闇の裁き 2
遡ること勇者とその親を亡き者にし、広大な海のど真ん中で木の漕ぎ舟に取り残された後のこと
ノレムは、なんとか沈没まで時間のない舟で、ここは何処なのか知るはずもない砂浜に辿り着き、降り立つやいなや、大の字になり倒れた
砂浜へ跳ぶ際に踏み込んだ反動で、木の舟は完全に壊れた。残骸はやがて、小波に攫われ海の藻屑と化す
なんという広大な星空だと、そんな身近な感動にすら気づかず、疲れが一気に来たのか眠気が襲う
「一眠りしてから、帰る手立てを考えるか・・・」
数分だけの仮眠のつもりだったのだが、がっつり睡眠をとってしまった
目を覚ました時には、早朝の時刻
水平線の彼方から太陽が昇り始めるまで、もう少し横になっていようと珍しく自分に甘くなってみた
目だけを閉じておき、呼吸も静かに、夢に入らずとも寝る体勢にだけなっておこうとしたら、砂からこちらに向かう足音が伝わってきた。人数は2人
特に気にする必要はないのかもしれないが、念の為に警戒をしておくべきだろう
害を及ぼす真似さえしなければ、一切の手出しはしない。もし、盗人とか追い剥ぎであれば、息の根を止めればいいだけ
「姉ちゃん!ほら!やっぱり!誰か倒れてる!」
声色からして少年だろう。その者は我先に、砂浜で横になっているノレムに駆け寄ってきた
「人柱に使われたわけでもなさそうね。きっと、船が難破でもしてここに流れ着いたのでしょ」
少年に続いて女性の声が聞こえる。本当に人が倒れていのを発見したので、歩みを急がせ近づいてきた
彼女はすぐにノレムの胸に耳を当て、心臓の音を確認する
「硬く逞しい身体・・・何故でしょう、すごく安心する・・・はっ!違う違う!そうではなくて!えーと、心臓は脈打っているわ。大丈夫、気を失っているだけ・・・」
完全に起きるタイミングを逃した
このまま突然に起き上がっても、驚きで尻餅をつかせるだろう
「おいらは大人の人を呼んでくるね。姉ちゃんはここで待ってておいてくれ」
「呼びに行かなくても、この人ぐらい、わたくしでも背負い運べるわ」
意気揚々、やる気満々なのか可愛らしく鼻息を吹き鳴らす
そんな姉に、弟は不安げな顔となっていた
「よし・・・」の一声で気合いを入れ、ノレムに触れようとした次の瞬間、彼女の手首が掴まれた
「わあぁーーーーーっっ!!」
安易に触られるのは嫌だったので、ノレムは起き上がり、彼女の手を掴んだ
相手は驚きによるつい反動からか、声を上げ、もう片方の手で平手打ちをしてしまう
彼は何をする!のリアクションもなく、怒ることもなく、ただ無言で目線を向けるだけ
「兄ちゃん、気がつくにしてもタイミングが悪すぎるよ」
彼女の手首を掴む手を離し、変に関わるわけにはいかないので、この場から立ち去ろうとするが、呼び止められるし、少年が立ち塞がる
「まー、待ってよ。世捨て人みたいにかっこつけないでさー」
あまり絡みにきて欲しくない。だからといって邪魔だと斬り捨てるわけにもいかず、無言のまま困った顔を晒した
ここで寝ていた理由でも訊いてくるだろうから、適当な嘘でもつこう
隙を見て、逃げるのもありだ
その背に再び、叫ぶ声で呼び止められはされそうだが
「兄ちゃんはどして、ここで寝てたの?」
ここで寝てたに、理由がないことも多いだろう
この少年は自分を疑い、感探っている
生意気な疑いを向ける眼になってきたなと思いながら、睨むだけで返答をせず
それに対し、意地でも理由が返ってくるまで待つ少年との間に空気の悪い沈黙が流れた
それに耐えかねなくなったのか、少年の姉が言葉で割って入る
「あー、気分悪くなさらないで」
彼女はこの空気にいるのが嫌で、胸奥に刺さる緊張を誤魔化してるつもりなのか、ウェーブのかかる長髪を、右手を櫛代わりに梳かし、絡めてイジる
しかし、背に持っていった左手には、刃物が握られているのをノレムは見抜いていた
