二つの影 歪みかけの光 4
「買った、買ってしまった。駅まで行って、開店前から並んで買ったぞ。アップルパイ」
コーヒーのお供が欲しくなり、列車に乗った時にタイガが買ってきてくれたアップルパイを思い出した
駅内にあり、人気店なのか、列車に乗らなくても買いに来る客がいる。アップルパイの他に焼きたてのこうばしい香りは最高の誘導煙である
アップルパイを買ってふと、豆大福といい、このアップルパイといい、タイガが買ってきて店を知るばかり
よくタイガの方から買ってくるのでたまには自分から買い、いい店見つけたなとか言わせてやりたい
「あの味を、もう一度・・・」
紙袋に入ったアップルパイは、袋越しでも伝わるぬくもり。少し開いて匂いを嗅げば顔が綻びそうだ
昨日ジョーカーが現れたというのに、店を閉めずこういう時こそ安らぎとなる物をいつもどおり売ってくれるのはありがたい。モトキは賞賛の拍手を贈りたい気分であった
寮に戻りコーヒーを淹れて、時間を過ごすつもりだったがアップルパイを買うのに並んだことで余裕がない。アップルパイの入った紙袋を片手に次の店へ向かう
「そういや、エモンの隊には何人の隊員がいるんだ?」
目的の店まであと10メートルもない、もう目の前というところで隊員の人数をちゃんと考えながら購入しなければと、おかしな意気込み
足りなかったら悪いので、余る方を選択。5箱買い、店を出る
今日はお客が1人も来ないから、店主がよもぎ餅を一箱サービスしてくれた。4つ入り
モトキ、けっこうな量を買ったので財布の中が危機的状況である
「さーてと、どこに行けばエモンに会えるんだ?警察署にでも出向いてみるか」
行く道、人の気配をあまり感じられなかった。開いている店もあるが、やはり閉まっている店もある
この街から逃亡した者もいるだろう、戦闘で崩壊、穴の空いた建物の復興もまだ始められておらず
このまま、この街はジョーカーがいる可能性があるからと復興が遅れて、街から人が去り、ゴーストタウンと化してしまうのだろうか?
いや、考えすぎだ。きっとすぐにいつもの風景に戻るさ。そう信じたい
「学園も、休みだろうな・・・」
ジョーカー1人で、この街の変わり様。あんなのがまだ4人もいる
今思いつく限り、天災としか言い表せれない。本能を擽る凄まじい力を持った異様な隕石を落とし世界を消そうとしたりと、正気を保って戦っているとは疑ってしまう。いや、相手は五星の中でも狂っているや破裂寸前の腫物と言われているジョーカーだ。深くやつの心底を探っても沼をただ泳ぎ沈むだけ
トラウマとまではいかずとも、ジョーカーの笑い声が幻聴としてはっきりと耳を突き抜ける
「直接目の前にしたから、嫌でも見えないのに見える。少しでも頭に滲んでしまうな。こういう時はポジティブだ、好きなことを考えたり動いてみよう。うほーっ!アップルパイ最高だな!」
1人で勝手に思い出し、それを紛らわそうとただ必死
「げほっ!おへっ!層が!けふっ!アップルパイの層が喉に引っかかってっ!けほっけほっ!」
勢いよく食べたせいだろう、サクサク歯応えのアップルパイの細かくなった生地が喉に引っかかり噎せ返る。何度も咳き込み、唾を飲み込むが喉の違和感が取れない
手段として、右手の人さし指と中指を口へ
入れようとした次の瞬間であった、後頭部から重い衝撃。2本の指は口へ、勢いよく喉奥に刺さる
「おうえっっ!?」
背中にのしかかられる重さ、拘束しようと自身の手を背後に回される。腕を掴む相手の手の力から、その気になれば振り解くことは可能だがここは様子見
膝から硬い地に着き、顔は右頬から、痛みよりも何事?という状況把握
相手の手は冷たい、近くなので匂いがわかる。良い匂いだ
「挙動不審、薬の疑いもあるのであなたを連行する!暴れるならご自由に、腕が茹でる前のパスタみたいにバッキバキに折れるから!」
「連行してもいいですかって、確認の余地は無しですか?」
