異行 10
誰かが言った。「クグレゾウ殿!この!裏切り者が!」と。クレドキに斬られたも、最後まで怨の眼は彼に向けられていた
クグレゾウは反応せず、耳に入ってないふり
「これで全員ね・・・」
コチョウラン達はクグレゾウと合流してから、階段を上がり進み、天守を目指す途中の渡櫓にさしかかろうとした時、コチョウランを捕らえろと命令された追っ手との戦闘になってしまった。とりあえず全員片付けたが、相手には顔見知りもいて、クレドキの胸をチクリと痛める
それはどうしようもなく、説得の余裕もなく。せめて、終わるまでは眠っていて欲しい
「気にするなよ。裏切りだとするならお互い様だろ」
裏切り者だと言われたクグレゾウをフォローするつもりだったシガラミであるが、彼は全く気に留めてるどころか、やはり、分かりきってはいたが罪悪感はなさそうだ
「某は、己が信念に素直にいたいだけだ」
背にある二振りの忍刀、片方は弟であるシバハの物。負けるつもりはないが、どう転ぶかまだ予測のできない状況。自分が死ぬことになるならば、それまで素直になれない弟の魂の一部くらいは共に戦わせてやりたい
あいつも、ケシハザツへの恩は忘れてはいないのだから
「クグレゾウさんが、味方になってくれてよかったです」
改めて、お礼のつもりで。コチョウランに続き、クレドキも「認めたくないけど、やっぱり貴様がいてくれて心強い」と称賛
彼は、少し照れる
「フゾウザツ、討たれる首を洗っていろ。ケシハザツ様の仇を、この手で」
鼻下を指で擦る照れ隠しから、気を改め先を急ぐ。この渡櫓を通過した先にある間から、階段を上った天守にフゾウザツがいる
牢に囚われて以来、彼の顔と再会。この再会は、復讐を添えられたものとなろう
渡櫓の途中で、ふと外を眺めた少女の目にあるものが映る。それは御殿の庭園にある切株
あのような大きな切株になる大木があった記憶はない。誰かが植えたにしても、成長が早すぎる
1つの変化を今は気にしていてもしょうがない
「うん!?お待ちを・・・!」
渡櫓を渡りきったところで、クレドキがコチョウランの前を腕で優しく遮る
フゾウザツのいる天守への上り階段の他に、少女達から見て向かいと左側に計2つのここへ来る為の階段があるのだが、50メートル程先の向かいの階段より気配がした。クグレゾウとシガラミも身構えた
他の十身影かもしれない。しかし、感じたことのない邪悪な気配であり、嫌な汗が頬を伝う
人影が見えた。ある者は忍刀を構え、ある者は指を鳴らし、ある者はいつものようにコチョウランを後ろに庇いながら立つも、現れたのは見たことのある甲冑兜を頭に嵌めた者の姿であった
「セ!センテイマルさん!」
クレドキの背後より、彼女を振り切ってジョーカーの元へ駆けだした。彼に近づくにつれ、徐々にスピードを落としていき、その手を取る
「コチョウちゃん。ご無事でなによりだ」
「それはこちらの台詞です!突然といなくなり、逃げると仰られていましたがこの騒ぎの中、無事に逃げ果せたのか、安否もわからず、知る由もなく、心奥底では常に心配していました!御召し物がお替わりになられているようですが、見た目では致命となる怪我も負ってなさそうで!」
「見張りが寝ていて、運良く荷物を取り返せた。しかし里から出ようにも外は警備循環が複数いるせいで逃げるに逃げれず、どうすることもできぬまま戻ってきたのはいいが当てもなく、城内をウロついていたらここに」
「ここに来るまでに十身影はおろか、他の忍や兵に見つからなかっとは。それも運良くですか?」