「別に気分を害してはいない。俺が生き倒れていると思い、わざわざ駆けてくれたのなら礼は言う。だが、俺には関わらない方が身のためだ」
もしも、自分が敵側の者だと判明し、彼女が背に隠し持つ刃物を突き立ててくる事態となれば、容赦なく二人の命を奪うことになるかもしれない
それを避けようとするノレムなりの気遣いなど御構い無しに、少年は舐め回すように彼の全身を見ていた
「純白のキャソックを着てないから、教団者じゃないのかな?拉致されて人柱にされたけど、運良く拘束具が外れて流れ着いたの?」
人柱。神へ供えるを方便に行う人身御供の一種であり、ノレムの主であるジョーカーが嫌う愚かな行いである
せっかく救った一つの村を、それを行なっていたのが発覚すれば、老若男女問わずに全てを焼き払ったことがあると先輩の方から聞いた
「人柱?教団・・・?」
「あれ!?この町にいながら教団を知らないなんて、もしかして外様の方!?」
内心で疑問を持つべきであっただろう
つい、口から溢れてしまった
隠してもしょうがないので、彼女の問いに「そうだ」と、一言返してから事の経緯を省略して説明する
「木舟が難破し、なんとかここに流れ着いた。疲れがあったのか、つい寝ていたところをお前達が来てくれて今に至る」
「へー?町の漁師でもないのに、どしてこの近海を木舟で渡ろうとしてたのです?」
ごもっともである。あの舟を用意したのは我が主のジョーカーであったのだが、あの手漕ぎの木舟で本当に帰る気でいたのだろうか?
まさか、自分に死ねとでも遠回しに伝えたかったのだろうか?もし、そうだとしても命令ならば喜んで、と言いたいところだが、あの方は他者を陥れたり唆すことはあっても、そんな遠回しな処断はしない
本気であれで帰れると、面白半分で踏んでいた可能性もある
それにどうせ死ぬなら、モトキと最期の一戦を所望して、討たれたい
考え込むノレムだったが、周りから見れば返答に困り、黙り込んだように映る
そんな彼を不審に思えはするも、女性は優しい口調で声をかけてあげた
「都合の悪い事情があるのなら、追及はいたしませんよ」
「あ・・・いや、そうか。お気づかい痛みい・・・」
ここで急に、ノレムは拳が握られた左腕を空に裏拳を打つ動作を行なった
その次の瞬間、彼の左腕に矢が2本貫く
矢尻が彼女の右眼と眉間に到達する寸前で止まった
「姉ちゃん!」
急な事態に、女性は崩れるように座りこんでしまう
そんな彼女を助ける義理もなかったのだが、つい反射的に動いてしまった
くだらない不意打ちしやがって!と、矢尻を折り、腕から矢を引き抜いた
「う、腕に矢が!」
「案ずるな。俺の不明が射抜かれただけだ。腕に矢や剣の1本2本、どうってことない」
矢が飛んできた方向へ顔を向ければ、遠方に純白のキャソックに身を包んだ集団がそこにはいた
それらを率いて先頭に立つは、純白のキャソックの上に、同じく純白のサープリスを着用した華奢な男である
その手には金が装飾された弓を持ち、彼の周囲を少ないが数本の矢が浮遊し、漂っていた
「小僧、お前が言っていた教団の方々じゃないのか?お前らが遅いからお迎えに来てくれた・・・という雰囲気ではなさそうだな」
少年は、目尻に涙を溜めて震えていた。ただならぬ者であり、状況となってしまったのだろう
女性の方は自分の弟を守るように前に出ながら、ノレムに説明を始める
「あれは教団の信者達と、大幹部の・・・」
大幹部であるサープリスを着用した者は、連れてきた他の者らにここで待つように指示を出し、砂を蹴るようにして歩み迫り始めた
「教団信者内では見ぬ顔が3人・・・規定範囲外であるぞ!」
女性は慌てふためき、ノレムは関係のない外様であることを告げようとするが、鼻からこちらの言葉など聞く耳を持つつもりはないので、お構いなしに問い質してきた
