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鉛筆と羽根ペン

作者: 辻一青

奴の部屋は、数ヶ月の静寂を吹き飛ばさんが如く、又四年前と同じ騒がしさを取り戻していた。部屋の床には仕事の資料と本とが散らばり、机の上もこなし切れていない仕事の山が崩れ落ちている。

そして肝心の奴の姿はというと何処にも無い。何処かに隠れて居る訳でも無いのである、本当に姿が無いのである。


「彼奴……又サボりか……。」


半ば諦めを含みながら溜息混じりに呟く。四年前より奴は仕事でイギリスに遠征して居り、つい最近此処日本に帰って来た。何か少し、心情的にも変わったかと思ったが、相変わらずの呑気さで、少し変わったところといえば、少し大人びた様な容姿(四年前の奴は未だ少々あどけなさが残っていたものである。)と遮光眼鏡を付け始めたという所のみである。



奴の居ぬ間に部屋でも片付けてやろうかと、己は資料を数枚、ガサリと持ち上げ纏める。随分と溜めたものだ、面倒ならばさっさと片付けた方が楽なのは目に見えておろうに。

下に散らばっていた物を一頻り纏め、手持のクリップで留めておいた。これだけでも一苦労とは己も歳か……否、奴だからか?など

と下らん思考を巡らせては、如何如何、と取り敢えず椅子に腰を落ち着かせ、ふぅ、と一息今度は机のものに手を付ける。もう無心だ、何も考えぬ。

手元からと手を掛けと、どうやら下に物がある様だ。宝でも何でも無い唯の仕事の雪崩山を掻き分けると、埋蔵されていたのはペンポーチである事が分かった。


(チッ……何時でも使える様にせんから進まんのだろう……。)


これで中身が汚ければ黙って洗濯してやる、と乱雑にチャックを開け中身を外に振り出す。

鉛筆数本と羽根ペン、鉛筆は確りと蓋をされて出てきた。良く仕事人が使っている様なボールペンやシャープペンシルの類などは一つも持っていない。



ーー今思えば、昔、奴が上司にめっきり叱られた時があった。普段、たとえどれほど偉い位の者にでも自分の意見をはっきりと申し、

どれだけ相手の堪忍袋の緒を切ろうとも自分が正しいと思えば物申す様な奴が、その日に限っては説教中も完全に恐れをなし、上司が居なくなると壁伝いに崩れ落ち、肩を抱いて震えて居たのだった。

先刻の上司が見えなくなったのを確認し、己は奴に駆け寄り声を掛ける。


「お前、一体どうしたのだ……、らしく無いぞ?」


奴は目を見開き目線を泳がせ、荒く肩で息をしておる。


「こ…………わい……」

「怖い?あの説教がか?何か気にでも障ったか」

「ちゃう……ちゃう……せや……無い……っ」


消え入りそうな声で、奴は己に訴える。


「……ん……き……っ」

「ん?」

「ペン…………さ……きが…………っ」

「ペン先……?」



確かにあの上司は奴を怒鳴る時、ペン先を何度も突き出しながらであった。然しそれだけで奴が此処迄怯えるのか……?


振り絞るかの様にそれを言うと、奴は完全に俯いてしまった。己は此処にずっと居座る訳にも往かないと、奴の背を擦り、取り敢えず部屋に部屋に戻ろうと、奴が落ち着くのを待ちながら、支え歩いた。



「……ごめん。」


落ち着きを取り戻した奴は、一言、己にそう言った。


「別に、同じ師につく仲間だ、謝る必要など無い。」

「……うん…………」


ベッドの端に座る奴は随分と憔悴しきった様子で項垂れている


「それより何だ、ペン先?だったか、それがどうした?」

「あ……うん……あのな……」


暫しの沈黙の後、一つ呼吸を置き、奴はゆっくりと語り始めた。



ーー真逆こんな醜態晒すなんて思わんかった、今振り返ると滅茶苦茶恥ずかしいやんな……。取り敢えず……言い訳やと思うて聞いて欲しい。

多分あんさんやから分かってくれてはると思うけど、先刻のは"ペン先向けられたんが怖かった"って言いたかったんよ……。ホンマ……怖くて声でえへんかった……ごめん……。


己は鬱々と話す奴の言葉を、一語一語飲み込むようにして聴いた。


……そんな事でって思うやろ、否、きっと思うとる。けど……あんさんは知っとるやろ?これの事……。


奴は左腕を、少し腕を捲り上げて見せた。奴の左腕には、蛇の刺青が中指からずっととぐろを巻いている。

前に何気無くその刺青の事を尋ねたことがあった。すると奴は少し声を低くし、ヤクザ者の親父に幼少の頃に無理矢理入れられたものだと話してくれたのだった。


……無理矢理入れられた……あの時の事、今でも覚えとる。滅茶苦茶痛くて、逃げようとしたら殴られるし、もう……せやから……

ペンとか……これ入れる機械に似たもん見ると怖いねん……せやから……その……っ


もう良い。と己は言葉を遮った。これ以上辛い事を話させるのも邪道だと判断したが故である。つまり、奴は"トラウマ"に囚われ今も苦しんで居るのだったーー



そんな訳で奴は物を書く時は鉛筆、が基本であった。が、羽根ペン……四年前は持っていなかったよな……。


「んぁ、あんさん何、人の部屋物色する趣味でもあったん〜?」


部屋の主が気持ち悪い笑顔を向けて帰って来る。


「戯け、又サボりおって……部屋の整理をしてやっていたのだ、少しは感謝しろ」

「え〜別に頼んどらんけど……まっ、おおきにって事で」


一つ文句混じりに例を言うと、整理の済んでいない机の上をガサガサと掻き分ける。


「あれ……ペンケース……」

「これか」

「それやそれ!!!って何であんさんが持っとんねん」

「だから整理してやっていたと」

「嗚呼避けたんか……まぁハイハイって中身は!?」

「ほれ」

「ふぁっ!?何で全部でとるん!?」


奴は散らばった文房具を手で握りポーチに入れる。羽根が折れやしないか……?


「……あ、そう言えばお前、羽根ペン」

「ん?嗚呼これ?イギリス居る時に器用な友人がおってなぁ、教えてもろて一から作ったんやで!ボールペンとかは……未だアカンけど、これですこーしずつ慣れよかなって」


奴は満面の笑みを浮かべた。何だ、案外心情の変化はあったようだ、何故か己の事でも無いのに、心の底からほっと安心したのだった。


「そうか、じゃあインクとかも持ち歩くのか、大変だな。」

「せやね〜あ、インク……イン……嗚呼ァァァ!?」


安心した矢先の大変な光景である、インクが下で零れていたらしく、底の仕事程黒く染まっておる。奴はげんなりと床に倒れ込み突っ伏してしまった。


「嗚呼……うぁ……怒られる……めっちゃ殴られる……」

「阿呆……自業自得だな」

「ふぇ……なぁなぁ片付け手伝ってぇ……?」

「何時でもいい顔して助けてもらえると思うな、己は知らん」

「そんなぁ……」


ぐったりとへこむ奴を見て何だか可笑しくなり、フフッと鼻で笑ってしまった、久し振りにこういうの楽しいものだ。


…………ところで己は此奴の部屋に何をしに来たのだったか……はて……。


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