「それも運良くになるだろうな。もしかすれば、本当はどこかで見つかってはいたがお嬢ちゃん達の脱獄のおかげでそれどころではなく、ただの盗みに入った部外者は影響なしと放置されたのやもしれんな」
本当のことを言っているのだろうか?クグレゾウは疑っていた。彼からは血の臭いがする
しかし今はフゾウザツが先。隠し事はありそうだが、探っていてもしょうがない
怪しい動きをすれば、始末するまで
「かといって、それは城内限りの都合であり、里への入口門を堂々と通り外へ出させてはくれなさそうだ。相手からすれば、この騒ぎ渦中で里から逃げ出そうとする私みたいな部外者は老婆が畑の草むしり時にいた芋虫を踏み潰しておくのように大した事情も無用に殺しておくのが手っ取り早い片付け手段になるのかもしれない」
ここまできてみたはいいが、これからどうしようか腕を組み、悩む素ぶり。十身影と名乗る者を二名、倒してきたというのを言うつもりはない
今はまだ、少女の向かいにいた間抜けな盗っ人でいたい。今はまだ
「私の事情に巻き込ませたくはありませんでしたが、それが原因で逃げるも叶わずとなってしまわれていたようで申し訳ありません」
コチョウチャンが深く頭を下げて謝罪。ジョーカーは腕を組んだまま固まってしまった。少女のせいによる部分もあるとは微塵も思ってなかったので、急に謝罪をされ、隠された顔は驚いた表情をしているかもしれない
はっきりと言いたい。君は悪くない、君のせいではない。正直な話、鼻から逃げるのも盗っ人であることも嘘であり、ジョーカーにとってはただの一里の騒ぎへの結末見届けと乱入なので誰かのせいであろうともなかろうとも関係ないのである
彼の手がコチョウチャンの頭に触れようとした時、地鳴りがした。1回ではない、何度も繰り返す
正体は足音である。天守へ続く階段より、誰かがこちらへ向かってくる足音。しかし音の大きさと揺れから、ただ者のはずがなさそうだ
「このワザとらしく、警戒をさせられる重き歩み音は・・・」
クグレゾウには心当たりがある。というより、ジョーカー以外皆が誰がこちらに来ているのか予測がつく
歩む音と振動は大きくなっていき、天守に続く階段を下ってきたその者の全貌が明らかとなる。3メートル近い体格に、筋肉も含まれたかなりの肥満体の身体。頸まで伸びる頭頂部のみの髪を一本にまとめており、そこへ通された5つの金製リングが光る
意識して大きく踏み込み歩む足は素足。カーキ色のパンツからの太い鎖がサスペンダーの役割となり、何も着ていない上半身に巻きつく
首も脂肪で殆ど無いと言え、眼も目周りの脂肪の重さで細くなっていた
そして、彼の右肩に座る女性が1人。半分に分かれる紫と濃いピンク色をした長い髪と、忍ぶつもりのなさそうな派手な紫色をした忍装束
意図してか、太腿と胸元を見せつける着こなし。手に持つ一輪の白い水仙を桃紫色の口紅が塗られた唇に当てている
「ぶっふぷぷ・・・コチョウラン様、クグレゾウ殿、お久しぶりですな」
巨体の男はターゲットを発見した喜びか、笑う。見上げ、下から目にすることなる笑顔は脂肪によるせいもあるが不気味である
クグレゾウは忍刀を抜いていた。身構える姿の眼は、男の肩に座る女性へ向けられている。彼女は睨む視線を受け取り、唇に当てている水仙を離す。花弁には口紅の色が付着していた
「ジュナクよりも、私がお望み?クグレゾウ殿・・・」
「てめぇの存在の方が危険だからな。ハナビラ・・・!」
彼女は一輪の水仙の花を食べてしまった。男の肩から下り、この場にいる人数を指で数える
数は自分とジュナクを抜き、5人。それに引く1
