鱗粉の香り
暗闇に咲く、白い花が開き始めた
外側から開いていき、最後に中心部の花弁が開かれた時、花に包まれていた女性が姿を現わす
眠っていた。長く眠っていた
身を乗り出し、花からふわりと舞い落ち、白いワンピースが靡く
足が着き、シャンデリアから灯りが点いた。その花の存在以外は、広く普通の部屋である。高価な椅子が、絨毯の上に横たわっていた
「爺・・・いますか?」
「ここに・・・」
扉前に、老人の姿があった。彼はお目覚めにとグラスに透き通る水を注ぎ、手渡す
ゆっくり少量を口に含み、喉に通し、一呼吸を挟んでから口を開く
「私は、どのぐらいお眠りに?」
「2日でございます」
自分から聞いておき、せっかく教えてくれたのに素っ気ない態度である
ふと窓から外を見れば、まだ外は暗闇であった
「予定、用があったり、呼び出しがあったわけでもありませんけど、久しぶりに、学園に行こうと思い立ちまして」
「さようでございますか。では、こ準備致しましょう」
一度、頭を下げてから老人は部屋を退室。一人、部屋にて残され、待つ彼女は、震えていた
それは、寂しさや思いあたる悲しみが蘇ったのではなく、喜びに染まろうとしているからである
両拳を握り、ついやってしまうガッツポーズ
「3年・・・そう!3年待ち続けました!あのお方も!あの学舎にご入学されているはず・・・!3年間、同じ場所に通え、毎朝挨拶し合い、時折お昼をご一緒し、帰りは短いながらもあと少し長くいたい気持ちを隠しながら共に帰路を歩く日をお待ちしておりました!」
笑いが止まらない、もしかしたらあるかもしれない妄想を楽しんでいたが、老人が彼女の制服や、その他必要そうな物を持ち、戻ってきた
イカしたキャビネットに置かれた植木鉢に咲く白いチューリップには、2匹の蝶が止まる
その蝶が飛び立ち、光の粉となって消えた時には制服に着替え終えていた
老人が、移動の準備はできていると言うが、彼女は「必要ありません」の一言
ひとりでに窓が開いた。彼女の背には蝶の羽が生え、強風が部屋に入ってきた
老人は強風に押され、目を開けられずにいたが、風はすぐに静かになった。しかし、そこに彼女の姿は、ない
「夜の風が私と一緒に喜んでくれている!なんて気持ちの良い!なんて心地の良い!学園に行くのが、こうも楽しみとなったことはこれまでになかった!」
夜空に撒かれる黄金色の粉は、彼女の背に出現した羽より降り注がれる
彼女のテンションが高い。当たり前のように綺麗な月も、今はその美しさを褒めたくなってしまう
目覚めの気怠さとは吹き飛び、ご機嫌であり、胸が高鳴り、1秒でも早く学園に着きたい、何もかもがうまくいきそうな、そんな日
場所変わり、時刻が進んだ朝方、駅に一台の列車が到着。朝の刻、人のいる中で、下車してきたのは犬の着ぐるみを着たおかしなヤツであった
続けて、ミナールが下車する
「うーん・・・帰るのが遅くなっちゃったわね」
身体を伸ばすミナールの横で、籠った口調で「そうですね・・・」と元気のない返事
「あんた元気なさそうね。帰ってきて休む間もなく、学園へ行かなきゃならないなんて憂鬱?月曜日の朝?サボっちゃえば?私も時々やるわよ」
「暑い・・・暑いんじゃチクショー!!どうして帰りはこの着ぐるみなんだよ!?何故あのタイミングで俺の私服が洗濯されてんだよ!?なんで頭だけでも取っちゃダメなんだよ!?」
「やっぱり・・・」
犬の被り物を頭から取り、投げ捨てる。それを何故かミナールが蹴り飛ばし、空の彼方へ
酷い汗である。髪もへばり付き、ぐしゃぐしゃで、今すぐにでも脱ぎたいが公共の場で下着だけになれば憲兵にお世話となり、こんなことで捕まるのかと、チセチノの蔑む目で睨まれ、気まずさと恥ずかしさに呑まれそうだ
「頭取れただけでも涼しい・・・一度寮に帰り、制服に着替えてこないとな、この格好で行ったら大道芸人かよ、生徒を楽しませる為にお呼ばれされた覚えはないぞ」
シャワーも浴びないと、朝食はいらない、とにかくひとまず落ち着きが欲しい
「あ、そういえば母からあんたに」
唐突に彼女から渡された紙袋、少し大きめ。中身を確認する前に、尋ねた
「これ、中身は?」
「あんたの着てきた私服と学園の制服よ」
「俺の私服あるなら鼻から渡せよ!ワンちゃんの着ぐるみ着ての移動ってなんだ!?あと、どうして制服があるんだよ!?」
「そんなの、Master The Orderの手にかかれば、男物も女物の制服ごとき簡単に手に入るわよ」
「これ新品か!」
ここで着替えるのはモラル的にもまずいので、学園で着替えよう。移動の最中、人目が気になり、指を刺されるかもしれないが仕方のないこと
駅のトイレで着替えればいいとも考えたが、せっかく頂いた新品の制服は、しっかり身体を洗ってから袖を通したい
「じゃ、私はあんたの歩幅に合わせず先に学園に行って、なるべく会うのを避けたい学園長に顔を出しに行ってくるわ」
「ああ、ミナールに合わせて俺も急ぐ理由もないからな。俺はいつもの歩幅で学園に向かうとするさ」
なんだか、またすぐに学園で会いそうな気がするも、一旦解散。先に歩み始めたミナールだったが、何か用事が残っていたのかモトキのところへ戻り、彼の左胸に、右拳を当てる
「あんた、改めて・・・ありがとう」
「謙虚にならず、素直に受け取っておこう」
「えぇ!謙虚になる必要なし!あんたが支払うはずだった請求はお母様が払っておいてくれるはずだわ」
「そっか・・・一気に肩が軽くなった感じになったぞ。ミナールの誘いがなかったら、山や海か乞食で食い繋ぐ毎日になるところだった。本当に、恩にきる。レフォールさんにも伝えておいてくれ」
「そのうちねー・・・」
背を向け、途中まで右手を振り、彼女は駅の行き交う人混みに紛れるように去っていった
これで、任務完了としていいだろう。この姿でいるせいで、何だか締まらないが
「何処かのマスコットでもなく、道楽イベントがあるわけでもないのに、いつまでもこんな格好でウロウロしてたら馬鹿にされたり、変なあだ名を付けられそうだからな。俺も、行くか」
体が重い。この着ぐるみを着て列車内でずっと座り続けだったせいかもしれない
人目が痛い。顔を隠すにも犬の頭はミナールに蹴り飛ばされ行方不明に
その背は、日頃から子供相手にしているせいで疲れ切った仕事の名誉などではなく、違った哀愁の漂い