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幕間『父親』


インクをぶちまけたように黒に染まる空に、宝石箱をひっくり返したかのような星の海。

今宵は月も無く、星だけがその輝くを示す。

草木も人も寝静まった深夜。しかし大きな屋敷の一室、その窓から細く橙の光が漏れていた。


部屋の主である男は何をするでもなく椅子に座り、ただぼうっと宙を見上げていた。

ひどく美しい壮年の男だった。

年相応に目尻に皴が刻まれているがそれすら男の魅力を引き立てるものにしかならない。橙の灯を受け柔く光る髪は薄く青を含む月白(げっぱく)

普段は意志の強さを表すかのように厳しく光る青藍の瞳は、しかし今は宙を力なく眺めるだけだ。


コン、とドアの向こうから軽い音を立ててノックが4回。

寸分の狂い無く等間隔でノックする男を、壮年の男は一人しか知らない。

確認するまでもないが、男は次の言葉を持つ。彼ならばどんなに要らないといっても必ず入室の前に名乗るからだ。曰く、「従者とはそういうものなんです」と言って。


「執事長アラン・スクワイヤーです」

「どうぞ」


許可を出すと男―――壮年の男の親友であり、今はこの屋敷の執事長であるアラン・スクワイヤーがティートローリーを押しながら入室する。


「眠れないようでしたので紅茶をお持ちしました」


慣れた手つきで紅茶を用意するアランを見ながら、壮年の男―――ダニエル・シュネーシュメルシュ・ロマノヴァは随分うまくなったものだと感慨深く見ていた。


アランとダニエルは物心ついたころから共に育った2人だった。

代々ロマノヴァ家に仕えるスクワイヤー家の長男であるアランは自分と同い年ということもあり、生まれたその日にダニエルに仕えることが決まった。


共に遊び、共にご飯を食べ、、共に眠る。

そんな日々を繰り返す中で2人には強い絆が生まれた。

互いに大きくなりダニエルはロマノヴァ家当主に、アランは執事になってもそれは変わらなかった。

アランはあんなにも苦手だった紅茶を淹れることも今では息をするくらい簡単にできる。


「どうぞ」


差し出された紅茶は、いつもアランが眠れないダニエルのためにと練習を重ねていたジャーマンカモミールティー。幼い頃は「今度こそうまくいった!」と何度も失敗作を飲まされたものだった。