「私が危険・・・私からしてみればクグレゾウ殿が危険な存在。味方のままでいてくれればよいものを・・・無理な話?無理な話なら死体となるのは4の数」
「てめぇ相手に楽に勝てるとは思っちゃいないが、数えられた死体になるつもりはまだねぇ・・・」
「そう・・・でもそれは願望。願望とは叶わないことが殆ど。ジュナク!」
返事なのだろうか?「ぷしゅーるるる!」と空気が抜けていくような長い息の吐き
その不気味なニヤケ顔は、クグレゾウを定めていた。全身の骨から音を鳴らし、そして空気が割れたような炸裂音の後、男の姿は消えてしまった
「まずい!なわけあるかぁっ!!」
クグレゾウは忍刀の鞘を手に、男が次に姿を現した時には猛スピードによる激突寸前であった
鞘を獣の如く迫り来たジュナクの腹部に押し付け、激突を防ぎ受け流すと男は勢い治らずのまま、壁を突き破り、外へ飛び出してしまい落下していく
「あら?ま、あれぐらいでやられるクグレゾウ殿なはずもなかろうしね。私やキゲキ殿達と同じく十身影の内でも深五影として列なる者ならば」
手には再び一輪の水仙。その香りを嗅ぐも、あまり好きそうではない表情
その水仙を、コチョウランへと投げる。はっとした少女が、避けれるか間に合わないかの瀬戸際で、クレドキが手裏剣で撃ち落とす
(おっと、必要なかったな)
ジョーカーの影が、少し揺らめいていた
「クレドキ、よくやってくれたわ。もしコチョウラン様に当たってたら、私がフゾウザツ様に叱られるので」
「よくも、斯様な口ぶりを・・・!そこを退くがいい!ハナビラ!」
忍刀の刃を鞘から少し覗かせ、戦闘体勢。シガラミも前に出て指を鳴らし、クグレゾウの手裏剣には雷が走る
「いいわよ。ジュナクが戻るのが先か、雑味が1人混じってはいるも皆、墓に入るすらできないのを覚悟しなさい!」
指と指の間全てに、水仙の花が挟み持たれた時、天守へと続く階段、その入口に鋼鉄製の柵が降り始めた
シガラミが急ぎ、階段へ向かおうとするも前方の足下へ投げられた水仙が行く手を遮る
「ちょ、お前!」
発言を遮るように、彼女は水仙をシガラミの目に目掛け投げると彼は大袈裟なリアクションで躱す
決して悪ふざけではない。本当に危険だと知っているからこそ
「私と戦うは承諾したも、行かせる許可はしてないもの。ならば外から潜入?それも不可。天守周りにも同じ柵が下り始めている。そこには私の毒が塗られ、触れれば・・・ふふふ・・・」
「上等だ。てめぇを屠り、使える手段を駆使し、たとえ毒で手を失おうとも柵をぶち破り、某はフゾウザツの元へ行かなければならん。なんならば、口にその毒を蓄え、フゾウザツに噛みついてみせるさ」
「そうまでの余裕があるならば」とクグレゾウを嘲笑う。コチョウランは彼の覚悟を馬鹿にする態度に、私情でムッとした顔へ
それは相手側の実力と、用意していた準備が作動した現状からくる慢心なので仕方がないが
「クグレゾウとシガラミ、もしもの場合は貴様らにコチョウラン様を任せます。柵が下り切る短期決着が不可能ならば」
「承知した。自己犠牲はやめろと揉めたりコチョウラン様が命令されても逆らって連れて行く。てめぇを置いて」
「選択としては俺かクレドキのどちらかに絶対なるから。それまでは俺とクレドキにクグレゾウと3人がかりで挑ませていただこうじゃないの」
ここでも、きっと最後まで自分は守られている立場だろう。ずっと痛感している
何かしなくてはと言えたり、行動できるなら良いのだが、どうしようもない
何もできない不甲斐なさに落ち込みそうになる少女に、ジョーカーが強めに肩を叩いた
全身にビクリと一回走る震え、しかし何故か心奥底より安心感が溢れてくる
