異行 12
尻餅を着いてしまったフゾウザツは、「ざまーみろ」と口から溢してしまう
誰しもが何が起こったか、理解するのに一瞬の時を要した
「クグレゾウ・・・さん?クグレゾウさん!?クグレゾウさん!!」
少女は畳に伏せてしまったクグレゾウを呼ぶも、彼には意識がそちらにのみしかいってない理由もあるが、近くにいるフゾウザツの耳障りな笑い声しか聞こえず
「ははぁ・・・助かった。最初から全力で潰す野蛮な真似はせず、出し惜しみをしておいて正解だったようだ」
強大な気配、それはフゾウザツのものでも、他の誰のものでもないのは明白。先程まで彼が書物を読むのに使われていた机より後方、いつのまにかこちらに背を向け胡座をかく者の姿
その姿勢のまま飛び跳ね、フゾウザツの頭上を越え、畳に伏せるクグレゾウの前に立った
「こうなる覚悟で挑み、臨んだのだろう。そのような顔をするな・・・」
無理矢理にでも、鉄臭い口内となった歯を噛み締め、立ち上がろうとする彼は自分の前に立った者の顔を見て、瞳が縮小する驚愕の顔
その者はクグレゾウの必死を馬鹿にするかのように、蹴り飛ばした
蹴られ、一度畳に落ち跳ねてから数メートル転がり、勢いで刺さっていた2本のクナイが抜け、停止
彼に急ぎコチョウランが詰め寄る
「し、師様!?」
クレドキの問いを含めての呼びに、「そうだ」と素っ気なく、一言だけ返した
口周りを隠すほどの長く白い髭の先端を摘み、小さく掻き回し弄り始める。顔には額から右目を潰し、鼻下まで刻まれた痛々しく残る「く」の字の傷痕。服は薄汚れたクレ色の忍装束の上に、猪の毛皮で作られた羽織を着用していた
背に携えられた長太刀より、目に見えて薄い紫色をした禍々しい気配が漂う
「師・・・だと?」
コチョウランはクナイが貫いた胸部の止血を急ぎ行おうとするも、結構だとクグレゾウは少女の手を握り、畳に置く。弱々しくも、彼は起き上がった
忍刀を支えにし、片膝をつき、クナイが貫いた部分を強く爪を立て、握るように。この状況から察した憎む眼で男を睨む
「仰天するだろうな?当然だよな!俺も!貴殿らも!十身影も!姉上も!御庭番共は、元はこの方に技術を教えを請うたのだからな!どうして!?御隠居となった身のはず!?とでも垂れるかい?」
「口喧しくするでない、フゾウザツ・・・」
彼の一声で、フゾウザツは怯え口調気味に「はい・・・」と素直に返事をし、一歩退く
キゲキとヤワも息を呑み、一歩も歩めず、声もかけられずにいた
「ヒナビさん・・・!」
「コチョウラン様、お久しゅうございます」
頭は下げずに、目を細め、憐れみか、無様と見下すか、どちらかの眼
殺気が刺さった。自ずと忍刀を構えたクグレゾウに続き、クレドキとシガラミはコチョウランの元へ戻った
それに攻撃したりする真似は何もせず、ヒナビと呼ばれる男はただ立ち尽くし、見過ごす
「師様!どうして、コチョウラン様へ殺気をお向けになられてるのですか!?何故にこの場へ忽然と参陣なされたのですか!?」
怒りを露わに、拳を握るクレドキ。返答はなく、髭の先端を弄るだけ
手持ち無沙汰なのだろう
「ま、俺達から眺めても、キゲキやヤワらから眺めても、師はフゾウザツ側に付いたってことは明白だろ。俺達側よりの眺めは最悪なことにな・・・」
フゾウザツは笑っている。理由を知っていそうを含め、それに苛立ちを覚えるクレドキであったが、「黙れ」とヒナビが一喝
また、黙り込んでしまった。彼に代わり、髭を弄るのをやめた男が語り始める
「代々、里長に就いてきたチカナラズ家。その前里長が亡くなられ、次はその血を引くコチョウラン様が里長の座に座ろう。しかし、コチョウラン様が次に就いたとて、わしへの処遇は変わらず終い。あとは死を待つだけのわしは、フゾウザツのお溢れに肖ることにした・・・」
意外な理由。いや、歴史を遡り見ても下剋上や裏切りから見ればよくある理由なのかもしれない