「怪しいと判断すれば強制でも連行するように、もし抵抗するなら手段を惜しむなと言われたので!このまま抵抗せず、おとなしく連行され潔白なら解放してあげるから!」
ジョーカーの一件があったので仕方ないとも思えるが、やりすぎはかえって不安の掻き立てや信用の失いに繋がる場合もある
確かに、自分がやっていたことは周りから見れば怪しいかったので大声で何をするやめろとは言えない
「素直におとなしく連行されますから、解いてくれませんか?拘束解いた瞬間逃げると疑うなら手錠を掛けてからでもいいから」
モトキの言葉に、背後に回された両手首に手錠を掛ける。その手錠はずっしりと重く、鍵も二重、イメージする両手首に通す輪にチェーンとは違い一つの鉄塊の手枷とも言うべきか
「立って!」と軽くキツめの口調で言われ、その通りに立つ。右手首は、彼女に握られていた
「あのー・・・荷物は放置しないでちゃんと持ってきてくれますか?」
「中身確認するし、証拠となるかもしれないので放置するわけないじゃない!」
「はい・・・」
ここでようやく、彼女の姿を目にした
長い青みがかった黒の髪は印象に残る。服装は、時々エモンが着ている赤褐色を基調とした制服らしき服装。拘束され、彼女の言葉からだいたい察していたが、死滅した憲兵の代わりに勤めるエモンの隊の者だろう
都合が良いとは違う、着いてから怪しまれてではなく、来る途中で食べていたアップルパイの生地が喉に引っかかり、噎せてなんとか取ろうとしていたところを勘違いで連れてこられましたとエモンに知られたら笑い馬鹿にしてくる
「さっさと行って聴取するわ!ただでさえジョーカーが現れて・・・」
ぶつぶつと小声になりながら、モトキの買ったアップルパイと豆大福の入った袋を拾う。けっこう雑に拾い、指が紙袋に食い込む
もうちょっと丁寧に扱ってほしい
「この二袋、中身は?」
「アップルパイと豆大福です」
歩きながら紙袋の中身確認を始めた。モトキが食べかけたアップルパイの表面ではなく、中身の層を指で摘み、ちぎり出し、それを舌へ
「薬を売り捌くのに、密輸する為の物じゃありませんよ。なんなら全部持って、同僚達とブレイクタイムにでもどうぞ」
「そう言って安心を擽り、もう1つの方を確認させない賭けにでる馬鹿はたくさんいる!このアップルパイ1つには無かっただけで、残りはまだ調べ完了してないわ!署で、再度みっちり調べるから!」
「取り調べはちゃんと受けますから、捨てるようなことはしないでくださいね。お店の方々に申し訳なくなりますから」
逃れようと思えば逃げれるのだが、エモンに差し入れを届けに行くだけで面倒事を大きくするわけにはいかない。それこそ本当に捕まる理由になってしまう
連行され、エモンに会えるも良し、取り調べで潔白となるも良し、誰も傷つかない平和的終わり
押さえつけられた際の痛みと、剥がれかけたガーゼの件は大目に見よう
(前も、革命組の・・・ニハだったかな?あいつと戦って、シャツに血が染み込んだまま街に帰ってきたおかげで連れてかれたっけ。あの時俺を連行した人、牢屋番をしてたやつ等はもういないのか・・・嘘みたいに、いなくなったな)
それ以降はもう頭に風景を描かないようにしたモトキは、暴れもせず、逃げ出そうとも考えず、警察署に到着するまで足音以外は静かであった
何度か向こうから出身や歳を問いてきたが答えず、反応もなく、諦めたのか彼女も静かになっており、次に口を開いたのは「さ、着いた」の独り言
一度見たことある入口、1人彼女と似た服を着た男性が立っていた。それを流し目に、「さっさと歩く!」と後ろより急かされながら中へ
中も前と同じだろう、やっぱりそうだった。あの時は、もっと人がいたはずなのに
おもわずモトキは閉じた口の中で、前歯の裏に舌を当てる
(入口の見張り、彼女と署内で1人、まだ3人だけ・・・誰も憲兵じゃない、本当に全員かよ・・・ジョーカー・・・)
歩かされる道も、見覚えある。どうやら、またここの牢屋に投獄されるようだ
以前は取り調べの前に、エモンとタイガが色々裏回しして解放されたが、今回はどうだろう?