「はーい、みなさんちゅうもーく」
少女より前に出て、手を叩く。彼へ注目が集まるタイミングで、スーツのジャケットをはだけさせた
スーツの内側にあるのは、計4つの見るからに爆弾。導火線は点火されている
シガラミは目ん玉飛び出し、クレドキは唖然としてしまい、クグレゾウは「正気か・・・」と呟く
ハナビラは驚きながらも、様子見
「セ、センテイマルさん!?」
「ぎゃはははははは!ここへ来る途中で拝借させていただいたぞ!なんだか、あまりよろしくない雰囲気なのでここは1発派手な演出を!」
自爆する気なのだろうか?正気か悪ふざけか。あんな馬鹿がいて呆れそになるハナビラは、どちらにせよ巻き込まれるのは御免だと、ジュナクが突き破った場所から脱出しようと瞬時に移動した時、背後からジョーカーが彼女を捕らえ、羽交い締めに
「な!に!?」
コチョウランは再度センテイマルの名を呼ぼうとするも、声が出ない。これから彼がする事が明白に映る
捻り出されたのは「セ・・・!」の一文字だけだった
「馬鹿めかかったな!」
顔をクグレゾウに向け、頷く。彼の意図を汲み、少女に「行きましょう」と優しい声をかけた
躊躇の暇はない。お言葉に甘える
最初にシガラミが階段へ、クレドキがコチョウランの手を引き下りる柵を潜り抜け、最後にクグレゾウがジョーカーへ敬意を込め頭を下げる。「はやく行ってやれ」と促され、人1人通るすら不可能になった閉じる寸前の柵下を滑り抜けた
柵に頭を打ち付けたい。無理だとわかっていても手で乱暴めに柵を掴みたい。最初は掠れた声から、彼の名を連呼するだけ
「センテ・・・ルさん・・・センテイマルさん!センテイマルさん!!」
羽交い締めにする腕、その手は小さく手を振る
口を閉じるのを忘れ、もう届かない現実を目の当たりに反応し、涙が溢れていた
「いいかい?たくさんあるような選択肢と手段が、一本だけしかないこともある。それがこれだ。コチョウちゃん、生きろよ・・・」
「やめなさい!やめろ!この部外者が!!」
柵越しの先で、牢の向かい同士だっ者が、爆弾を身に、羽交い締めにしている者と共に身を投げた
少女は反動的に手を伸ばした。その手をクグレゾウが掴む
「センテイマルさん!」と、最後にその言葉がジョーカーの耳に届いた
(もっとこう、臭い台詞とか言ってみたかったな・・・)
少女を立ち止まらせぬ為、己の身を犠牲にし、身投げする姿はかっこよく映っただろうか?
羽交い締めにされながらも、蹴りを入れてくる彼女の足掻きを気にもとめず、次にまた似たような事があった時の為、改善余地を落下の最中、考える
「髪からの毒を間近で吸い、意識すら死に撫でているだろうに!こんな部外者如きの拘束が解けぬとは!死を覚悟に最後の力を振り絞っているか!」
もうそろそろいいかなと、拘束を解いた。頭から落ちていたハナビラだが、体勢を整えジョーカーへ身体正面を向け、指をさす
「馬鹿め!ついに力尽きたわね!爆発に巻き込ませれば良いものを!このぐらいの高さから落ちようとも死にはしないよ!死ぬのはあなただけさ!無駄死にをあの世で嘆いてなさい!」
彼女の言葉など耳に入っておらず、逆さに落下のまま腕を組み、ネクタイが顔に当たる
まずしなければならないのは、スーツの内側にある爆弾の片付け
「もうこれらも必要ない」
スーツの内側にある爆弾を全て放り投げた。上空へではなく、城とは逆となる方角の遠くへ
爆発した。花火にしては派手さは皆無
「毒は?効いてないの!?」
あんな至近距離でも、落下の風圧により流され、あまり量を吸えなかったのだろうか?疑問とありそうな可能性を考察する暇もなく、誰かが下より跳び上がり、ハナビラを受け止めた
