異行 5
棒状のお香が焚かれた。指で摘まれたそれは、鼻先へ。香りを堪能してはおらず、無炎燃焼による火をつけた先端の灯りを凝視する
数分、ただ凝視しているだけだったが、1人しかいないはずの部屋の何処かから、「フゾウザツ様」と名を呼ぶ声が聞こえ、男は摘み持つ棒状の香を素早く投げ、畳の目に刺す
「・・・キゲキ、俺の憩いを邪魔するつもりか?」
「そのつもりでは・・・」
畳の目に刺さる香が突然に折れた。先端の火は折れる衝撃で消え、無風のはずだが転がっていく。やがて、畳が終わり段差から木製の床へ落ちた
脇息に頭を乗せ、横になる。男は名を呼ばれた理由を訪ねはせず、「集まれ」と呟く
「承知・・・!」
甲高いドロンッ!という小さな破裂音の後、煙幕が部屋中に充満される。その煙から、音もなく過ぎ去る風の如く、9つの人影が映し出された
「全員きたかと言いたいが、1人足りなく。仕方のないことだ、そいつは俺の前に、この中には参上できない。哀しく、もったいなきことだ」
男を囲うように漂う煙より、剥き出しの歯に笑い、ギョロっとした大きく丸い目が特徴の木彫り面を装着する1人の者が現れた。面の右目部分だけは穴が空き、そこから瞳が覗く
肩まで伸びた黄色の髪に、時折煙が絡まる
「フゾウザツ様、クグレゾウの説得は某にお任せさせていただけないでしょうか?損得より、あの者の力を捨てるには惜しいかと」
「やつを牢から出したとて、俺の寝首を掻かれる方にまだ天秤が傾いている。しかしだ、やつをこのまま刻が過ぎ、処刑するには確かに惜しい存在。元になりかけてはいるが俺の部下だ、説得に応えてもらい、再度面と向かって俺と話す機会を設け、生かしてやるには充分値する」
「では・・・」
その言葉を許可と捉え、急ぎ向かおうとしたが「待て」と呼び止められた
煙の中で消えかかる者にフゾウザツは近づくと、懐から取り出した扇子で肩を強めに叩く
「やつを生かしたいのは、同じ十身影としての情による説得か、それとも・・・」
「それを聞かれたら、答え次第では裏切りる兆しを疑われ、某をも牢に入れなくてはなりませんよ」
叩き、肩に押し付けている扇子を離す。その者は一度頭を下げ、煙へと一部になるかのように消えた
「・・・あやつが説得に失敗するを見越すとしよう。クグレゾウが説得に応じてくれたと見せかけられ、騙し討ちを受け、逃亡されるやもしれん。なにしろ、やつは・・・」
畳まれた扇子を握り折った。情に流されてしまい、説得や斬りもせずに牢から逃がすやもしれず、騙し討ちをされる危険があり、絶えず繰り返す不安要素に手にのみ、怒りを露わにする
「この胸に絡み刺す、違和感!もしクグレゾウが今、俺の首をとるつもりならば処刑を待つだけなはずかない!クレドキの死体も見つかっておらん!各自、他の兵共に触れて回れ!用心をより強め勤しむことを!そして皆も同様に!不審な動きがある者、反旗を企み実行しようとする者、クレドキやもし逃げ出してしまったクグレゾウがおれば発見次第に生け捕りも良し、半殺しに虫の息、四股を斬り落としてようとも、息の根を止め、髪1本すら残さずとも構わない!」
握り折った扇子を投げ捨てると、膝を叩き立ち上がり、煙に映る八つの影に向け「散れ!」と命じた
「おっと、誰か2人はここに残っていろ。俺を護れ」
煙が薄まり始めた時、フゾウザツの後方より追い風と共に新たなもう1つの人影が。影に染まるその身に、閃光の如く眼は輝いた
フゾウザツが定位置に戻り、座り込んだ同時刻に、クグレゾウを牢より解放し、上の階に戻ろうとしている時にジョーカーは階段で躓く
「あっ」と、言う間に階段を転げ落ちていってしまった。階段から見下す視界にジョーカーはいなくなり、カツン!と何かが跳ねた音の後、それが転がる音。階段の手前まで転がってきたその正体は、彼が被っていた甲冑頭部。コチョウランが思わず、「取れちゃった」と叫んだ
「センテイマルさん!大丈夫ですか!?」
階段を駆け下り、彼の安否を確かめに行こうとしたが、階段にぶつかり止まった甲冑が独りでに動き出し、来た道を再度転がっていく
数秒後、何事もなかったかのようにジョーカーが現れ、コチョウラン達へ追いつこうと階段を上り始めた
「セ、センテイマルさん、お身体に異常は?」
「ありませんよ?受け身が上手くいき、傷も打撲も骨折もない。御心配ありがと、コチョウちゃん」
