第5話『レイネシアの別れ』
やってきちゃいましたよ、旅立ちの日。
歌う?歌っちゃう??あの卒業式の時に歌う合唱曲。
…なんて。ふざけてないとやってられない。
「はあ~~~~~」
「エマ。溜息」
「吐きたくもなるよ…今日屋敷出ていくんだよ??」
「3日前から決まってたことでしょ」
「そ~~だけどさ~~~」
わかっていたこととはいえ、18年間育ってきた家を追い出されるのだ。独り立ちとか、お嬢様について城に行くとかじゃなく、王命での追い出し。溜息もつきたくなるよ。
「レオは相変わらず冷静だね~」
「お姉ちゃんがコレだと弟の僕がしっかりしなきゃって思うよ」
「ちょっと」
言いながらレオの手は荷物の最終確認を止めない。
私も作業の手は止めないが、スピードが違う。うぅん、さすが我が弟。そつがない。
お嬢様の準備は通達があったその日にとっくに終わっている。
今はお部屋で使いの者が来るまで待機中だ。
「…ねえレオ。本当にエクスピアシオン・フォレに人がいると思う?」
「わからないよ。でも」
「でも?」
「レイネシア様を本当に幸せにしてくれる人なら、人間じゃなくてもよくない?」
「え?」
「これは乙女ゲームだよ?しかもファンタジーもの。なら、魔王とか上級悪魔とかいると思わない?」
「…!!!!天才かな????」
そうだよ!!!これは乙女ゲーム!!!!
そして今から行くのは死や災厄渦巻く暗黒の土地!そこを支配している魔王とか悪魔とか絶対いるでしょ(偏見)!!最近流行りだとイケメン獣人とかもありだな。
「俄然楽しみになってきた」
「(エマはあいかわらずチョロいな…)」
こうなったらサクッと準備なんか終わらせて旅立つぞ。
*
カチリ、コチリ、カチリ…
玄関ホールには規則正しく時を刻む音だけが響く。
ロマノヴァ家全員、使用人に到るまで全員が広い玄関ホールに集まってその時を待っていた。
―――リンゴーン…
静寂が割れる。
それは今の私たちには死刑宣告にも等しい音。
「お迎えに上がりました!レイネシア嬢は何処に!」
「ここに」
カツン、と優雅に上品にヒールを鳴らし現れたお嬢様。
歩くたびにふわりと揺れる白銀の髪は、
――――――鎖骨ぐらいの長さまでばっさりと切られていた。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!??????」
「なんて??」
ネットスラングも出るわ!!!!!!!!!!
え!!!???なんで????腰をはるかに超えるほどあったあの美しい銀髪は??????
「おはようございますレイネシア様。その髪は?」
「おはようレオ。自分で切ったの。似合う?」
「ええ、とっても良くお似合いです」
自分で髪を切るなんて生まれて初めてよ、なんて笑うレイネシア様。
無邪気に、いたずらに成功した子供のように笑うその顔にはこれから追放されるという悲しみは無い。
「レイネシア・シュネーシュメルシュ・ロマノヴァ侯爵令嬢は死にました」
凛と声が響く。
「わたくしはただのレイネシアになったのです。ただの平民はドレスで着飾ることも無いし、長い髪を豪奢に結い上げることも無いでしょう?そういったケジメのようなものです」
緩く内側にカールした髪を持ち上げながら笑う。
そこにいたのは侯爵令嬢でも、王妃候補でもない、ただの18歳の少女だった。
「だからレオもエマも今からお嬢様と敬語は禁止よ」
「……ふえぇ、気高く尊い…神に感謝…」
「エマ?????」
むり…私の推しがこんなにもカッコいい…。
語彙力溶ける……。
「シア」
「お母さま。どう?結構うまくいったのよ」
「…ええ。とても可愛いわ。さすが私の自慢の娘よ」
ロマノヴァ侯爵夫人、レイネシアの母親のディアナ様がそっとレイネシアを抱きしめる。
「私の可愛い可愛いレイネシア。これから先どうなっても、何があっても貴方は私の自慢の娘よ」