彼女を捕らえた巨体は、重さを感じさせる轟音響かせながら着地
「ふしゅしゅう・・・」
両足が池に刺さっていた。全身より熱気で噴き出す煙は風塵と混ざり漂う
「ジュナク!余計なことを!」
右肩に乗せられ、担がれているハナビラは彼の脂肪で隆起する後頭部をはたいた
肩から下りたその直後、ジョーカーが頭から地に激突。忘れていたわけではないのだが、あまりに急で、思わず驚いた声が溢れる
より風塵が舞った。その先にある姿はまだ影すら映らない
「頭が潰れて無くなった?それとも首がおかしく折れているか、もう全身ぐちゃぐちゃの惨状もあり得るわね。急ぎフゾウザツ様の元へ、キゲキ殿達がいるので心配は無用なはずだけど、相手にはクグレゾウがいるもの」
去ろうとした瞬間、風塵がどす黒く変色。漂いから2人への向かい風となり、吹き抜ける
向かい風の中、風塵が消えた先にヤツがいる。少し浮き、ネクタイやスーツの襟が靡いていた
「なー!?なーんじゃあやつは!?何生きている!?囚われていたコチョウチャン様の脱獄に乗じて逃げ出した只の部外者ではなかったのかーい!?」
「その答えは今、判明しそうね。こんな輩の決死などすぐに無駄になり、あっけなく死ぬだろうと高を括っていた・・・」
彼の前方左右、両サイドにそれぞれ地に突き刺さる木刀と忍刀が独りでに抜け、彼の手元へ
まだ握りはしない
「もう、演技も終幕とする。次にコチョウちゃんに会う時は、向かいにいた間抜けな盗っ人ではなく、お茶目な私自身として姿を現わそう。これより助太刀として参ずる前に、貴様らを始末させてもらう・・・」
左手に木刀を、右手に忍刀を握ると凄まじきどす黒い圧を放ち、歩み始めた
本能的に2人の足が後退を始めてしまい、それに自覚するとハナビラは自身の脹脛を叩く
「落ち着いてみましょうジュナク。只の里外の者に変わりなく・・・直接叩き潰すのはあなたに任せるわ」
「ぐひゅるるる・・・承知!」
男は不気味な引きつった笑顔となり、彼女より退がり距離をとる。後退し、離れたのを見計らいハナビラの手は水仙を指と指の間に挟んだ皆の印を結んだ
「毒沼沈没の術!」
一輪の水仙を投げ、ジョーカーの手前に刺さるとそこより地面が毒沼へと化し、広がっていく
足から沈み、煙と共に熱々の鉄板に水を垂らしたかのような蒸発する音
ジョーカーの歩みは止まり、沈んでいく足音を見下ろす。その時、彼女の後方よりジュナクが巨体に似合わずの猛スピードで迫ってきた
「憑筋忍術!虫払い!」
毒沼を飛び越え、右拳を振りかぶる。右腕は手甲から肩まで黒炭で書かれた「硬」の文字が4つ並びに浮き出すと筋肉が膨張し、より巨大な拳となりジョーカーの頭部へ放たれた
結果は粉砕か、殴り飛ばされるか。殴り飛ばされるならば沈み溶ける足は毒沼に残し、その部より上だけが飛んでいくだろう?足は稲刈りの残る根元のように
拳が撃ちつけられた。鈍く空気に響く衝撃音が走るも、ジョーカーは粉砕も、吹き飛びもしなかった
ジュナクの笑顔が、段々と失っていく
「効かーーーーん!」
その一声と共に、ジュナクの方が吹き飛ばされてしまった。拳が効かなかったことにも驚いたが、一声であの巨大を吹き飛ばしたことへも驚きを隠せない
「なんだあのパンチは?あんなの、以前に手合わせした紅い鉢巻の巻いた野郎の方が圧倒的に強かったぞ。機会を頂けるならば、また手合わせしたいものだ」
毒沼は、彼の足回りより透明度の高い湖沼へと変化していく。流れのない水面越しに映る生えた水草はなんとも涼し気
「あなた、何者よ・・・?」