「あ、は、はい・・・ですが、頭の被り物が・・・」
「あぁっ!あれか。私も内心、取れた!と驚きはしたが、いざ取れてみると頭部や顔といった数箇所の皮が少々痛く剥がれ、軽い出血程度で済んだんだ。私の11年間は無駄な心配だったようだな」
頭に被る甲冑を手で軽く叩きながら、「良かった。良かった」を口遊み、先に階段を上っていくが彼以外の誰もが、じゃあ何故被ったままなのだろう?と疑問
クグレゾウには、転がってきた頭の甲冑が再度動き出したことへの引っ掛かりもある。予め糸と繋いでおり、それで引っ張り戻したか?とも考えたが、あの時糸らしき線や影は自分の目には無かったと思う
(ただの盗っ人で終わればよいのだがな・・・)
ジョーカーとコチョウランが囚われていた階に戻ってきた。待機していた者達の中には、コチョウランの名を呼び、少女の身に何事も起きずに戻ってきてくれたことに安堵する者が数名いる
しかし、シガラミを救出しに向かいに行ったはずだが、何故かおまけに今件の原因となったフゾウザツの十身影の1人、クグレゾウがいることに気づき、飛び上がった
「み、みなさん!これには深い事情がありまして!」
説明しようにも、殆どが警戒と怯え、中には明らかな殺意すら向けている者もいる
コチョウランは、少し哀しそうな溜息
「某、一度外れた方がよさそうか?」
「いえ、どこにも行かないでください。余計に疑われてしまいますので」
「承知した」と、フゾウザツはその場に座り込む。無防備に、腕を組み、言葉を一切話す気配なく黙り込んだ
「時間をあまり要する余裕はありませんので、彼がいる事情を呑み込んでください。安心してください、フゾウザツさんは味方です。安心できるまで掛かりそうならば、走りながらの食事をとるみたく受け入れていってください」
本当に味方か疑う者多数への説明する暇はない。少女は右手を後方へやり、何か紙なり描けるものを所望すると、シガラミは着ていた白い忍者装束の頭部を覆う部分を破り、渡した
「描きものか?なら、これを」
ジョーカーが鉛筆を投げ渡す。指で挟み受け取ったが、鉛筆タイプのチャコペンとは違い普通の鉛筆なので色は薄くなり、描きにくいが、贅沢は言っていられない
「最初に、この描かれた小さな円を我々が現在いる場所とします」
少女が描いた小さな円の下に短い線を引き、その終わりにまた新たな円を描くとシガラミとクグレゾウがいた地下牢だと説明
次に自分達が今いる円の上に再度短い線を描き、新たな円を描く。今度は少し大きく描くように意識をしながら
「さて、ここからですね・・・」
自分達がいるこの場所と、地下牢よりも気持ち大きく描かれた円の上に、5つの線を鉛筆で払うように短く引いた。その円に目と口を描いたら、それは髪の毛だなとしょうもない考えをしながら、ジョーカーは訊ねる
「この囚人部屋から階段を上がれば、広い場所に出るようだが・・・」
コチョウランに訊ねたつもりだったが、クレドキが応じた。何故か遮れるようにされ、その彼女の後ろで少女は座り、鉛筆を指で器用に回す
「そう、ここを出れば広い場所へと続く。そこから5つの道に分かれていて、左端の線から外へ、その隣のはこの階と地下牢を見張り巡回する者達の待機部屋、ちょうど真ん中と右隣は城へ、右端は屋敷へ繋がる道となっている」
「城か・・・捕まった際に立派な大天守が見えたな、そういえば」
事故だったとはいえ、柵を壊した外からの侵入者は充分に怪しく、弁明と言い訳もさせてもらえずに拘束され連行の最中、大した興味はないが移動の暇潰しに少しだけ里の全容を目に映した際、真っ先に目に付いた黄金に光る天守のある城を思い出した
「左端の線は外への道、ここから私は一度布に描かれた広い場所に下り、階段を上がり、今の牢へ。あそこにあった残り4つの上がり階段は城や屋敷に繋がっているのか」
1つは牢獄の見張り巡回する者の待機部屋と聞いた。もしかすればそこに、没収されたスーツジャケットがあるかもしれない。あれはハートから頂いた物だ、真っ先に行こう。無くしたとバレた日には頭に雷だからだ
「しっかし、牢の柵窓から抜け出すは狭過ぎるからやめ、他の逃げ道となる通路を探すにも、下の階も牢獄でその先も行き止まりとは。薄々、シガラミを解放に向かう時から確信へと移りはしていたが、牢獄は下の地下牢含め、上り下りの道一本だけなのだな」
