前兆前 2
時間は夜の刻へと戻る。フクロウが鳴き、不気味が漂う森付近に、一際目立つよくいる王族の城では比べものにならない豪華に華美、といった派手さはないが古き美しさを感じられる館
他に館と繋がるように造られた和風の屋敷、他にも敷地内には別の建物に東屋や花々と巨大な噴水で飾りつけられた中庭があるがやはり館が一番目立つ
少年が館内を走り回り、手当たり次第に扉を見つけては開いて、部屋の中を見回すがすぐに閉めて次の部屋へ
「ジョーカー様!!ジョーカー様はおられますか!?」
この言葉を叫んだのは何度目だろうか。広間、ジョーカーの部屋、仕事兼書斎室、図書室、物置、トイレはちゃんとノックをして、様々な場所を探すが見つからず。館に不在ならば、五星達が集まる場所か適当な場所で寝ているか、そうなれば探すのは一苦労だ
窓から中庭を眺めてみたが、噴水の水面に映る月だけである。次に風呂場へと向かうと、明らかに空気が変化した。自然に、落ち着いてしまう。温度も変わり、温かい水気を感じる
風呂場は湯気で視界が悪い、扉を開け別の空気が入ることで徐々に良くはなっていくが時間はかかるだろう。横に25メートルの白いカーテンには女性の身体のシルエットがいくつも影で映っていた。髪を大胆に搔き上げる者、湯に座り込む者、映らない何かに集まる者達
「ジョーカー様、そこにおられますか?ノレムです」
少年は正座をしてから、両拳を床に付け頭を下げる。カーテンが右端から開き始めた。誰かがしてくれたわけでなく独りでに
開かれたカーテンの先にはジョーカーがいる。影が映らなかった彼は頭に甲冑を被ったまま、青みのある湯に複数の女性達と浸かっていた。湯に浮かぶのは氷にグラスと飲み物の入った器
ノレムはただ、口を開かずジョーカーが尋ねてくるのを待つ
「夜更けに何用だ。トイレを借りたら詰まらせてしまったか?」
「全然違います。余程でない限り、ここまでトイレは借りに来ませんよ」
冗談だと一言、ノレムは知ってますと返す。微かな笑い声が聞こえた
立ち上がり湯から現れたのは鍛え抜かれた身体だが左胸から胸下中央にかけての痛々しい傷跡、他にも傷跡はあるのだが初目だとそこに目がいくだろう
器にあるグラスと瓶を手に、ノレムへ投げ渡す。まずは一杯飲んでからと
「これからへ、飲んで意気込むか、邪魔の元となるならば飲まずか・・・」
ノレム、あまり酒の類いは好まない。痛い目に遭っている者を見たことがあるので
「酒じゃないさ、僕は酒が嫌いなのは知ってるだろ?知らないならショックだな。僕と親交を深めようキャンプを開いて無理矢理参加させるぞ」
グラスに注ぐ、液体は黒紫色。飲む前に匂いを嗅ぐなどせず躊躇いを持たず飲み干した。濃い葡萄の味と香りは甘く、渋く、喉に絡みつく
湯に浸かり座るジョーカーは、擦り寄ってきた女性の頭を撫でる。自分もしてほしいと彼の身体に触れ、指を吸い、首筋に舌を這わせるもそこからは無反応
「では、貴様が赴いた理由を教えてくれ。ノレムの日頃の行いに免じて、僕が力になれる範囲ならば力になろう」
「はっ!ですが、ジョーカー様にお力添えを頂く為に参ったわけではありません。1つ、俺の・・・我儘を許していただきたく!」
額を床に打ちつけた。できる限り、限界まで頭を下げたかっのだ。我儘とはいったい?ジョーカーは思い当たる記憶を探ってみるが出てこない。もしかしたら以前にノレムを朝方の散歩に付き合わせた際、ゴミ捨て場に積まれて放置された裸の女性をまとめた本を後でこっそり持ち帰ってしまったことだろうか?彼はきっと罪悪感に苦しんでしまっていたのだろう
「年頃だ、あまり重く捉えるな。僕だって、後でこっそり取りに行こうかなと魔がさしかけてたぞ」
「え?は、はぁ・・・失礼ですが、たぶんジョーカー様の思い当たりとは違うかと」
「え、そうなの?」
ちょっとだけ恥ずかしくなってきた。ノレムは申し訳なさそうな顔をしているが違う、違うんだノレムよ、悪いのは思い当たりを決めつけた自分である
ジョーカーはすまんと左手の側面を顔前にやり謝ったがノレムはまた床に頭を打ちつけた
