ただの泡ですが、今だけ人間です1
魔女が一時的にただの泡を人間にできる薬を開発したので、試しに使ってみる事になった。
一度も使用せずいざ本番で何か不都合が起こると問題なので、事前の確認は必要らしい。前にただの泡が人間になった時はいいのかと思ったが、そもそもあれ自体が魔女にとっては治験だったので、事前のお試しがなかったそうだ。
勿論契約違反となるような重大な副作用が起こった時は、ちゃんとフォローをする気ではいたらしいが……本当だろうか?
後になればなんだって言える。
「これは副作用はないのか?」
「分からないわ。だから試してちょうだい。駄目だった時用の、症状を中和する薬も持ってきているから」
『中和ってまるで毒ですね』
「毒と薬は表裏一体よ。体に有益な症状をもたらすのが薬で、有害な症状をもたらすのを毒と呼んでいるだけ」
とはいえ、多分今ただの泡に毒を盛っても魔女には何の利もないはずだ。
それに魔女は契約を重んじる。医師とは違い、呪いを取り入れた外法を取り扱うからこそ、彼女達独自のルールがあるそうだ。
そしてそのルールにのっとれば、魔女は俺が誰とも結婚せずただの泡を好きでいる限り、人間の姿にしなければいけない義務が生じるのだ。
『へぇ。じゃあ早速お願いします』
「前の時も思ったけれど、貴方潔すぎでしょ」
未知の薬を使うのに、ただの泡は逃げようとしない。むしろわくわくしている様子だ。……こういう性格だからこそ、ただの泡に体が変わってしまったとしても、精神が消える事がなかったのだろう。うん。俺の泡はすごい泡だ。
魔女はため息をつきつつも、薬の蓋を開けポタリと一滴、ただの泡に垂らした。
すると次の瞬間ただの泡から突如霧が現れ、俺達の視界を遮る。
「大丈夫か?!」
まさかただの泡が元の姿になれず、蒸発してしまったなんてことは——。
一瞬ヒヤリとしたが、部屋に突如現れた霧はゆっくりと晴れていき、肌色のものが薄らと見えた——肌色?!
俺はそれが何を意味しているかを理解した瞬間、慌てて目を閉じる。
「王子。どうですか?」
ただの泡の肉声音が聞こえる。
間違いなくただの泡は今、ただの泡ではなくなっているようだ。しかし、勝手に裸を見るわけにはいかない。ただの泡の時に散々生まれたままの姿を見て来ただろうと言われても、あれはあれ、これはこれだ。
「あの。人間は目を閉じても見えるのでしょうか?」
「違う。服を……服を着てくれ」
「いつも着てませんよ?」
すごく不思議そうにただの泡が首を傾げているだろうことは分かるけれど、勘弁してくれ。俺には刺激が強すぎる。
「仕方ないわね。ほら、人魚姫。これを羽織りなさい。前の時も、人前では裸にならないって教えたでしょ? 人間は服を着る生き物なの」
「ああ。だから王子は見ないようにしているんですね。」
「心の目ではガン見でしょうけど」
うるさい、黙れ。仕方ないだろ、妄想してしまうぐらいは。だって、好きな子の裸なんだぞ。
それでも魔女の手助けで、俺が目を閉じている理由をただの泡も理解してくれたようでよかった。
今度変身する時は事前に服を用意して、俺は一度別の場所で待機しよう。ただの泡なら、恥ずかしがらずに堂々と裸体を見せてくれそうだが、こっちが恥ずかしい。
ごそごそと物音がしていたが、すぐに音は止まった。
「もう目を開けていいわよ」
「お、おう」
魔女の言葉にゴクリとつばを飲み、俺はそろりと目を開けた。
魔女の隣には、シンプルなワンピースを着た、何処か見覚えのある顔の女性が立っている。金の髪に、青い瞳。髪は短髪……。
いや。これ、見覚えどころか毎日見てる顔だ。
「……俺?」
綺麗な顔立ちだが……毎朝、鏡の中で面会している顔が、女性の体にくっ付いていた……。色々衝撃的光景過ぎて固まる。
美人とか不細工とかそういう話ではない。
「やっぱりこうなったわね」
「どういうことだ」
色々不気味な光景に、俺は魔女をにらむ。人間になって欲しかったけれど、こういうオチは想像すらしていなかった。
「私が作ったのは想像した姿に変身する薬なのよ。一応全て女体になるようにはしてあるから女の体はしているけど、人魚姫にとって人間と言えば、貴方の顔なのよねぇ」
「……俺の顔って、他にも人間なら沢山会っているはずだが?」
何故わざわざ、男の俺なんだ。
確かに俺は美しいと言われる顔をしている。それでも男なのだ。それが女性の体についているとか、色々悪夢だ。
「王子は、鯉の顔を識別できる?」
「いや……」
「鯉じゃなくても、鮭でも鯵でもいいわ。一匹一匹、顔の違いの見分けはつく?」
「無理だ」
池にいる鯉なら、模様と色で何とか識別できるが、顔だけとなるとかなり苦しい。見分けがつく前にどんな顔かもうろ覚えだ。鮭や鯵にいたっては、無理だ。
今まで識別しようとしたこともないが、釣り上げられた魚を見た時、俺には雄雌すら分からなかった。
「つまりそういう事なの。人魚にとって、人間の顔はほぼ同じに見えているのよ。そして、彼女が一番顔を会わせている人間は貴方。だから人間をイメージすると、王子の顔が思い浮かぶというわけ」
そういえば、顔が判別できないから筋肉を見るとか言っていたな。俺に対しても白いパンツで認識していたし。
久々にただの泡との種の差を感じる。
「でも、どうするんだ。性別が違うが……双子のようになっているぞ」
例えばここでただの泡を、俺の最愛だとお披露目したとしよう。俺は、瞬時に近親相姦野郎と言われるようになるのだろう。しかも同じ顔……ナルシストと言われる可能性もある。
俺に対して不名誉な噂が立つぐらいは我慢できるが、近親相姦だと子ができにくかったり、特有の病気を発症したりするので、たとえ人の姿になっても、ただの泡の方へ他者から別れろといった圧力が行くかもしれない。
そもそも、俺は自分の顔と恋愛しなければいけないのか……。俺の愛はいつだって試される。
「私が絵を描いてそれを見て変身してもらうのも考えたんだけど、私の絵を見た交渉人が、これ以上王子の精神を削ってくれるなと言われたのよね。失礼しちゃうわ」
「……ちなみにどんな絵なんだ」
「どんなって普通よ。一応持ってきたんだけど」
魔女が鞄から一枚の絵を取り出した。
「ひっ」
そこに描かれていたものは……何だろう。こちらの心を抉るような、不快な化け物と言えばいいだろうか。何と言われると、この世界には存在しない生き物としか言えない絵だ。
「これ何の絵ですか?」
「人間よ! 決まっているじゃない」
「……魔女の目には、こう見えているのか」
「待ちなさいよ。魔女は種族名じゃなくて、職業名よ!!」
知っている。
魔女は医師や薬師とは違い、薬と呪術をかけ合わせたものを売る外法師だ。
でも、この絵は……俺とは色々見えているものが違うんじゃないかと思えてくる。
「私の絵心は高度過ぎて、万人受けしないのは分かっているわ」
……本当は上手だがあえて形を崩して書いていると言わんばかりだが、今は見たままの絵が必要なのだから普通に下手なのだろう。
「とりあえずこのままだと、また交渉人からエグイ交渉されそうだから、次の案に行くわよ」
魔女は見ているだけで狂気に落ちそうな絵を鞄にしまうと、ただの泡と向き合ったのだった。




