第1話『最悪の幕引き』
いや、待って。
今は学園で行われている卒業を祝うパーティーの最中なのに。
突如流れ込んでくるこの単語はなに?
主人公?悪役令嬢?
イベント、ゲーム…?
この記憶は一体…誰、の―――
「エマ」
ぺちりと頬に軽い衝動を感じて、知らずに止めていた息を吐く。
隣に目を向けるとそこにいたのは私の頬を叩いた犯人、双子の弟であるレオが立っていた。
「その様子じゃエマもたった今思い出したんだね…」
「も、ってことはレオも記憶が…?」
「共有は後で。まずは―――」
そう言ってレオは私たちが立つ壁側から離れたところにできた人だかり、その中央にいる三人へと目をやる。
1人はこの国の第一王子でもあるエリアス・ライヒェンバッハ様。
ホールの天井にあるシャンデリアから注がれる光を反射して輝くブロンドの髪に、ペリドットを嵌め込んだかのような美しいオリーブグリーンの瞳をもつお方。
今はその麗しい顔を憎らしげに歪め、お嬢様を睨みつけている。―――その腕の中に一人の少女を抱いて。
エリアス様に肩を抱かれ、怯えたように涙で潤んだ瞳でお嬢様を見ている少女の名前はアンナ。紅茶にたっぷりとミルクを注いだような柔らかな亜麻色の髪に、お日様を思わせるこの国…いやこの世界では珍しいイエローダイヤモンドの瞳を持つ特別な少女。彼女はこの学園でも珍しい平民の少女。貴族が集まるこの国一番の名門学園に平民である彼女がいるのにはもちろん理由がある。が、詳しい情報はまた今度整理しよう。いまはお嬢様の様子を確認するのが最優先事項だ。
そんな2人に相対するのが、私たちのお嬢様。レイネシア・シュネーシュメルシュ・ロマノヴァ様。しんしんと降り積もる雪を連想させる美しい銀髪に、こちらも珍しい透き通るシルバーの瞳を持つ少女。その表情はいつもと変わらず静かに凪いで、凛としていらっしゃる。エリアス様の婚約者であり近い将来この国の王妃となることが約束されている方だ。
それなのに、何故。
「…エリアス様。婚約破棄とはいったいどういうおつもりでしょうか」
「そのままの意味だ。俺とお前との婚約はいま、この場を持って破棄させてもらう」
「…理由をお伺いしても?」
「理由だと?そんなものお前に愛想が尽きたからだ。聞けば、お前はいつもアンナをいじめていたそうだな」
「…そのようなこと記憶にございませんが」
「この期に及んでしらを切る気か!!!」
エリアス様が怒気を込めた声を上げた。
まわりの人々がその強さに肩を震わせても、周りの令嬢の方々がいつもと違うエリアス様に怖がっても、エリアス様はそれに気づく様子もなくお嬢様を責める言葉を吐く。
「人のいないところでアンナをいじめたり、無理難題を押し付け、さらには平民だからという理由で侮辱したそうではないか!」
「何を根拠にそう仰るのですか」
「その現場を見たという者が何人か俺のところに来ている」
「……」
「なんだ、反論もできないのか?」
フン、と馬鹿にしたように鼻を鳴らすがこの王子は一体何を言っているのだろうか。ありえない。もしも、もしもだ。仮にお嬢様が本当にアンナ様をいじめていたとしても、他者から聞いたからと一方的な断罪をするのではなく、お嬢様にも事情を聞き、それが真実を確かめるべきだ。そしてもし真実であった場合はお嬢様を窘め、ともに謝罪をしに行くべきだ。
だって、お嬢様はエリアス様の婚約者なのだから。
―――共にこの国を背負い、共に生きていく運命共同体になる2人なのだ。
共に信頼し、愛し合い、支えあい、どちらかが間違えたのなら正しきへと導かなければならない2人なのだ。
それなのに!!
お嬢様のことを信じずに、挙句の果てに他の少女の手を取るなど…!!
叫び出してしまいたい。この怒りを、お嬢様が受けた屈辱を、悲しみを王子にぶつけてしまいたい!!そのご尊顔をひっぱたいて、どれだけお嬢様が未来の王妃として誇りを持ち今まで努力を重ね生きてきたのかと詰ってやりたい!
…それをやらないのは私が飛び出して王子を殴らないように、レオが私の腕を握っているから。
「エマ。気持ちはわかるけど耐えて」
「……うん」
「今ここで僕らが飛び出したらレイネシア様に迷惑がかかる」
「…わかってる」
そう、わかっているのだ。従者である私がそんな不敬な―――ことの次第によっては反逆罪にもなるようなことをすると、従者の教育もできないのかと責められるのは、責任を取らされるのはお嬢様と旦那様方だから。
従者である私たちはここでお嬢様を見ることしか許されない。
それが、こんなにも悔しい。
「…わかりました」
静かな声が、一言響く。
お嬢様がシルバーの目をまっすぐにエリアス様へと向ける。
「今のエリアス様にはきっと何を申してもわたくしの言葉など響かないのでしょう」
―――その声には諦念の色が混じっていた。
それに気づいたのはきっと私とレオだけだけれども。
白磁のように美しい手がドレスの裾をつまみ、軽くスカートを持ち上げた。つい、と片足を斜め後ろの内側にひき、もう片方の足の膝を曲げ、そのまま頭を深々と下げる。
完璧なカーテシーだった。誰もがほう、と感嘆の息を漏らさずにはいれないほどの。
「今夜は失礼いたします」
「…っ!…お前の処遇は追って沙汰をする」
お嬢様に気押されていたエリアス様が何とか声を絞り出す。
最後にお嬢様は周囲の人々に「せっかくの祝いの場を台無しにしてしまい申し訳ありません。皆様はこれから、このパーティーをお楽しみくださいませ」と一言告げ、淡く微笑んだ。
そして、
「エマ、レオ行きますよ」
「「…!はいっ!」」
こちらを見て、名を呼んでくださった。
ようやく私たちはお嬢様の傍に行くことを許された!
人だかりを越え、お嬢様のうろに従い、お嬢様をできるだけ周囲の不躾な視線からお守りしながらホール入り口にある豪奢な扉の前へとお連れする。レオが扉を開き、お嬢様が一礼してホールを後にした。
私もホールを出て、ギギギ…重厚感ある音と共に扉が閉まろうとする。
扉が閉まりきる、その前に私とレオはエリアス様とアンナ様を見る。
エリアス様はもうこちらを見ていなかった。近くに控えていた従者と騎士見習いである同級生にパーティーの仕切り直しを命じているところだった。
しかし、アンナ様はエリアス様にしなだれかかりながらこちらを見ていた。
お嬢様が出ていった扉を嘲笑ながら見ていた。
その表情はとても、野に咲く花のような、陽だまりのようなと称される明るく素朴で平凡な少女の顔ではなかった。こちらを馬鹿にしたような薄笑いと、してやったという優越感に満ちていた。その歪んだ笑みは、エリアス様に呼ばれた瞬間に霧散して、花のように愛らしい笑みにすり替わったけれども。
――――アンナ
貴方の名前を永遠に忘れない。
私たちのお嬢様の努力と、約束された輝かしい栄光を奪った貴方を決して!
これは、そんな最悪から始まるレイネシア・シュネーシュメルシュ・ロマノヴァ様と、その従者である私――エマ・スクワイヤーとレオ・スクワイヤーを中心とした、お嬢様を最高にハッピーな結末へと導くための奮闘記だ。