「では、貴様の我儘とは?」
「はっ!前回、エトワリング家ご令嬢を拐う任を任されましたが自分の未熟すぎと足手まといにより失敗、戦闘となるも敗北を・・・」
「あれは表向きだろ。本来はスペードが興味を示したやつを見てくるのが目的だ。僕の自分勝手に付き合わさせただけ」
本当の目的は教えられていたが責任を独自で重く感じてしまい、腹を切ろうとしたのだがジョーカーに止められたのがつい数十日前。あの後、ジョーカーではなく妹にめちゃくちゃ怒られた。恥なら、それを持って死ぬのはおかしいことだと
「恥と責任を感じるのはやめました。失敗を忘れてはなりませんが負い目にしすぎるのもよくないと妹に説教されましたので。ですが、俺は・・・モトキってやつと再度戦いたいのです。戦いたくなってしまったのです。今まで負けたことは何度かありましたが、ですが・・・モトキに負けたことがどうしてか頭から消えないのです!」
熱い想いが伝わってくる。彼がこうまで熱弁するのは珍しく久しい
「それほど、そいつに不思議な魅力があるのだろ。モトキとの再戦・・・それが、我儘か?お前のことだ、過去の恩で僕に捧げるべき命を、モトキと戦うことで落としてしまうかもしれない。自分にはそれが我儘となる。だろ・・・」
過去の恩とは、ジョーカーが気まぐれで奴隷として敵国へ送られる商船を襲い、救い出してくれた一件
ジョーカーは別に恩をつくりたくて船を襲い、商人達を鮫の餌にしたわけではないのだが。たまたま保護された奴隷達にあの兄妹がいたのだ。才能の苗を見つけたので自分からついてくるかと誘った
「はい!ジョーカー様に救っていただいた命、ジョーカー様が止めてくださり失われなかった命、二度も命を与えてくれたというのに・・・」
「誰かの為に死ぬのはけっこうだが、国の為には死ぬなよ。僕が貴様の国だとするならば、僕の為に死ぬんじゃない。お前の大きな命だ、無駄にはせず好きに使え」
勿体無く、ありがたいお言葉とこれ以上は床に頭が埋まってしまうんじゃないか程、頭を下げ額を擦り付ける
しかし、ここで1人の女性が笑い出した。どう聞いたって、馬鹿にするような笑いだ
「わざわざ夜遅くに来て伝えること?迷惑もいいところ・・・手紙とかで謝罪を記した文面を送り、勝手に1人向かう方法もあったのに。ジョーカー様だってせっかくの憩いとお楽しみを・・・」
次の瞬間であった。女性の頭をジョーカーが掴み、顔を湯へと沈める。踠くが無意味であり、激しい水音と苦しむ声だけが耳へ襲う
他の女性達は離れ、黙ったままその光景を見ることしかできなかった
「ノレムがどれほどの覚悟で、僕の元へ来たかのか貴様にはわかるか!?」
人さし指を喉へやる。びくんと一瞬だけ彼女の全身が震えたがその後は大人しくなってしまった
青みのある湯に赤が滲み始め、女性達は悲鳴をあげながら慌て、身体を拭きもせず逃げ出す
ノレムは口を開けなくなっていた。正座の状態で硬直してしまっている
「青に赤が混ざって、紫には変色せずか・・・さて」
湯から上がり、身体を拭くとタオルに挟んであった黒いボロボロのマントを頭から体を被うと1秒もせずマントは消え、頭だけでなく全身に甲冑に身に包んでいた
ノレムの前に立つ、それはとても大きく映るが目の錯覚だろう。ピリピリと痛む存在しない圧が、部屋の至る所にヒビを生む
「伝えた後、すぐに向かうつもりだったのだろ?」
「うぐっ・・・はい!」
気づかぬ内に呼吸をしていなかった。驚きと急な呼吸により返事が詰まり腹部を殴られたような声が出てしまう。甲冑でわからないが、ジョーカーは少し笑っているのかもしれない
すぐに、先までの言葉を遺言として捉えてほしいとジョーカーに告げるが、彼はその場に胡座をかきノレムと同じ目線へ
「僕も行く。となると、敵国へ行くには・・・いつもの経路か、金で誰かを裏切らせるか、こうなったら戦争を仕掛けてみるか、優柔不断だから迷うな」
「へ?」
ジョーカー、行く気満々である。唐突すぎて、ノレムは「ちょっと待ってください」の言葉が出なかった




