二つの影 歪みかけの光 2
再び会話が途切れてしまう。5分程の間を置き、突然としてモトキは立ち上がる
「どこかへ行くのか?」というタイガの問いに、「外の空気でも吸いたくなった」と答えた。いつもより遅めの歩み、背を見送ってからタイガも立ち上がり逆方向へ歩き始めた
階段を下り、通路を進み、徘徊している老人を横切ったので一瞬だけ尻目を向け、出入り口へと向かう
「涼しい」
外は夜景色。もう塗り替えられた偽りの夜とは違う。夜にある外に出た時の涼しさは、いくら歳を重ねても優しさを与えてくれる
病室に戻ろうにも、体が暇である。眠たくない、眠気が訪れるまで散歩でもしようかと考えていると自分に続いて病院から誰かが出てきた
よく存在する気配より、威のある気配。この病院から出てきたということはMaster The Orderの誰かであろう
そのとおりだった。出てきたのは烏龍茶の缶を片手に、こちらと目が合うと一度目を伏せたがすぐに視線を戻すベルガヨルであった
右頰に大きめのガーゼが目立ち、頭と腕、たぶん着ている衣服の下にも包帯が巻かれている
「お前は・・・」
「ベルガヨルだ、覚えておけ」
「知ってる。嫌でもな・・・お前は、ベルガヨル!って、敵に出くわしたかのようなリアクションでもとろうかなと」
「その言い方だと、今は敵対していないみたいな言い草になる」
もう1本の烏龍茶の缶をモトキに投げ渡す。少し喉が乾いていたのでありがたい
2人並びながら烏龍茶を一気飲みし、一息
「部屋の窓からお前が出てくるのが見えた。だから後を追ってみたが、見つけ追いかけるのは気持ち悪いか?」
「別に、俺に訊きたいことでもあったのだろ?ジョーカーとの戦いについてか、タイガとの関係についてか・・・まさか、ここで俺を暗殺するつもりだったか?」
「それもいいな。暗殺以外はだいたい正解だ。ジョーカーのこと、タイガとの関係も訊いてみようとも考えていたが、来るまでに薄れた。それは後の機会にしよう」
飲み終えた缶を握り潰す。投げた缶は音も立てず、木っ端微塵に破裂してしまった
ゴミ箱へ捨てに行く労力ぐらい面倒くさがるなと思ったが、持てるものを利用するのは間違いではなく、悪用しているわけではない
ベルガヨルは、一呼吸置いてから口を開いた
「一言礼を言いたい・・・」
モトキはキョトンとした顔、覚えがないのだ。彼に礼を言われるような行いをした覚えが
半分以上飲んだ烏龍茶の缶を少し握り凹ませてしまう
「俺は何も、むしろお前に憎まれてしまう真似をしたぞ。あ、もしかして、殴ってまで正してくれたとか熱苦しいやつか?」
「全然違う・・・熱苦しいよりずっと優しい、暖かみのある、庇ってくれた背だ。あの2人以外に、俺を庇ってくれたやつはお前が初めてだった」
「俺が?そんなことしたっけ・・・?」
2度の庇う連鎖が起きた。ジョーカーの影刃から身を呈してくれた付き人の女性。彼女が刺され、頭が空っぽになっていたところへの追加攻撃。それをうち払ってくれたのはモトキであった
「俺は、このまま彼女は死んでしまうのかと、不安ばかりに溺れていた。逃げる、応戦することにすら気が起きず、固められた銅像にでもなっていたかもしれない。我に返った時、お前の背が俺の瞳に・・・」
「あれはお前を助けるよりも、刺された彼女を見捨てる形で放置しておきたくなかったから。お前がたまたま彼女の血に濡れながら手で支えていて、ただ結果そうなっただけ」
「そうだとしても、礼を言うぐらいの心意気が芽生えても悪くないだろ」
モトキの言っている内容が本音ならば、彼女を救おうとしてくれていたことに感謝しよう
いつも己に付いてくる2人は、自分の身内にも、2人の身内からも、あまり良く思われていない