ジャーマンカモミールをティースプーン山盛り2杯、 かきまぜながらじっくり熱を通すそれは絵本に出てくる眠れない夜のおまじない。


あたたかいものが喉を通り胃に届く。

体の中心から熱が全身に広がる。そこで初めて自分の体が冷え切っていたことに気づいた。


「相変わらず、お前の淹れるミルクティーはおいしいな」

「光栄でございます」

「…アラン」


ここでは私とお前しかいない、と睨めば肩をすくめる己の従者。


「…もう就業時間外だもんな、ダニエル」

「お前の分もあるんだろ?さっさと座れ」


はいはい、と軽い返事をしてアランは自分の分の紅茶を手にテーブルを挟んで向かいの椅子に座る。


「…レイネシアちゃん、いよいよ明日だね」

「そうだな」

「まさか卒業してすぐ国王を継いで、最初にやることが己の婚約者の追放とは。エリアス様は何を考えているのやら」

「おい」

「こんな夜中だぞ。誰も聞いちゃいないさ」


それに、と言葉を続ける。

その声には隠し切れない怒りと悲しみが滲んでいた。


「レイネシアちゃんは完璧だった。王妃になるのにこれ以上ふさわしい子はいない」

「…そうだな。親の欲目なしに見てもレイネシアは王妃になる者として完璧だった」


ダニエルとアランは知っている。

生まれた時から見てきたのだ。レイネシアがどんなに遊びたくてもそれを我慢して勉強してきたのかを。

王妃になるためには多くの知識が、教養がいる。

この国の歴史に、外交の仕方。テーブルマナーにその場にあったドレスの選び方、本物を見分ける審美眼。あげきれないほどのたくさんの知識と経験が必要になる。

国王の補佐をするため、国民の母になるためには並大抵の努力ではいけない。


レイネシアは弱音ひとつ吐かずに18年やってきた。

何よりも誇りを大事に抱えてきた娘だ。だからこそ―――


「レイネシアが他人をいじめるなど考えられんのだよ」

「そうだよ。あんなにも国民を、人を愛しているレイネシアちゃんが『平民だから』なんて理由で他者を貶めるなんて考えられない」

「だが目撃情報がある、事実だとエリアス様は判断為された」


王家に仕えるものとして、王の意向は絶対だ。

たとえそれが父親としてどんなに許容できないものでも。


「…レイネシアを守るためには、私はあまりに多くのモノを背負いすぎた」


己の家族、使用人全員の生活、領地、そこに住まう人々、公爵という地位。

その全てがダニエル一人の判断で失せることを知っている。

全てと娘一人(レイネシア)を天秤にかけたとき、ロマノヴァ公爵として取らねばならないものなど考えるまでもなかった。


しかし、そんな中でも救いがあるのだとしたら。


「――エマとレオがレイネシアちゃんについていくそうだよ」


そう言ってアランは己の懐から『辞表』と書かれた封筒を2枚取り出した。

静かにテーブルの上に置いて、ダニエルのほうへと差し出す。


「ああ。レイネシアに通達があったその日の夜に、私のところへも来たよ」

「我が子ながら行動が早いよなあ。卒業式の日にはもう用意してたんだって。何があってもいいように、って」

「……そうか」


テーブルの上に並んだ2つの辞表を見る。

その青藍は、眩しいものを見るように細められていた。


「レイネシアは、従者に…友に恵まれた」

「そうだね」

「だがアラン。私はお前の子を奪ってしまう」

「何を言うんだダニエル!奪うなんて言うなよ」

「お前とミラにとってたった2人の子を、永遠にお前たちの手の届かないところへと送り出してしまう。…他ならぬ私の娘のせいで」

「レイネシアちゃんは悪くないだろ。せいでとか言うなよ」


いつの間にか握りしめすぎて白くなってしまった指先に、自分と同じく皺が刻まれはじめた…しかし自分とは違いあかぎれなどが目立つ手が重なる。


「あの子たちが、自分で決めたんだ。自分たちで考えて、その命の最期までレイネシアちゃんと共にあることを決めた。そしてそれをレイネシアちゃんは受け入れた。…これはさ、従者としてはすごく幸せで名誉なことなんだぜ」

「主人のために命を懸けることがか」

「そうだよ」

「…!まだ、若いだろう…!!」

「関係ないさ」


娘1人失うだけでもこんなにも胸がはちきれんほどに痛いのに、さらに親友の子供である未来ある若者たちを巻き込んでしまうことがさらにこの胸を刺す。

エマもレオもいい子だ。

きっと素敵な伴侶を見つけ、子供に、孫に囲まれ穏やかな人生を送ることができるだろうに。

それを誰よりも望んでいるのは、見たいのはアランだろうに。


「…もしかしたらさ、キセキが起こるかもしれないじゃないか」

「キセキ…?」

「そう。エリアス様が改心したとか、明日の出発が無くなるとか、森には悪魔なんていなくて人が住んでてそのままそこの住人になるとか、そんなキセキが」

「…そんな都合のいいことは起こらない」


「なら、俺たちで起こそうよ」


アランはまっすぐにこちらを見ていた。

――ああ、本当にエマとレオはアランに似ている。

エマとレオも辞表を持ってきたときにこんな目をしていた。


「レイネシアちゃんが無実だという証拠を見つけて、白日の下にさらすんだ。無実と分かったなら追放は取り消される。レイネシアちゃんは民に愛されていたからね、きっと暴動を恐れて国は民を抑えるためにレイネシアちゃんを国に呼び戻すよ」

「…それは…」

「わかってるよ。場合によっては不敬罪になるかも」


でも、とアランの言葉は止まらない。


「王の間違いをただすのも家臣の務めだ」



―――目の前が明るくなった気がした。

暗闇の海の中で灯台を見つけたように、一筋の光を見た。

そうだった。いつだってアランが迷ったときはダニエルが、ダニエルが迷ったときはアランが導いてくれる。今までもそうだっただろう。


「…ああ、ああ!そうだな」

「元気でたかい?」

「もちろんだ。まったく私らしくもなかった」


晴れ晴れとしたその顔にもう迷いは一切なかった。

そうだ、なにも王の間違いに頷くだけが忠義ではなかった。

国のため、民のためにならないのなら正さねばならなかった。

レイネシアだっていつもそうしてきただろう。

勉強から逃げ出すエリアス様を叱咤し、連れ戻していた。「王になる方が己の責務から逃げてはなりません」と。そして「わたくしも一緒に頑張りますので」と微笑んでいた。


なんと簡単なことだったのだろう。

だが、追放刑をひっくり返すのは容易ではない。


「アラン・スクワイヤー。その身のすべてを持って私を助けてくれるな?」

「ええ、もちろん。私の主人(マイロード)



決意を宿す2人の男を、星だけが見ていた。

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