ただの泡ですが、人間の食べ物もおいしいです
最近ただの泡が、人間の食べ物を食べるようになった。
食べると言ってもただの泡なので口はない。彼女は体全部を使って食べ物に覆いかぶさるという方法で食べている。といっても、食べるのは栄養を取る為というよりは、人間の食べ物を学んでいるという状況に近いらしい。
実際これまで食べていなくても問題なかったのだ。
「……不思議なんだが、食べたものはどこに消えているんだ?」
ただの泡が皿に覆いかぶさり数秒すると、そこにあったものはなくなっている。消化するには流石に早すぎる気がするし、かといって泡の中に食べ物が入っている感じもない。……謎だ。
そして全てを食べているわけではなく、ちゃんと皿は残っている。
『よく分かりません。ただの泡歴が短いので、私もまだまだ自分自身の事でも分からない事が多くて。日光に当たっていて、海水さえあれば特に食べる必要がないのは、ミドリムシみたいな体になっているのだと思うのですけど』
……ミドリムシ。
どうやらただの泡は、動物と植物の中間の生き物らしい。
『もう数十年時間を貰えれば、もう少し私の体について解明できると思います』
「解明しなくていいから、数十年経つ前に人間に進化してくれ」
植物よりは人間に近いけれど、やっぱり遠い。
『それはまあ……薬ができれば。でも人間になれなかったとしても、王子をお守りしますからご安心を。ただの泡は役立ちますよ』
知ってる。
ものすごく役立っている。でも俺は、周りにもただの泡を紹介して、認めてもらいたいのだ。
今のままではただの泡を紹介するのが難しい。
今この城で彼女の存在を知っているのは、俺と魔女との交渉を任せた男の二人だけだ。俺としては、堂々と彼女が俺の最愛だと紹介したいところだが、今のままだと魔女の呪いを知らない者がただの泡を魔物と勘違いするに違いない。
そして勘違いした者の中の過激派が、必ずただの泡の命を狙いに来るはずだ。それだけは絶対阻止しなければいけない。……まあ、鯉に食べられても生きているただの泡が、どういう状況になったら死ぬのかは俺にも分からないけれど。でもただの泡に不快な思いをさせたくない。
守ってもらってばかりだけれど、俺だってただの泡を守りたいのだ。
「それでも俺達が周りから認められて一生を共にするには、お前に人間になってもらうしかないんだよ……。そういえば、味とか食感は分かるのか?」
『多分。実際に人間になった時と同じものを感じているとは言いきれませんが。人間の食べ物は色々な味があるんですね。菓子というものは不思議な味と食感でした』
「やはり人魚の世界には菓子はないんだな」
『人魚は料理をするという概念がありませんから。基本自然にあるがままの状態で食べます』
まあ水の中だしな。
火がなければ鉄を打つ事もできないから包丁もないだろう。
「道具とかはないのか?」
『食べ物を食べる上でというのなら、フォークやスプーン、皿のようなものはないですね。ただし特殊な珊瑚を利用して、武器等は作りますし、真珠などで髪飾りや装飾品は作ったりします』
特殊な珊瑚というものがどういうものかは分からないが、多分俺達人間が知っている珊瑚とはまた違うのだろう。普通の珊瑚の強度では武器には到底ならない。
「装飾品があるなら、人間の女も人魚の女も同じなんだな」
『……人間と同じですか?』
「ああ。人間の女も美しく着飾るのが好きだ。ただの泡も人魚の頃は装飾品を付けていたのか? どういうものが好きなんだ?」
『えっと。真珠を加工した髪飾りはつけてましたが……。王子は人魚についての話を聞いて楽しいですか?』
ただの泡がふわふわと揺れた。困惑しているような雰囲気だ。
それほど困るような質問をしたつもりはなかったが、何か困らせるようなことを言ってしまっただろうか。
『私は人間の世界で住んで行かなければいけないので、人間について勉強が必要ですが、王子は人魚になるわけではないので不必要な情報かと』
「何故だ? 好きな子の事を知りたいのは当たり前だろ? ただの泡の話は楽しいぞ?」
何を今さら。
ただの泡がこれまでどんな生活をしていて、どんなものが好きでとか、とても重要な情報だ。不必要な部分など見当たらない。むしろ全然違うからこそ、ちゃんと知っていきたいと思う。時折愛は試されるが、それでも知りたい。
俺がそういうと、ただの泡は恥ずかしいのかピチャンと跳ねたのだった。