ミナールの取り巻きみたいに慕ってくれる生徒がいるはずもなく、Master The Order同士では元より良好な関係とは言い難い
互いに身を投げ出して助け合うなど、反吐だろう
「あの2人以外で初めてね・・・それって思春期特有の自分の周りは敵だらけとか、どうせ俺なんてと自虐に走りがちなあれとは違うのか?お前の目が行き届いていないだけで、お前を庇ってくれているやつがいるかもしれないぞ」
「そんなことは、絶対に無い!」
「ごめん・・・」
その否定する声量から本気が伝わる。ちょっとしたことで否定ばかりのやつらとは明らかに別、おもわず謝ってしまった
ベルガヨルは我に戻ったのか、何故か照れを覗かせながら服の袖で口元を隠し顔を背ける。何回か噎せ、咳の音が聞こえ、再びモトキの方を向く
「いや、そうすぐに謝るな。俺も馬鹿にムキになりかけてしまった。ミナールとかだったら、ギャーギャーリレーになっていたろうな」
モトキは何も言い返せない。彼女と知り合ってからそれほどの月日は経っておらず、同調して「そうだな」とは言えなかった
彼女の優しさは、時折感じることはあるが
ベルガヨルはしばらく口を開かず、モトキは言葉を返せずにいたので夜風の音ばかり聴こえる時間
1分ほど経過してからだろうか、ベルガヨルは深く息を吐き、改めモトキの目をしっかりと自分の目で見る
「そういえば、敵対で名を知ったままだったな。もう俺は、お前にだけは対立するつもりがない。これからちゃんと名を呼ぶ為に、お前の名を再びお前から教えて欲しい」
「モトキ、モトキだ。姓は無い・・・」
ボソリと「姓みたいな名前だな」を呟くベルガヨルに、モトキは「俺も時々そう思う」と返す
あ、聞こえてました?といった顔
モトキという名前も、タイガも、誰に名付けてもらったのかは知らない。エモンでもなく、施設の人も違う、物心ついた時からその名で呼ばれていた
あいつもそうだ、タイガと自分の3人の名前は誰に付けられたのだろうか
「モトキ、さっきも教えて俺の名前はとうに存じているはずだが名は受け答えだ、しつこいがもう一度・・・俺はベルガヨル、お前の幼馴染と同じ、Master The Orderだ」
「あぁ・・・あの付き人2人は?」
「回復したらちゃんと紹介してやる」
ベルガヨルが姓を名乗らなかったのは、姓を持たないモトキへの気遣い
そのような気遣いにモトキは気付かず、ミナールとキハネの居場所を尋ねてきた
2人の名を耳にし、あからさま不機嫌の表情。でも、彼に訊かれたので病室の番号だけは教えてあげた。ベルガヨルの病室から右に2つ隣がミナールの病室である
「ありがと。安置所だと言われたら胸が張り裂けそうになる。顔見知り、だけでは済まされないから」
「俺はそっちの方でもかまわないが・・・」
あんな事があったので、彼の言葉は洒落で片付けていいものか?モトキは苦笑いをしてはいけないような気がしたので抑えていた
ミナールの病室を教えてもらったので、顔ぐらい覗いてこようかなと考える。なんだかんだで、学園では付き合いが2番目に長いので
さて、どのタイミングでミナールのところへ行くと切り出すべきなのか。「今からミナールのとこに行くからバイバイ」と告げればベルガヨルは気分を損ねてしまうだろう
などの気づかいを巡らせていたら、彼から先に部屋に戻ると口に出す。たぶんモトキの考えを汲み取り、察したのだろう。自分は考えすぎていたのだろうか?とモトキは右頬を人さし指で掻く
「あっ、キハネの病室は・・・ミナールに訊くか」
ベルガヨルが先に去り、しばらく時間を置いてから病棟内へ
数分前に見た徘徊する老人が床に直接座り込んでいた。口はだらしなく開き、首は傾いており、虚ろな濁った瞳はどこへ移動してもこちらを見つめているような気がした
