ただの泡ですが、おねだりしてもいいですか?
最近ただの泡が可愛い。
……人に話したら主治医に見てもらえと言われる案件だろう。分かる。分かっているんだ。正直、ただの泡の行動が逐一可愛く見えているのは俺だけだって。というか、周りから見たらただの泡だ。
洗剤の泡とか、風呂の泡とか、料理の泡とか、海の泡とか……、そんな感じに見える。そのため、まず生き物だという認識を持たれていないだろう。実際、ただの泡はこの城で自由に行動しているけれど、誰一人として、未知の生き物が城にいたという報告を上げてこない。つまり警備をしている者でさえ、ただの泡の存在に気が付いていないという事だ。
凄いな、ただの泡。流石俺のただの泡だ——って、違う。
何だかいつもの流れで、脳内で泡の事を誇らしく思ってしまったが、今はそういう話をしているわけではない。
とにかく、ただの泡は他人からはただの泡にしか見えないのだけれど、俺にはすごく可愛い生き物に見えてしまい、時折顔がにやけて困るのだ。
この間も鯉にパンくずを頑張ってあげている泡を見てにやけてしまった。どうやら泡は小さい鯉にも餌を与えたかったらしく頑張って試行錯誤をしていた。きっと子供好きなのだろう。
そう思ったら微笑ましくなってきたのだ。
しかしそれを見かけた者達は、よもや俺がただの泡を観察しているとは思わなかったようで、また錦鯉を献上された……。いや、もういらない。これ以上増やすな。
しかも王子は錦鯉が好きだという噂が流れて、貴族間で錦鯉ブームになっていた。品評会とか行われるとか聞いたけど、ぶっちゃけ興味はない。まあ、泡が喜びそうだから、こっそり泡を連れて行ってやる気はあるけれど。でもそうなるなら、事前に鯉について学んでおいた方がいいだろう。鯉の話ならただの泡も楽しいだろうし、彼女の好きなものを知るのはいい事だ。
またある日は、壁にくっついて掃除の泡のふりをしているただの泡に出会った。雑巾で拭かれそうになって慌てていたので、メイドに労いの声をかけ時間稼ぎをしている間に逃がしてやった。慌てる姿もなんだか可愛かった。
そしてその行いの所為で、何か俺は末端の仕事まで知ろうとし、国民を大切にしているとか言われていると聞いた。すっごく好意的に見てくれているのはありがたいが、俺が大切にしているのはただの泡だ。それどころか最近はただの泡と結婚できないなら、この地位捨ててもいいかなとか思えてきているぐらい、恋に溺れた身勝手な男である。
このままただの泡が人間の姿になれなかったら、まず結婚は無理だろう。そして王となれば絶対結婚しなければいけない。世継ぎはできなければ、弟もしくはその子供が継げるから、ただの泡が卵生のままでもなんとかなると言えばなる。しかし見た目がただの泡では、まず結婚を許してもらえないだろう。それどころか、泡に危害が加えられる可能性だってある。それだけは何としても阻止しなければならない。
結婚相手など誰でもいいと思っていた俺が、ただの泡以外は嫌だと思うようになるとは……愛というのは人を変えるようだ。
『あの……』
「ん? どうかしたか?」
部屋で書類を読んでいると、珍しく泡が話しかけてきた。仕事中は、ただの泡は滅多に話しかけてこない。彼女は気づかいのできる泡なのだ。
『王子が忙しいのは分かっているんです。分かっているんですけど……その……。おねだりしてもいいですか?』
「まかせろ。何をして欲しい? 庭に海を作ればいいか? それとも、海近くに城を立てて、いつでも海と行き来できるようにすればいいか?」
おねだりだと。
何だこの可愛い生き物は。
そんな事言われたら、全力で叶えたくなるに決まっている。
『えっ。いや。今の金魚鉢で十分です。海が繋がると、姉が来ちゃいそうなんで、それもいいです』
「そうなのか? 遠慮はしなくていいからな? こういう時の為に頑張って王子業しているんだからな」
正直王子業に、楽しい事なんてない。
一応民が暮らしやすいようにできるよう心を砕くが、心を砕いた分の見返りが【財】なのだと思う。そして俺が個人的に使用していい金は結構な額がある。
『遠慮はしていません。この金魚鉢にいれば、いつだって王子を見つめていられるじゃないですか』
何だこの可愛い生き物。
さっきも同じことを考えた気がするが、何度だってそう思う。
俺に対して一途に好き過ぎるだろ。しかも俺が知る貴族の女のように、とにかく男の財をつかって見栄を張ろうともしない。うちの泡、いい子過ぎる。
「なら、おねだりはなんだ」
『実は今度、鯉の品評会があるそうで、国中の鯉の人気ナンバーワンを決めるとか。是非、それを見たいのですが、流石に多くの人がいる中動くと、魔物と間違われそうで……』
こんな可愛い生き物が魔物なわけがないと言いたいところだが、確かにただの泡の外見は、知的生命体から外れている。俺も最初は勘違いしたぐらいだ。
なのでただの泡が退治されてしまったら困るので、俺は全力で彼女を守らなければいけない。
「なんだ。元々連れて行ってやる予定だったぞ」
『えっ』
「初デートだな」
俺の言葉に、泡がドキリとしたらしくて跳ねる。
他者が見たら俺の頭は大丈夫か疑われそうだなとは思う。それでも、もう俺はただの泡におねだりされたら全力で叶えてやりたいと思うぐらい彼女に溺れてしまっていた。