潔白だから、何も心配はないが
「牢は他に誰も見張り無し、前に投獄されていた人達は別所へ移送されて誰1人いないからって・・・」
牢屋が並ぶ通路の右側、最奥より一つ手前の牢へ入れられた。鍵をかけられる音は、自分にはあまり耳に喜ばしい感触とは程遠い
意味もなく、牢屋の中央に正座をしながら静かにするモトキ。彼を連行し、見張りをする女性は向かいの牢にもたれ、腕を組みながらモトキを見つめたり、時折辺りを見回す
「罵倒したり、ワザとらしく泣き責めたり、唾を吐きかけたりしてこないのね。私の知る限り1番おとなしいわ」
「ここでそれらをして、出してくれるならやってたかもな。しばらくしてから鉄格子を掴んで、出せと叫び、余計な体力を使わされるような仕打ちをされないことを願うぞ」
「投獄された者や罪人をいたぶる趣味は持ち合わせていないの」
以前、血だらけのシャツを着たままのせいで怪しまれ、投獄された時の看守をしていた憲兵は酷かった。少し小太りで、食べていた長いパンをちぎり投げつけたり、口に含み唾液で柔らかくして、それを吐きつけられもした
彼女がとても優しく思える
「上に報告はいいのか?」
「代わりが来たら行くわ。報告は真っ先にするべきだけど、逃げ出す道具とか隠し持っている疑いもある。後で、隅々まで検査するから。それまで念の為、報告は後回しにして牢番をする」
彼女の名前でも聞いてみようかと、しかし馴れ馴れしくするなと怒られそうなのでやめた
エモンを呼んでくれと頼むべきなのだろうか?そう悩むこと5分程、決めた、エモンを呼んでほしいと頼もう。怒鳴られ、痛めつけられようが一度は頼んでみよう
この人は優しいから、話ぐらいは耳を傾けてくれると信じて。終わりは早い方が良いに決まっている
なら、その手段の1つを
「なぁ、少し頼みを・・・」
モトキの声に彼女が反応した次の瞬間であった、ガンッと鈍い音が一回だけ肌寒い空間に響く。エモンを呼ぼうとしたが、遮られたような気がした。何故だろうか?モトキはそう感じた
彼女の意識は、そちらに向けられていた。この空間だといつも以上に足音が大きく壁や床に反射し、こだまする
「っっ!隊長・・・」
険しい顔を一瞬覗かせるが、輝くような尊敬の眼差しへ。立ち止まる場所を邪魔しないよう、彼女は2歩退がる
現れたのは、嫌なほど見慣れた横顔であった
「お前が誰かを捕らえてきたとすぐ外で聞いた。お勤めご苦労」
「いえ、すぐに報告へ行くべきだったかもしれませんが、他に見張る者がいなかったので。申し訳ありません」
「最終的に報せてくれればいい、悪い方へ転落しない優先ならな。で、見回りに出たお前が捕らえたのは・・・?」
牢屋内のモトキと目が合ったエモン、モトキはすぐに「エモン、俺だ」と言いたかったが、彼は何か企むような笑みを浮かべていた
嫌な予感がする
「こいつ、どうします?持ち物は押収しましたが、取り調べは・・・?」
「やろう、すぐに移せ。あと、持ち物は他に隠している危険があるから身ぐるみを全て外せ」
「はいっ!」
意気揚々と敬礼する彼女、エモンは吹き出しそうになっていた。口を押さえ、震えている
モトキは「おい」と漏らし、次に「エモン!ふざけるな!」と怒鳴るが
「お前、誰だ?」
「おい・・・」
2回目の「おい」を発する。わざとである、絶対にわざと
彼女に見えないよう、こちらに笑顔を向ける。実はモトキを投獄してからしばらくしてここに来ていたのだろう。様子見をしていてエモンを呼んでくれと頼もうと彼女に声をかけた声主がモトキだとわかり、遮る為に近くの牢屋柵を音が響くように蹴ったのだ
ふつふつと湧く、覚えてろを心内に