「…わたくしもです、お母様。お母様はわたくしの自慢の母です。…だからどうか」
――泣かないでください。
ディアナ様は子供を愛している。
恋愛結婚の末に結ばれた旦那様と愛する子供たち。
大好きなものに囲まれながらこれからも暮らしていくのだと信じて疑わなかった。
それなのに。娘は2度と手の届かない遠い地へと旅立ってしまう。
涙が止まらなかった。
「おねえさま…!」
ディアナ様につられて末っ子のアリス様が、そして三男のロビン様も耐え切れず、レイネシアに抱き着いてわんわんと声をあげて泣きだしてしまった。
三男と言っても7歳になったばかり。次女のアリス様にいたってはまだ5歳だ。
それでも寝物語や怒られるときに『エクスピアシオン・フォレ』のことは聞いている。「そんなに悪い子だとこわ~い悪魔たちが住む森に置いてきちゃうぞ」と。
そんな場所へ自分の姉が送られるのだ。怖くないはずが、悲しくないはずがなかった。
「ああ、泣かないでロビン、アリス。目が溶けてしまうわ」
「だって!!だって…!」
「…ヒィック、だって…おねえ、さまが!ひどい…ことする…はず、ないよね!?」
涙をあふれさせ、顔を真っ赤に染め上げ、しゃくりあげながらレイネシアに泣きつく幼い兄妹たち。
その様子を傍で見ていたディアナ様はついに手で顔を覆ってしまった。そんな妻を旦那様が肩を抱き、支えてやる。使用人たち―――特に若い人たちもすでに泣き出している。
「泣かないでわたくしの可愛い天使たち。姉さまは貴方たちの笑っている顔が大好きよ」
頭を撫で、止まらない涙をぬぐい、抱きしめる。
レイネシアが泣き虫な2人によくやっていたことだった。
2人を抱きしめながら、レイネシアは目の前に立つ長男と次男――レイネシアの弟たちに目を向ける。
「ルーベンス」
「…っ、グス。なんだよ」
「ふふ…13歳にもなって泣き虫ね。ロビンとアリスとおんなじ」
「るせーよ…泣く、だろ。姉さまが…いなくなるんだぞ」
「あら、ここ1年くらいは反抗期のせいで冷たかったけど今日は優しいのね」
「…意地悪だ」
「去年から一昨日までの貴方のほうが意地悪だったわ」
「………いなくなっちゃうなら、もう2度と会えなくなるんだったら…もっと、優しくすれ、ば…っひ!よか、った…!!」
わあっ!とルーベンス様も泣き出してしまう。
「ごめ、ごめんさな…!いかないで…!!」と泣きながら訴える。
困ったように笑って兄弟を両親を使用人たちを見て、レイネシアは最後に長男を見た。
「エーリッヒ」
「ああ」
「わたくしがいなくなったら貴方がこの家の長子です」
「わかっているよ、姉さん」
「お父様の跡を継いで立派に家族を、領民を、国王を支え導き、守るのですよ」
「……ああ、約束する。姉さんができなかった分まで俺がこの家を、この国に住まう全ての人を守るよ」
「ええ。貴方ならそれができるわ」
エーリッヒ様はアクアマリンの瞳でレイネシアをまっすぐに見つめる。
忘れないように焼き付けているようにも、誓いを立てているようにも見えた。
最後に2人は固い握手をして、レイネシア様は立ち上がる。
エーリッヒ様がロビン様とアリス様を抱き上げる。
エーリッヒ様の腕の中で必死に抵抗する幼い子供たちに胸が痛むが、もう時間だった。
「―――お父様、お母様。私の可愛い弟妹たち。そして今まで世話をしてくださった皆様!」
くるり、とひとりひとりに目を向けて。
「18年間お世話になりました!」
柔らかなスカートの裾を持ち、礼をひとつ。
夜会で見た時よりもはるかに美しいカーテシー。
18年間レイネシアが積み上げてきたもの。18年間両親が、使用人たちが守り慈しんできたもの。弟妹たちが憧れたその象徴。
レイネシアを形作るそのすべてが、泣きたくなるほど美しかった。
「――さあ、行きましょう。レオ、エマ」
ああ、この人を私の命の最期まで守ろう。
この輝きが失せることの無いように。
私は、心の底からそう思った。