「私か?何者であれ、只の部外者に変わりはないだろう」
湖沼から歩み出て、数回の屈伸運動を行うと姿を消す。次に現れた時にはハナビラとの距離が詰められていた
革手袋を嵌める手は、彼女の髪を優しく手に取り、親指で撫でながら顔へ持っていく
「うーむ・・・良い香りだ。近くに寄り添われると抱き締めてあげたくなる匂い。私の周りにいる女達にすれば照れるなり、拒むなり、抱き締め返してくれたり様々、貴様はどれをしてくれる?首でも絞めてあげようか?」
冗談のはずだが、彼女に突き刺さるような悪寒が襲った。恐怖からか、無意識にジョーカーを突き飛ばしてしまう
「はっはっはっはっ・・・!私に抱き締められるのは嫌か?そうだよな、以前にも背後から抱き締めたら肘打ちされたことがある」
反撃はせず、突き飛ばされたジョーカーは腕を組んだまま仰向けに呆気なく倒れた
起き上がろうとはせず、空でも眺めようとするも、地盤より振動が背に伝わってきたので体を起こす
隆起したかのような肥大化する腹を突き出し、突撃してくるジュナク。腹には大きく「丸」の一文字が浮かび上がっていた
「憑筋忍術!対猪!」
「よっこいせ」と気楽気味に立ち上がると、右手を徐々に握り閉じていく動作に合わせ、ジュナクスピードが弱まり、ついには停止
全身より汗が吹き出す。力を入れようにも何故か進めない状態に困惑
ジョーカーは彼にそっと近づき、握った右拳を爪を立てる形にし、「丸」の一文字が浮かんだ腹部に突き入れた
「ぐべびゃああああああああああ!!あああああああ!!」
腹膜の損傷により激しい痛みが生じ、叫ばずにはいられない。少しかき混ぜるよう動かしてから手を抜かれ、「うるさい」と理不尽に蹴り飛ばされた
ハナビラは彼の名を呼ぶも、蹴られ、転がっていった巨体は山道や荒地にある巨大な岩のようにうつ伏せに体を丸め、震える以外動かなくなってしまった
「くそ!忍法・頭眩経・・・!」
臨の印を結ぶと姿が歪み始め、どこからともなく吹き荒れ舞う無数の白き水仙の花弁に紛れ、消えた
誘う色気のある笑い声が至るとこらから聞こえてくる。花弁はジョーカーへ
密集率が上がり、彼を包もうとしたところで腕が伸ばされ、彼女の首を掴み、捕らえた
手より一輪の水仙が落ち、吹き荒れる花弁もまた、儚く地へと降りていく
「抱き締められず、やはり首を絞めるとなったな」
万力の如く首を絞め、残忍なるせっかちになり、手っ取り早く首を折ろうとした次の瞬間
上空より影が覆う。太陽が雲に隠されたにしては暗さが濃いなと見上げると、全身に「断」の文字が気持ち悪く浮かび上がるジュナクが手足を広げ、猛スピードで落下し、迫っていた
「憑筋忍術!乱出武宇!」
首を絞めていたハナビラを投げ捨て、影より出現した骨の手が落下してくる彼をはたき落とす
首を絞められる苦しみより解放され、咳こむ彼女の真横をジュナクが通過した
叩きつけられ、少し陥没した地に僅かに埋まりながら再びうつ伏せに。ついでにジョーカーが投げてみた忍刀が左肩に刺さるも、今度ば震えもせずに動かなくなってしまう
「残る貴様は、逃げたくば逃げるがいい。逃げる者の背を斬る真似を、私はする。普通にする」
影より蛇の如く蠢く何かが、木刀の刀身へ絡みつく
「ぐぅ・・・っ!」
彼女は左手を背後へ隠し、次にその手が現れれば幾つもの水仙が一束となり握られていた
その水仙の花部を右手がまとめて握り、引っぱると花弁のみを手に。握りられた右拳へ息を吹きかけながらゆっくり手を開いていき、花弁を撒き散らせる
左手は中指と人さし指を立てていた
「華美忍法・変化!花弁苦無の術」