「フゾウザツが前里長を殺したのも、野望も、どうでもよい。こやつの転機は前々の里長が早くに亡くなり、若くして就くはめになった前里長が姉であり共に御庭番衆の一人であったケシハザツと夫婦になったこと。二人を殺し、わしの元へ訪ね、わしへ機会が舞い降りてきたとして、それに乗る・・それだけのこと」
「ふざけるな」とクレドキは歯を噛み締め、声に出さず心内で繰り返し発するも、抑えたつもりでいたが、自分では気づかぬ内に、呟くように口から漏れていた
それを自覚し、はっきりと「ふざけるな!」と怒号
怒り任せに攻撃を仕掛けようとするも、クグレゾウが背を向けたまた、立ち塞がる形で彼女の前に出た
彼は浅い、溜息を一回
「そうかよ・・・わかった。師がフゾウザツに付いた理由はどうあれ・・・敵になっただけだからな!」
口から血を垂らす、散らし、彼もまた怒り叫び、両手に弟のと合わせた二振りの忍刀を握る
シガラミは手首の運動
クレドキの殺意の込められた視線は、ヒナビに刺さるも、その後方にいたフゾウザツにすら届き、彼は溢れる汗を流し、右足が思わず一歩退がってしまった
「さすがクグレゾウ、無意識に恐怖を我が本能が捕らえてしまった。キゲキ、ヤワ、貴殿らもヒナビ殿に続くとよい」
二人とも、ヒナビの登場により息を呑むしかできずにいたがハッと我を取り戻す
先程までの興奮はなくなりつつあるが、こうなっては仕方がない
「おのれらの手を借りる必要は無用・・・」
手を貸すのではない、邪魔をしないで欲しいのはこちらである。二人して納得いかない顔でヒナビを睨むも、それぞれが尻目に睨み返され、キゲキは諦めたかの表情となり、ヤワは舌打ちし、二人は大きく跳び退がり、離れた
「霞分身の術・・・」
男の周囲から噴き出す煙の如く発生した霧に溶けるように、一度姿を消す。しかしすぐには姿を現さない
霧は視界に支障は及ばす程ではないにしろ、濃くなり始めた
「霞分身というより霞隠れじゃねーか!」
シガラミが警戒からの身構えに転じた際に言葉を発した次の瞬間、人影が忽然と彼の前に現れ、首を掴み、持ち上げられてしまう
彼の目には、まごうことなきヒナビがいた
「シガラミ!?」
異変に気づいたが、クレドキの頭上からもう1人のヒナビが現れ、両足底で彼女を踏みつける
畳は潰れ、下の木板には彼女がめり込んでいた
首を掴まれるシガラミは、どうにか抜け出そうと腹部へ膝を撃ち込もうとするも、そこへ鋸状の棒手裏剣を刺し込まれ、それと同時に首から手を離されると、咄嗟にその手で背の大太刀を握り、鞘からも抜かずに胴体へ薙ぎ払い、叩き込む
鞘から太刀は抜かれた。シガラミは鞘と共に飛んでいき、壁に叩きつけられ、一瞬遅れて太刀の鞘が彼の腹部へ先端から直撃した
そしてもう1人のヒナビが、クグレゾウの前に立ち塞がる。クレドキとシガラミを片付けた2人も、背後より近づき、計3人のヒナビが禍々しい邪気を纏う大太刀を手に1人を囲む
「くそっ!師と刺し違えたとて、某の負けになる!」
三方面よりクグレゾウへ大太刀を振り下ろそうとした次の瞬間、3人の内1人のヒナビの胸に桃白色の光が飛び出す。その背後にはコチョウランの姿があり、桃白が長き刃となった脇差で彼の背から胸を突き刺したのだ
だが、そのヒナビは分身。掻き払われた霧の如く消え、もう1人が容赦なく少女を蹴り飛ばした
「里長の娘だからと小生意気な。守られてばかりの立場なら終わりまで大人しく静観しているがよい」
蹴られすぐ体勢を直し、少女は鼻血を手の甲で隠しながらも、その眼はヒナビを定め、決してまだ敗北を色出さない眼
「その生意気な反抗なる眼を閉じさせておこう。殺すのはやめてくれと頼まれたのでな、潰しておくのが良い決定か・・・」
させるものかと、クグレゾウが方向を真後ろに変え動くも、もう1人のヒナビが影に紛れ回り込み、大太刀を振るう。それを忍刀で防御し、金属音と金属音のぶつかる音を発し、火花を散らす
