第4話『ただ純粋な』
「レイネシアお嬢様。どうか、我らも一緒にエクスピアシオンへお連れください。」
私たちの言葉を聞いてからお嬢様は黙ったまんまだ。
耳が痛くなるほどの静寂にじわり、と手の温度が下がっていくのを感じる。繋いだままの手が冷たくなっていく。レオもこの沈黙が怖いのだろう。縋るように、ソファに座るお嬢様を見つめている。
目を伏せていたお嬢様が、ふう…と緩く息を吐く。
そしてゆっくりと瞼が持ち上がる。
白銀の瞳はまっすぐに私たちを見て。
「―――…いいえ。貴方たちを連れていくことはできません」
桃色の唇から吐き出されたのは、拒絶だった。
「…何故、ですか」
「この追放刑は私が、私だけが科せられたものです。貴方たちまで『この世の最果て』へと追い出されるいわれはないはずです」
『エクスピアシオン・フォレ』
別名、この世の最果て
世界の端に存在する孤島。周囲を海に、島には深い森が広がっており悪魔やこの世全ての災厄が住んでいるといわれている場所。原因や理由はわかっていないが常に重い雲で覆われており、薄暗く決して晴れることも花が咲くこともない死のはびこる呪われた地。
その雰囲気や言い伝えから、大罪人の流刑地として古くから存在してきた。
一度入ったら二度と出られず、死んだとて悪魔に身体も魂も食べられ何一つとして残らない。
「…エクスピアシオンのことは知っています。それでも私は…私たちはお嬢様と一緒に行きたいのです」
「覚悟はできています。ですからどうか、僕たちを一緒に連れて行ってください」
「いいえ、いいえ。絶対に連れていきません」
かぶりを振り、全身で拒否を表すお嬢様に泣きそうになる。
何故、何故ですか。私たちはお嬢様と共にありたいのに。
お嬢様がいればどこだっていいのに。
お嬢様は違うのですか。私たちと一緒に居たくないんですか。
「…シアは、私たちと一緒に居たくないの…?」
「…っ!!」
ビクリとお嬢様の方が跳ねる。
「……い、わ」
「え」
「…その言い方は、ズルいわ」
白銀が揺らいでいた。
「いっしょに、いたいわよ…。これからもずっと一緒だと思ってた。わたくしが嫁いでも、王妃になっても貴方たちはわたくしの従者で…一緒に城で暮らすと思っていたわ」
でも、と震える声で呟く。
「わたくしは王妃にはなれなかったどころか、レイネシア・シュネーシュメルシュ・ロマノヴァ公爵令嬢ですら無くなってしまった…!」
お嬢様が自分の右手首を握る。
これは、お嬢様が何かを我慢しているときの癖だった。
子供の頃、何度も見た。きっとこの世で私とレオだけが知っているお嬢様の癖。
「わたくしはもう何も持っていないわ。貴方たちに何も返せない」
王妃の従者なら生活に困ることは永遠に無いでしょう。
わたくしが王妃なら良き縁を見つけ、良いところに嫁がせることもできたでしょう。
貴方たちがわたくしにくれる忠誠に、忠義に、真心に、ぬくもりに応えることができたでしょう。
―――でも、
「ただのレイネシアが返せるものなど、感謝の気持ちしかないのです…」
そういってお嬢様の頬を一筋の雫がつたう。
ああ、ああ、ああ…!!
なんて、なんて素晴らしいお方なのだろう。
たかだかいち従者にこんなにも心を砕いてくださるなんて!!
俯くシアの視界に入りたくて、シアの座るソファの前へ歩み出てレオと共に片膝をつく。
跪いて、シアの白磁の手をとり、手の甲へと唇を近づける。
もちろん寸止めだ。
でも、忠誠の気持ちは本物だ。どうか、伝わりますように。
「シアは一生懸命何かを返そうとしてくれるけど、そんなの必要ないんだよ」
「だって、僕らはシアが傍にいてくれるだけでいいんだ。シアが傍にいてくれるだけで幸せな気持ちになれる。シアが傍で笑ってくれるだけで、ああキミを守りたいと心から思える。シアの従者である自分がこんなにも誇らしく思える」
「私たちはシアがお嬢様だからって理由だけで仕えているんじゃないよ。シアだから。シアがこんなにも優しいから…傍にいたくなる。傍にいて自分のできる精一杯をあげたくなる」
初めて会ったその日からシアは変わらない。
お世話されることが当然ではないからと、従者全員にお礼を言う。
従者に心を砕いてくれる、そんな心優しい少女を好きにならないはずがないのだ。
「素敵なお婿さんもいらない」
「地位も、お金も名声もいらないよ」
シアがまっすぐ本音をぶつけてくれたから、
今度は私たちが本音を言う番だ。
「「シアさえいればいいんです」」
お嬢様と従者だとか、罪状も何もかも取っ払ってしまえば残るのは単純だ。
シアのことが大好きだ。
だからこの命の最後まで傍にいさせて。守らせてほしい。
―――願わくば、どうか誰よりも幸せになってほしい。
それが、推しの幸せを願うファンであり親友であるエマたちの願いだ。
「…………ばか」
ぽたり、ぽたりと雨が降る。
顔を上げるとシアの美しい長髪が私たちの顔にかかる。
―――まるで、結婚式のヴェールみたいだ。
朝日を浴びて柔らかい銀に輝くヴェールに包まれて、顔は互いの息が当たるほど近い。
部屋を舞う小さな埃すら、光を浴びて輝く。
神秘的な美しさに、私もレオも目が逸らせない。
「もう手放してあげられないんだからね」
そう言って頬を薔薇色に染め、銀の瞳を涙で潤ませてほほ笑むシアはこの世の何よりも美しかった。