撒き散らされた水仙の花弁が全てクナイへと変化。ジョーカーへ一斉に降りかかる
刃に濡られている透明なる液体は水ではなく、近くで空気を吸うだけで体に激しい痺れを覚え、触れれば皮膚は溶解し、内部の内臓と細胞を壊死させ激痛と共に死へと運んでくれる劇毒
「針よりかはずっと、まずい匂いはするな。ダイヤとクローバーの3名仲良く、スペードの領地にある純金像を壊して領民共に追いかけ回された時よりはマシだが」
木刀を刀身に影が絡んだ状態のまま振り、竜巻を発生させ降り注ぐクナイを防ぐ
1本も掠らず、寄せ付けず、その光景にハナビラは悟った。この者には、勝てない
ならば、逃げる。一度フゾウザツの元へ撤退すべきだろう
喉奥から小さな黒い玉を吐き出し、落ちた衝撃に反応して毒々しい煙を発生させる
毒を含んだ煙幕に紛れ逃げようとするも、背後より木刀で撲り飛ばされてしまった
「ぐはぁっ!!」
「逃げる者の背を普通に斬ると忠告はしただろ?背後から別のものを突っ込むも考えたが、私はしょうがない以外は興味があったり、面白かったり、好きな女性にしか突っ込みはしない。浮気バレたら怖いしな。そもそも、貴様は単なるコチョウちゃんへの邪魔者でしかなく、興味など皆無で、ただの無」
彼女の顔を残酷にも踏み潰そうとするも、間一髪で避けられてしまった
格好の悪い距離をとりたくてたまらない一心不乱の転がりから起き上がり、素早く一息の深呼吸で精神を無理矢理落ち着かせると片膝をついた状態から、それ以上の立ち上がりもなく、臨の印を結ぶ
「華美忍法!毒き花!」
白き無数の花弁が、彼女の後方に吹き荒れ、白から不気味な紫へと変色
また、ジョーカーを囲うように同じ花弁が発生し、舞う
「一枚でも当たり、触れれば、皮膚から茹ですぎた肉みたいになり、激痛を伴い体は液状化していく!あなたを澄む空へ浮かせ、グズグズのふやけ肉になったところへ、クナイの滅多刺しにしてあげるわ!」
囲う花吹雪は距離を詰めてきた。もう先程の幻術とは違いそうなので、彼は上空へ跳び逃げた
「お馬鹿さんめ!」と、全ての花弁が上空へ逃げたジョーカーを巣を蹴飛ばされた蜂の大群の如く追い、姿を消す程に密集させる
手に握る花弁を半分は風に乗せ、ジョーカーがいるであろう上空の遥か上へ
花弁は変化する。普通と比べ、明らかな大きさをほこるクナイが彼女の元からから、そして上空からと挟み撃ちさせ、容赦なく花弁の積乱雲を二方面より貫き、通過していく
「まさか、あんな部外者如きにちょっとばかり疲労困憊を覚えるとは・・・」
花弁が、命なく地に舞い降りていく。終わりはさっきまでとは嘘のように静かで、平常心が戻り始めていた
ふと、1枚の花弁が落ちるのが目に留まり、ゆっくりと地に着いたところで、1つの人影が降り立つ
まごうことなき、ジョーカーであった
「ど、どうしてよ・・・!?どうして生きてるの!?」
「生きたいからさ」
左手に掴むは花弁、それを手に動揺する彼女との距離を詰めると、口へ叩き込んだ
「毒味返し」
数秒もせず、ハナビラは苦しみ始めた。悲鳴の繰り返し。内から煮えたぎる熱さと激痛、皮膚は溶け始め、髪も抜けていき、目から、耳から、口から、血が流れ落ちていく
「醜い姿のまま、死体を野晒しにはさせん」
影より現れた棺桶。後方から棺が、前方より迫る蓋に挟まれ、彼女は納められた
棺桶に閉じ込められたところへ、影から生えた数本の棘が貫く
「やはり花は、眺めるのが一番良い」
さて、コチョウランの元へ行こう。この次で全て終わると願うばかり
その前に、うつ伏せに大岩と見違えそうなジュナクへと近づいた




