世話好き。本当に今聞いてきたそのままの性格なのだなと思う。
『大丈夫。泡は一切入れておりません。隠し味? としてもです!』
「それはよかった」
俺は机の上に置かれたそれを口に運ぶ。少しだけ乾燥してしまっていたけれど……とても、とても美味しかった。
『あっ、元気になってみたいですね! やっぱりお腹が減るのは駄目ですね! お腹が減るとどんな生き物でも元気がなくなるんです』
「そうだな。……なあ、もっと君のことを教えてくれ」
俺はもう一口スモーブローを食べながら、ただの泡に笑いかけた。