その間に、コチョウランへ一瞬にして間合いを詰め、手に出現させたクナイで眼球を狙う
クナイが少女の眼を刺し抉る寸前、刀身がそれを防いだ。キリキリと予想以上の押す力に、起き上がり割り込んできたクレドキの忍刀を握る手は震えた
「クレドキさん!」
刀身に当たるクナイの先端から押す力は更に増す。彼女は歯を噛み締め、力み、そのせいで傷口と忍刀を握る手から血が滲むも、一度苦しくなってきた表情のまま眼を閉じ、見開く
「クレドキ・・・先ので幕切れまで寝ておれば苦しまず、惨状を見れずに済むものを」
「あたし達の未来を、こうして痛い目あいながらも守るのがあたし達糧。幕切れするのは貴様らだ!」
クナイを防ぐ忍刀の刀身を、コチョウランが足で押した。そして、桃白の刃がヒナビを横一閃に両断
腹部より上がボトリと畳に落ちるも、男は口を開く
「おや?油断したか?わし」
それも分身。ならば本体はクグレゾウが対峙している者
大太刀の一撃が二本の忍刀による斬撃を無力化し、相手を弾き飛ばす
「くそっ・・・がぁっ!」
弾き飛ばされ、着地の前にクグレゾウは炎を纏った二振りの手裏剣を男目掛け投げた。二振りの手裏剣から発する炎は絡まり、隼となり突撃
「炎達手裏剣・隼突か。炎を使った忍術の手本を久方ぶりに見せよう・・・陽表暗滅忍法・火舞鼬」
大太刀の刃先で円を描き、発火。それを太刀で斬ると燃え盛る円は無数の真空の刃となる
刃は通り過ぎる鎌鼬の如く隼を襲い、容赦なく滅多切りにしてしまった
「身焦浄火!」
クグレゾウは人さし指と中指の二本を忍刀の刀身に触れさせ、火種の粒を生むと、それを足元に落とし自身を包む豪炎を発生させる。その炎は、迫ってきていた残りの刃を迎え撃ち、焼き尽くす
「一手の技を防げたからと調子に乗らぬことだ。これが本家、身焦浄火よ!」
同様な動作、大太刀の刀身から足元に火種を落とし、自身を燃やし尽くすよう包む火炎を発生させると、前ぶりもけ、勢いつけず、突っ込んできた
炎に炎に包まれた男が激突し、火炎内部でクグレゾウの悲鳴後、彼は炎を貫き破り、飛び出す
畳に落ち、伏したまま動かなくなってしまった
「コチョウラン様!お逃げを!」
「退路などないぞクレドキよ・・・!もうすぐ、フゾウザツの勝利で終わる。最早でもある・・・」
炎より身はまだ燃えるヒナビが姿を現わした。火は彼に吸い込まれていくかのように消えていく。あまりに、絶望へ引き摺り込まれているのを実感
大太刀の炎を振り払い、構えもせずに駆け出す。クレドキが身構えた時、迫る彼の背後へシガラミが飛び掛かる。ヒナビの胴体を足で挟み、両手は頭を掴んだ
「させるものか!これで終わる!師様のお命、頂戴!」
「愚か者め・・・!忍法・活風群」
頭蓋骨に全ての指を刺し、同時に首をへし折ろうとしたものの、ヒナビの髪がハリネズミの如く、凄まじい風が生じると共に逆立つ
髪はシガラミの腹部や肩部等に刺さり、続けて重い威力のある風圧で吹き飛ばす
声もなく畳に落ち、彼は横たわり静かになった
「コチョウラン様、刻が迫りましたな・・・」
「黙れ!あたしがコチョウラン様を時間切れにはさせないわ!刀併忍術・潔の水龍現!」
畳に一閃、その切れ目より激しい水が水壁となり噴き出す。水壁に忍刀の一突きを入れ、水の龍が放たれた
「お庭番は戦闘を極力避け、対象を迅速に始末するを信条としておるので、足掻きをされると腹ただしい・・・!」
鋸状の棒手裏剣五振りに雷を帯びさせ、素早く投げる。水龍を貫き、雷が水を伝達し合い龍を捕らえ、爆ぜ散らせた。弾けた水が雨となる
クレドキはすぐに背を向け、身を挺し少女の盾となる。背に棒手裏剣が刺さり、堪える力みに噛み締めた歯の隙間より、一筋の血が顎まで垂れ伝う
