ただの泡なので、留守番しながら厨房で泡のふりをしています
シャボンと同じ顔をした人魚を前に、俺は何と言っていいか分からずたじろぐ。同じ顔で、見たこともない怒りをあらわにされるとどうしていいのか分からなくなる。
そもそも。
「彼女はなんと言っているんだ?」
言葉が通じないというのはとても不便だ。表情と声のトーンで怒りは伝わるが、逆に言えば怒りしか伝わらない。
「そこの人間。私は魔女と話し中だ……ね。あー……ちょっと待って頂戴」
どうやら俺を認識して怒りを向けていたというよりも、魔女に怒りを向けていたが、そこに別の者が割り込んできたのを怒っていたらしい。そうだよな。シャボンですら、俺の顔を認識するまでに結構な時間がかかったもんな。初見で見分けがつくはずがない。
魔女は人魚の不思議な言語を操り喋っていた。……そう思うと、この魔女も謎だよな。海の生き物に対しても商売をやっているのだから言葉が通じなければ話にならないのは分かる。しかし人間の言葉と人魚の言葉をどちらも扱うのはかなり難しいはずだ。人間の文字もちゃんと読めるようだし、彼女が持つ知識量は相当だ。
「――待たせたわね。彼女も貴方がシャボンちゃんを誑かした人間だと認識したわ」
「おい。もっと言い方があるだろ!」
誑かしたって何だ。
……間違っていないかもしれないが、心臓を狙われるぐらい嫌われているのだ。もう少し考えて欲しい。
「はいはい。それで、どうする? シャボンちゃんが生きていることを伝える? それとも伝えない?」
「……そうか。彼女はシャボンがただの泡として生きていることを知らないのか」
確か前に聞いた話では、姉がシャボンに『王子は婚約をしたという話』をした瞬間、目の前で泡になったと言っていた。……想像すると中々に、トラウマになりそうな光景だ。
「彼女は何故ここに来ているんだ」
「クーリングオフよ。髪を私に売って私は魔法のナイフを渡したわ。それを王子の心臓に刺し、血を得ればまた人魚に戻れると言ってね。だけどナイフを渡す前にシャボンちゃんは泡になってしまったから、返品するから髪を返せって言っているのよ。こちらの不手際ではなく相手側の不手際だから本来なら応じないのが普通なんだけど、シャボンちゃんの例は特殊じゃない? 元々私とシャボンちゃんの契約に齟齬ができてしまっているのが原因だし。だからどうしたものかと思ってね」
俺を刺す予定のナイフにはお試し期間なんてものは存在しないが、使う前に理由を失ってしまったからクーリングオフがしたいと。いや。何となく分かるんだが——。
「一度切った髪を返した所で付けられるものじゃないだろ」
髪はまた伸びる。
だからある意味、それまで待てという話だ。かつらにした所で、海で泳ぐと取れてしまう気がする。
「人魚の髪はね、色々呪いの触媒として最適なのよ。そして人魚自身、その髪を使って子育てをするわ。私も既に一部髪を使ってしまったから返品できないのよね」
「おい。だったら正直に言えばいいんじゃないか?」
「うーん。私も今はより完璧な変身薬を作る上で、人魚の髪は欲しいのよ。かといって、彼女が欲しがるものを私の一存では渡せないし」
「欲しがるもの?」
「シャボンちゃんよ」
魔女の口から出た名前にドキリとする。
しかし言われてみると、そもそもこの人魚はシャボンを再び人魚に戻す為に俺の命を狙ったのだ。それぐらい彼女とシャボンは強い結びつきがある。
「……家族だもんな」
この言葉をシャボンは聞いたらどう思うだろう。
シャボンは俺のことが好きだ。でも恋愛的意味ではないと気が付いた今、実の姉から帰ってこいと言われたら俺の前から消えてしまうのではないかと不安になった。
俺はシャボンと離れたくない……。でも家族に求められている事を隠すのは、フェアではない。シャボンは既に多くの物を捨てて俺の隣に居るのだ。
「家族だからというよりも、子育て要員が欲しいのよねぇ」
「は?」
「人魚ってね、卵から産まれたら親が外敵から守ったり、ご飯を用意したり、様々な事を教えたりと育児がそれなりに大変なのよ。しかも子供は一匹じゃないし。だから子育てをしていない雌や雄は兄弟の子供の世話を手伝ったりするの」
「家族愛があるから助けようとしたんじゃないのか?!」
俺を殺してまで、シャボンを助けようとしたのが、まさかの育児要員……。そういう習慣なんだと言われたらその通りなんだが、釈然としない。
「というか、自分の子供なら自分で育てろよ。それともどの人魚も兄弟が手伝って子育てするのが普通なのか?」
俺も母ではなく、乳母に育てられているので全否定はできないが、でも子育て要因の為だけに戻ってこいといわれると、ちょっと待てと言いたくなる。もしもシャボンが子育てをする時はどうするのかという話だ。お互い子育てをしていたら手伝いなんて不可能だろう。
それにシャボンは、子育てをそれほど大変なものだとは思っていない様子だったし、シャボンが手伝うのが当たり前というのが、納得いかない。
「うーん。難しい問題ね。手伝ったりするのは勿論普通と言えば普通なのよ。ようは自分が親になった時の疑似体験をするという事ね。だけどそれなりに年齢も上がれば、兄弟がそれぞれ自分の子育てをしているものだから、両親だけで育てるわ。ただシャボンちゃんのお姉さんは既に3回目の子育てだから両親だけでやるのが普通よ。それでもシャボンちゃんを当てにしてしまうのは、シャボンちゃんがマメな性格でね、何かを育てるとか得意な性格だからなのよね」
育てるのが得意……。そう言われてみると、シャボンは池の鯉の名を全て把握し、こまめに見に行き餌を与えていた。貸出されていた二匹が居なくなったこともすぐに気が付いたぐらいだ。
「シャボンちゃんは、ちょっと変わり者の人魚でね、自分の住処に沢山の生き物をペットとして飼っていたわ。人間の世界に行く前も、ペットたちを自然に戻したり、譲ったり大変だったみたいね」
「そうなのか」
好奇心旺盛だからな……その上育て上手なら、数もかなりいそうだ。
「そして彼女が人魚を育てると、その生存率がぐっと上がるのよね。そりゃお姉さんも、帰って来てもらいたかったでしょうよ」
人魚の習慣と言われてしまえばそれまでだが、何だか家族愛とも違う理由に、俺は凄く微妙な気分になった。