「一本道だけじゃなく、見張りが至る場所から便利に到着できたり、囚人が逃げれる道とかを増やしてもいいのに」
ジョーカーとシガラミは2人して「ねぇー」と、同調し合う年頃の女子学生のように
クレドキは囚われてる者への配慮に逃げ道を作る馬鹿はいないと溜め息と呆れた顔
「コチョウラン様、フゾウザツは天守の最上にいます。この里内ですと、皮肉にもこの牢部屋か天守が肩を並べ安全ですから」
「でしょうね。安全な理由はこことは別にあるとして、フゾウザツが一度手にした席から居座る場所を変えるはずがありません」
それは、自分がこの席を手に入れたという至福に浸るが為。名のある将を討ち取り、その者の武器等といった装備品を使ったりするといったものに似ている
クグレゾウから居場所を教えてもらい、布の上端に大きく円を描いた。今日までの思いに、強く鉛筆を握った少女に、ジョーカーの隠す顔は険しくなっているだろう。その表れとして、親指の背を顎に当てた
「そのコチョウちゃんの叔父の居場所を知り、どうする?と訊くのはすっごい今更感。話に聞いた時から、討つつもりだろうとは思っていた。復讐に囚われず、逃げる選択もあるだろうに」
ここにいる全員がフゾウザツを討ちたいと、ひしひしと伝わってきてはいた。その者を忘れ、里外で生きるのは無理な話なのだろう
「他が怖気付き尻尾巻き逃げようが、仇討ちや復讐に憑かれずとも某には関係ないこと。ケシハザツ様を殺された以上、某は1人でも殺した張本人であるフゾウザツの喉へ喰らい付きに赴くつもりだった」
「無謀だが止めるつもりはない、僕は部外者だからな。よく復讐しても何も始まらないや、新たな復讐を生むだけとか安っぽく否定するやつもいるが、それは復讐者の立場にならないと解らないものだ。なので、私は止めない。それがまだあどけない娘や、飯はまだかねと繰り返す老人だろうとも」
過去に何かあった気な、それを察してしまう笑い方。掴めないやつだなと探りを入れてみたいクグレゾウだったが、突然彼にクナイが飛んできたのでそれを額に刺さる寸前で掴んだ
クナイを彼に投げたのはクレドキである
「やはり、某を殺しておくことにしたか?」
「ちーがうわよ。貴様、いつもの得物どころか手裏剣すら没収されてるでしょ。これからって時に、クナイの1本ぐらい持っときなさい」
礼は言わず、クナイを静かに衣服の胸内へ。礼の言葉一つぐらいと追及しないのは、彼の性格を知っているから
「うーん、これは武器不足なのが悩ましいなー。クレドキ、クナイはあと何本持っている?」
「追われ身で、コチョウラン様を救出する為に急ぎだったので手持ちにあったのは9本、1本渡したから残りは8本だけ。先程、始末したそこに横たわる見張りの数名から武器を頂戴しても人数分は無理ね。持たせるだけ持たせて、敵接触時に倒したのを分配していくしかなさそう」
「やっぱなー。その手段しかないよなー。あとは体術でカバーできるなら分配数も減らせるけどな」
武器が無いのをぶつくさ言ってもしょうがない。時間も惜しい、随時対処していくしかない
コチョウランは、できれば誰も死んでほしくないと願うが、それは不可能に近く、覚悟はできている
そしてここにいるほとんどの者達は、少女と里、殺された前里長とケシハザツの為に死ねる覚悟がある
「じゃあ私は、隙を見て逃げるから。非戦闘民の部外者で、単に足手纏いになりそうなので」
「そうですね、それがいいでしょう。センテイマルさんは関係なく、巻き込ませるわけにはいきませんから。あなた様が向かいの牢に居てくれて、流れが変わってきたのかもしれませね。戦闘となれば礼を述べる余裕もなくなるかもしれませんし、自分が無事にいれるかも分かりませんから、今ここにてあの時の礼と安全の旅路を願います」
深々と頭を下げる少女に、ジョーカーは空気を読まない発言をしたことを少し後悔した。せめて、今それを言うのかとクレドキあたりから一撃を喰らえれば気が楽になれるのに
「皆さん、どうか御武運を・・・」
両手を合わせ、握り合うと祈るように両膝を着き、深く願う。緊迫もあり、こうなってしまうとはと今日までの経緯と現在へ哀しみと悔しさ、そして僅かに滲み始めた憎悪の気配
ジョーカーだけは、今夜送る手紙の内容文を考えていた