足から力を失い、倒れる彼女をコチョウランは胸と左腕で受け止め、右手に握り、前方に向けた脇差は桃白色の刃を纏い、リーチを伸ばす
しかし、その時にはもうヒナビがすぐ近くに立っていた
「その足掻きは、わしには虚しく映るだけぞ・・・」
下から大太刀の峰部を脇差の刀身に打ちつけ、刃を粉砕。同時に手から弾き飛んだ
脇差が畳に落ちる音はほぼ無音
これ以上抵抗する間もなく、男の手は少女の首を掴み、締め持ち上げた。足でクレドキを蹴りどかし、少女の顔にどこか少し里長とケシハザツの面影を感じ眺めてから、フゾウザツへ投げ渡す
「よーくやってくださいました。お師匠様」
「礼は後日、物で示せ・・・」
投げられ、畳に落ちたコチョウランが前に。フゾウザツは、少女の髪を掴むと顔を無理矢理上へ向かせ、その耳元で囁く
「秘怪死極封印書は何処にある?秘術・血印書探を使っても、人員を使っても、里中より探しは出せなくてな・・・やはり、里長の親族で残った貴殿が持っているはず」
「知りません。知っていたとしても教えれるはずがありません。どうせ燃やしたり、破き消すことのできぬ物、あれが渡るぐらいならば舌を噛み切って命を絶ち、自分と共に闇に葬ります」
少女の頬を、フゾウザツは強めにはたく。髪を掴む手は後頭部を掴み、畳へ顔を打ちつけさせ、再び上げはせずに、グリグリと押し付け、擦らせた
姪っ子の反抗態度に、イラつきを覚える
「素直になるべきだ。この惨状にどう逆転の一手がある?クレドキもシガラミも、頼りとなっていたクグレゾウも倒れた。ハナビラもジュナクも、ヘマして部外者と共に落ちたとて、ここいらの高さなら死ぬはずなかろうに。出会しすらしなかった他の十身影もじきに戻る。より鮮明に、勝ち筋も絶たれたのが描かれていく」
もう一度少女の髪を引っ張り頭を上げさせ、自身の着る着物の袖から肩までを破き、その布を少女の口に猿轡として噛ませた。再度顔を畳に押し付け、次は少女の着ている和服の背中部分を強引に破く
そして露わとなる背の素肌には、黒炭で書かれた術式が施されていた。書かれて時間の経っていない封印術に指を当てたフゾウザツは、もう片方の人さし指を口前で突き立て、「解!」と唱える
黒炭で書かれた術式は背の中部へと集まり黒き円となると、そこから一巻の巻物がゆっくり、現れた
「お久しぶりだ、秘怪死極封印書。貴殿を手にしたいと何度想いを寄せたことか」
まだ少女の背より、全てが出てはいない巻物を抜き取った。巻かれる紫紐を解き、広げようとするも寸前でやめる
「おっと、危ない。中身を広げるはもちろん、燃やしても破いても御法度であったな。こうして、本日まで保管しておくしか手段なく。後に、慎重に扱わせてもらおう・・・その前に」
ここでクグレゾウの意識が戻り、彼は起き上がろうとするも、その背をヒナビが両足底で踏みつけ、のしかかり、左手甲に大太刀を突き刺す
「大人しくしていろ」と言われ、手甲に刺さる太刀を
引き、その手が切断されようともこの状態を脱しようとするが、背に乗る男の右足が、クグレゾウの左腕を踏みつけ、へし折る
そのような彼の前方にて、フゾウザツはコチョウランの御召し物を引っ張り、脱がそうとし始めた
なんとか踠き、抵抗しようにも限界がある。仰向けにされ、再び頬を今度は殴られ、首を掴まれる
「俺との子を生め。里長との子を。逆らいした姪に死すらの優しさもない!手足を捨てさせ、命果てるか忘れるまで牢屋生活に戻してくれる!」
無念である。ただ悔しく、不甲斐なく、抵抗の糸口もなく。陵辱され、辱めを受け生かされるぐらいならと自ら命を絶つこともできない
誰に謝るべきなのだろうか?父と母、里の者達、自分に味方してくれた者達
声も出せず、現実を見たくないのか少女の閉じた瞳からは涙が流れていく
趣味が悪いなと思うキゲキと、クグレゾウの最期を取れなくて不満気なヤワを他所に、ヒナビの耳にだけ、重い足音が微かに聞き取れた