夜の病棟内で、こんなものに出くわしたら飛び上がってしまいそうだ
モトキは、老人を放置することにした。昔、施設の前で立ち止まっているおじいさんに声をかけたら殴られた記憶があるので、老人とはあまり良い思い出が皆無である
「外出許可がおりるなら、明日エモンのとこにでも顔を出すか。差し入れぐらいしよう・・・」
差し入れはエモンの好物であるコンニャクでも、いやそのまま食せってか?家で好きに調理してくださいではダメだ。彼の部下達にも考慮しないと、食べやすく、片付けやすく、大勢で取り分けやすいものが好ましい
カツーン・・・カツーン・・・の音は病棟内に消えていくモトキの足音、暗闇に溶けていく。ベルガヨルの言っていた部屋番号が近くなってきた、確認しながら進む
「おっと、2516。ここがミナールの病室だな・・・俺の病室とランクの差が」
この病室から右に2つ隣がミナールの部屋、数歩後ろ歩きで戻る。名前の札がどちらにも無かったのはあまり人に来て欲しくなかったのだろうか?それとも、今件の関わりによる配慮の可能性がある
入って着替え中だったり、寝てたりしいたら失礼なのでノックをする。そんなラッキースケベなど必要ない、エトワリング家の屋敷で学習した
「モトキです。入って大丈夫か?」
すぐに反応があった。「どうぞ、お入りを」の声は何度も耳にした彼女のものとは違う。続いて「なんであんたが応えるのよ!」とちゃんとしたミナールの声が聞こえた
もう1人の声主はキハネだとすぐにわかった。彼女から入ってOKの許可を頂いたのでなるべく最小限に、静かに入室
「どうも、モトキ殿」
ミナールは顔を逸らし、顔を合わせてくれない。2人共、ベルガヨルや今の自分と同様、包帯にガーゼが痛々しい
「先程、タイガ殿に出くわしましたが一番重傷であったはずですのに、一番元気でしたよ」
「あいつは昔から丈夫なところあったから」
座ろうにも椅子が1つしかなく、それにはキハネが座っている。ミナールがベッドに座ればと手で自分の足近くの部分を叩き誘導するが、モトキは扉にもたれて動かず
ちょっと膨れっ面
「あら、可愛い」とキハネは揶揄ってから、本題に移る
「街は騒ぎより、ざわめいていると表した方が正しいでしょうか?ジョーカー殿はもう姿も気配も霞消えたというのに・・・」
「しばらく街から出て、経過を待つやつもいるだろうな。不思議と直に対面した俺達が避難もせず、不安に煽られていない。ジョーカーに直接触れる目に遭遇したからか?そこで、あいつの柄を見たからかもな・・・」
何故だろう。ノレムを倒し、次に自分の前に立ったジョーカーからほんの僅かな優しさを感じ取った。殺意など全く無く、今回はこれ以上危害を与える真似はしないと信じてしまう
最悪の敵の1人でありながら、どこかに魅力と惹かれてしまいそうなものがあった
モトキの様子に、ミナールは自らにある不安を口出す
「不安なら別にあるわ。あんなのが、全部で5人いるってこと・・・」
「五星達か。全員が表に現れるまでに、俺は生きていたらいいな」
モトキの心に引っかかっているのは、ジョーカーが言っていた先の結末。スペードが世界の上に君臨する
ジョーカーがスペードに抱く信頼、尊敬、嘘ではないと思ってしまう程の威圧による説得力
そして、いずれ来るという自分の中にある光となっている概念の終わり
「スペード殿がモトキ殿とタイガ殿に興味をお持ちだとジョーカー殿が仰られてましたよね。惹くような真似事に覚えは?」
「覚えといったら、ぬめぬめ野郎を討ったかエトワリング家での一件ぐらいしか・・・そもそもどこから俺とタイガの名前を?ノレムってやつとその妹のどちらかが言いふらしたと疑うにも、そんなくだらないことをするやつじゃなさそうだしな。あいつらは初めから俺のことを聞かされていたかのような物言いだったし」
