ただの泡ですが、今だけ人間です4
何だかおかしな方向に話が進んでしまったが、魔女は人間にも泡にも自由になれる薬を開発する約束をしてくれた。……あまりに便利過ぎるというかご都合主義過ぎる薬な気がするが、そんな約束してしまって魔女は大丈夫なのだろうか。
「とにかく。その薬を作るのは、貴方が王位継承権を人魚姫の所為で放棄しないことが前提条件よ」
「ただの泡と結婚できるなら、別に王になるのは構わないが」
俺が出す条件はそれだけだ。
そこが守られるなら、このまま王になったって構わない。その為の勉強はしてきているのだ。
「そういえば、さっきからずっと【ただの泡】って呼んでいるけど、名前を呼ばないの? 人間になっても【ただの泡】じゃ、格好つかないでしょ」
「それもそうだな。【ただの泡】と言えばコイツしかいなかったから、何となくそのまま呼び続けてしまったんだが……」
風呂場で最初に会った時は、まさかこれほどまで仲良くなれると思っていなかった。なんというか、未知との遭遇状態だったので、自己紹介をし合う必要性を感じるタイミングがなかったのだ。
そしてそのままずるずるとここまでお互い名前を知らないまま来てしまったというわけだ。
「俺の名前は、ミケル・ラーセン。この国の第一王子であり、王位継承権第一になっている。ただし弟もいるし、叔父上もいるから、もしもの時はいつだって——」
「はいはい。もしもは起こりませんし、起こしません」
「何でお前が決めるんだ」
俺がただの泡に改めて自己紹介をすると、魔女が遮るように邪魔してきたので睨みつける。俺の今後にこの魔女は関係ない。部外者は黙っていて欲しい。
俺はただの泡に安心して俺の隣にいて欲しいだけだ。
「私じゃなくて、世論と交渉人よ。本当に、今の貴方の人気っぷり分かってる?」
「さあな。興味もない」
俺を支持してくれるのは勿論ありがたいと思うが、だからと言っていちいち気にいしていたらやっていられない。俺はこれまでもこれからも、俺がこなせる仕事をするだけだ。
「王子、とっても皆さんから愛されていますよ? 皆さんが、王子の事を素晴らしい王子だと言っていました」
「そ、そうか。そう言われると照れるな……」
ただの泡に言われると、胸のあたりが温かくなり、そわそわと落ち着かない気分になった。
「……なんだか人魚姫と私への対応の差を感じるわ」
それは仕方がない。魔女に何を言われようと気にならないが、ただの泡に褒められればうれしくなるのは当然だ。好きな人の好感度は高い方が嬉しいに決まっている。
「それで、ただの泡。お前の名前は何なんだ?」
「私ですか。うーん。人間風に音で表すと、クトゥツツ・クエル・クツトゥツツトですかね。正式名はもっと長いので略式名ですが」
「クト?ツツ? えっ?」
「クトゥツツ・クエル・クツトゥツツトです。ただ、人魚は念波という方法で会話をしますから、音に表すととなりますが」
俺の顔をしたただの泡が申し訳なさそうに話すが、俺もやっぱり名前を覚えられなくて申し訳ない。略式でも人魚の名前は人間にはかなり難しいようだ。
「なので、王子が私に人間の名前をつけて下さい。というか、ただの泡でもいいですよ? 王子に自分の事として呼んでもらえるだけで嬉しいので」
「いや。ただの泡は止めておこう」
すごく可愛い事を言ってもらえているが、【ただの泡】と呼んでいたら、多分周りの者がギョッとする。泡らしい名前でももう少し可愛らしいものがいい。
「……そうだな。シャボンでどうだ。異国で石鹸をこう呼ぶそうだ」
まんまこの国の言葉で石鹸と呼んではアレだが、異国語ならアリだろう。
「シャボン! 可愛い名前ですね」
名前を伝えると、俺の顔が今まで見た事ないぐらい破顔した。……どうしよう。俺なのに可愛い。
越えてはいけない何かを超えてしまいそうだ。胸がドキドキと高鳴る。
「はいはい。名前も決まったところで、変身するわよ。いい? 顔は貴方のお姉さん、髪は金色、瞳は青紫よ。人間には鱗も背びれも尾びれもなくて、足が二本。ちゃんと想像して」
「はい」
俺がときめいていると、魔女はただの泡に薬をスポイドで飲ませた。たぶん量を調節しなければいけないのだろう。
副作用も怖いので、ちゃんと一回の適量を聞いておかないといけないな。きっと一日に飲める量も決まっているはずだ。
シャボンが薬を飲み込むと、再び彼女の周りに霧が出る。……毎回出るのか、コレ。
まあ体が変化していく瞬間が見えると色々不気味そうなので、この演出でいい気もする。
そしてしばらくすると、再び霧が晴れた。
「どうですか?」
シャボンの言葉に俺は返事ができず、ただ凝視した。これが……ただの泡?
魔女の隣には、金の髪と青紫の瞳をした、天使のように可愛らしい少女が立っていた。
その姿を見た瞬間、俺は、俺の顔で妥協しなくて良かったと心の底から思うのだった。