「そちら、ここでどういった用件でいる?」
何を言ったって無駄だ。教団の信者でなければ、ちょっとの違反行為だろうがチャンスとばかりに、理由をつけて連れて行くか、処断するしか行われない
さっきの矢も、訊ねるだけなら射る必要がない。どう見たってあのまま始末する気概でいた
嫌な汗が姉弟の頬を伝い、教団という存在がチラつき、恐怖で固まってしまう
「ふーむ、黙秘は困る。近頃は、我々の為に名誉ある施しを受けた信者を回収している不届き者もいることで、今日は見張りを数名配らせていたのだが・・・」
なにが名誉ある施しだ。人柱に使い、手厚く葬ることもせず、樽か袋に詰め、海に遺棄して終わりじゃないか
内心はそう思ったとて、切り出すことができない
「ふむ、どうやら我々に怯えて一言も出すことができぬみたいだな」
今、男は一瞬だけ不敵に微笑んだ
怯えてくれていることが、町における教団の立場、力、それを示せていることが目で見てわかるからだ
鼻で笑ってから、「時間の無駄であるな」の言葉を残し、立ち去ろうとする
しかし、背を向け、待たせている信者らの元へ戻る際に、ふと訊ねた
「そういえば・・・最近は弟君様が、我々に対し反乱因子を蓄えておられる噂も流れておられるのだが?」
それを訊かれ、姉弟は息を呑み、返答できない
その戸惑いを見せるのは、ダメなものだとノレムは呼びかけそうになるが、事態と事情は知らないので、とりあえずは様子見しておく
「ほーう?図星であるか?いや、図星でなくとも思い当たるといったものか?単に突然の問いでの戸惑いか?」
再びこちらに正面を向けるよう振り返り、人さし指を突き出し、ぐるぐると円を描くよに動かす
こいつ、最初から誰であってもこれを訊くのが目的だったな。それがたまたま、この2人は浜辺で寝ていた自分に駆けつけてくれた行動のせいで目をつけられ、この事態かと、ノレムはちょっぴり罪悪感が芽生えてきた
「ふふふ・・・弟君様は幼少の頃から、我々を毛嫌いしておられたので。齢15の歳、経験も器量もなくとも、王族という地位を使い、同志を集め、反旗の号令をかけるだけならば十分」
生意気な幼少時の姿が思い浮かんだのか、思わず一度笑いを挟む
「たとえそちらの戸惑いが、我々を恐れての思わず出た顔と態度だとしても、僅かな火種の可能性は調べ、必要ならば排除すべきである。元より疑いは我にとっては確信となっていたが、確証にはならぬ。ならば、そちらを拷問にかけ、嫌でも嘘でも、真実として吐かせてやろう。言葉が欲しい。証言を突き付ければ、王とて我が子であろうとも、我々には逆らえずに処断するだろう」
「こ、こんな小童の証言なんて、所詮戯言と片付けられるだけですよ。ルービーパーツ様・・・」
姉の方は弟の前に立ちながら、彼を自身の後ろから出さない為に手を後ろに伸ばし、動かないで、出ちゃいけないと言わんばかりに、強く弟の両腕を掴む
「ならば、そちらに関わる者らを洗いざらい、1人ずつ、時間をかけ同じ目に遭わせていくまで。王が認めざるを得ぬまで」
まずはこの場にいる3人の両膝を射抜き、歩けなくしてやろうと浮遊する矢を1本手に取り、一呼吸入れる動作もなく矢が射られる
到達までに1秒すら遅い速度で迫る矢を、ノレムは鞘に収められたままの剣で叩き潰した
「兄ちゃん!」
「下がってろ。勘違いするな、お前らを守りたいわけじゃない。俺に攻撃を仕掛けたのなら、上等!あいつも俺の糧にさせてもらうだけだ」
あんなやつに苦戦するなど、ましてや足枷となる二人がいたとて、倒せなければモトキに勝てやしない
今の己が力量を改めて知る良い機会だ
そう自分に言い聞かせているが、本心はどこかに弟を守ろうとする姉の姿に、過去の自分が映り、心を動かされたからである。その自覚はないが
鞘から抜かれた剣にはいつも通り、爪痕が刻まれている錆びた刀身に闇が纏い覆う