ミナールはぬめぬめの言葉に首を傾げる。そんなやついたっけ?と
「あんたが言うぬめぬめ野郎を倒しただけで興味を持つのはおかしくないかしら?あの、スペードよ。名の通る大きな相手とは違いそうなのに、そいつを討っただけで興味が湧くなら他にもっと危険視すべき相手はいるでしょ。エトワリング家令嬢の誘拐宣告も根はあんたの確認であったわけだし」
さらっと遠回しに卑下されたような気もするが彼女の言葉には一理ある
ますますわからなくなってくるが、もしかすればジョーカーの嘘の可能性も除き切れていない。どれが正しいのか、確信するものが困惑の海より掬い上げれずにいた
「あくまで仮説ですが、エモン殿が何処ぞであなた方のことを面倒を見たや愚痴る話をしているのを聞いた潜伏者がスペード殿や他の五星に告げてしまったとかは?」
「エモンさんとは別で、過去にスパイ事件もあったからありえる話ではあるけど・・・」
「もしそれが正解だったら、一句一句細部まで報せる真面目すぎるスパイで、それに興味を持たれたら単に俺とタイガを暖かい目で見ながら馬鹿にしてるだけじゃねぇかよ」
政治、戦、謀略等が渦巻き、息苦しくなってしまう話の中で、そういった微笑ましいしょうもない話は癒しとなるから印象に残りやすかったのだろうか?
「あまり公にばら撒くような話はすべきではありませんね。なんと、この者は、スペード殿とジョーカー殿に!なんて・・・」
「優遇されるより、囚われて監視される結末もあるな。タイガは大丈夫として、俺は一般学生だから。面倒事となりそうな余計は消されてしまうばかり」
「向こうが欲した混乱を鎮めれる少女が処刑された例もありますからね。もし、またジョーカー達が、求めておいでになられたらならば・・・?」
「どうするべきだろ?ひっそりと街を去るぐらいしかできなくなったら辛いな・・・」
最後の手段は2つ、街を去る、自ら命を絶つ、どちらも逃亡である。街を去っても、行く先々で迷惑となるならば命を絶つ手段
だが、不思議とモトキを含めジョーカーと対面した全員が、彼はもう二度とこの街に、モトキとタイガを求めて現れないような気がしていた
これからのことで不安そうな彼に、心配は不要の言葉を投げかけるしかできない。それだけで、十分でもある
「悪い場面になれば、そうなった時にまた考えるようにしましょう。タイガ殿が仰られていましたが、エモン殿が手回ししてくれたおかげでモトキ殿へ質問攻めに参る輩は今のところ安心しても良いでしょう」
今のところではある、今のところは
帝等のトップに呼び出される事があるならば、エモンでもさすがに無理がある。ジョーカーであったのも、余計に悪い
「Master The Orderに混ざって関わったのが運の悪さだったな。俺1人でいたら、俺1人で起こった事態で片付いたのに。それでやられたら、偶然にも侵入したジョーカーと出逢った運の悪いやつで終わってたのだろうか?」
「抵抗はするでしょ」
「そりゃあ、できるなら」
ミナールは、不思議とこいつならジョーカーや他全員を相手にしてもなんとか大きな一矢を報いてくれるような気がしていた
本気でないにしろ、自分を負かした彼だからな訳とは違う。最初にベルガヨルと相見えた際に感じた残虐性のようなものと、ジョーカーが現れた時に覗いた得体の知れないもの
無意識に、無自覚に、恐ろしい何かが眠っているのかもしれない
それは、彼を近くで目の当たりにした者だけが知ることのできる。生ある者の本能が戦うつもりとなった彼を近くで目にして一瞬でも囁くのだ
(私、こんな敏感に感じ取りやすかったかしら?こいつにだけ・・・?)




