トイレで同じクラスのJKといっしょに閉じ込められたけど質問ある?
初めて投稿します。
やばい、これ絶対ヤバイって。
いくらなんでもヤバすぎる。
「立花君……鍵壊れちゃってるわよ……どうするのよ、これ」
……こっちが聞きたいわ。
どうしたらいいんだこのシチュエーション。
駅前デパート、ソラノ百貨店のトイレの個室。しかも女性用。
比較的清潔でさほど強い悪臭もなく、最新の便座洗浄機のある比較的快適な、排泄のための空間。
そこに僕たち二人……立花誠と林原静香が閉じ込められていた。
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通っている高校からの帰り道、僕はほぼ毎日この駅前のデパートに立ち寄っている。
地下の食料品売り場が夕方のタイムセール前に午前中の食料品を安く販売することがあるからだ。
その中の弁当の特売品を狙って買って帰ることが僕の日課なのだ。
母は最近パートの仕事が家から離れた工場に変わったため、僕の夕飯を準備するのが大変になってきたためだ。
母は帰ると「栄養のバランス考えなきゃ」と律儀に夕飯を作るが、僕は晩御飯を作るまで到底空腹に耐えられない。
そこで母から毎日夕方前の軽食代として500円を渡されているが、税込500円なんて食料品値上がりの昨今、ろくなものは買えない。で、少しでも美味いものが食えないかと毎日デパ地下を漁っているわけ。
あいにくその日は余り目ぼしいものはなく、特売品は魚の切り身とか鶏肉しかなかった。
仕方ないので今日は諦めて家に帰って、母親が帰ってくるまでカップラーメンでも食って飢えをしのごうか、と考えてた。
デパートのエスカレーターを上がって一階の売り場にたどり着く。
腹が減って少し頭がぼうっとしていたんだろう。普段は通ることのない一階の店舗内の通路を通ってデパートの外へ出ようとした。
女性向けの小物売り場や服飾品の売り場の横を通り、男子高校生としてなんとなく居心地の悪さを感じながら化粧品売り場の脇を抜け、出口から表に出ようとフロアを歩いていく。
するとそこに見慣れた同じ学校の女生徒の制服姿があった。このデパートで同じ学校の制服を見かけるのは珍しい。どんな奴かなと思って顔を確かめようと遠くから伺うと、そこには見知った顔があった。
同級生の林原静香がいた。
彼女は化粧品売り場で何やら売り場のお姉さんと話し込んでいた。
なんでもつけまつ毛の接着剤が肌に合わなくて、商品の交換に来ているのだとかなんとか、そんな会話が聞こえてきた。
声をかけようかどうしようか迷って何となくその場を眺めていたのだが、近くにあった鏡に、同じ学校の制服の男がこっちを見ている姿が映ったらしい。
静香が僕に気がついた。
「あのね、立花君。女の子がお化粧売り場にいるところなんか見つめるもんじゃないよ」
「べ、別に見たかったわけじゃない。たまたま通りかかっただけだ」
ちょっとキョドっちまった。
同じクラスの女子と帰りがけに偶然出会う。
こういう偶然の出会いに何気なくさらっと気の利いたセリフを言って、そのあと会話を弾ませたいのだけれど、なかなかそんなに都合よく言葉は出てこないもんだ。
静香はつまらなさそうに僕を一瞥すると、また化粧品の販売員の方に向き直った。
愛想のない奴である。
まあ僕も化粧品売り場には全くと言っていいほど興味はないし、親しくもない同級生の買い物にも興味はない。将来彼女でもできたら口紅でもプレゼントすることになるかもしれないけど、今のところ彼女もいなければこの先できる予定もない。
頭の中であれこれ考えたが、この同級生が何に興味があるか全く知らないので共通の話題が思い浮かばない。ましてや男子高校生には完全アウェイの化粧品売り場で交わす会話なんて想像もつかなかった。
「……ではこのようなものではどうでしょう」
デパートの店員さんが、こっちのことをちらっと見て、この制服姿の少年はこの少女のさしたる関係者でもないと見抜いたのだろう、僕のことは気に留めずに静香に別の商品を勧めてくる。平然と無視されて軽くイラっときたが、だからと言って文句をつける筋合いでもない。
「これは初めての方も付けやすくなっていまして……」
とかなんとか静香に説明し、静香もそれを聞いて試供品を手に取っていた。それを聞いて、そのまま帰っちまおうかと思ったが、何の会話も無しに帰るとなると
「……昨日立花がさ、あたしが化粧品売り場で説明聞いているところをさ、覗き見していてさ……」
とか明日あたりに変な噂になりかねない。うん、そうなったらちょっとまずいね。ただでさえ距離のあるクラスの女子がさらに距離を取ってくるかもしれない。
想定される風評被害だけは回避すべく、この販売員の説明のキリのいいところで静香に挨拶くらいはしておかなきゃ、と思っていたら、
「い、痛い……いたたたた……」
と静香が小さく悲鳴を上げた。
「お、お客様……」
うろたえる販売員に静香は右目から涙をポロポロ流す顔を向けた。
「おい、どうした」
と僕は静香に声をかけた。
「な、なんかいきなり接着剤の塊とまつ毛が入り込んだらしくって……目が、目が~」
……ムスカかよ。
「そいつは大変そうだな、頑張れよ、じゃあな」
と声をかけてその場を立ち去ろうとしたが、静香に袖口をがっしと掴まれた。
「……おい……」
何で僕の手を掴んでいるんだ。
「あたしがこんなに痛がっているのになんでそのまま帰ろうとしているのよ! せめて何とかなるまでここにいて手伝いなさいよ!」
右目を抑えながら左の目と鼻を赤くしながら言う。
何とかなるまでって……。
「す、すみませんお客様、すぐに眼球の洗浄セットを用意しますので……あれ、ええっと……」
今、洗浄セットとやらは手元に無いらしい。気の利かない店員だ。
「確か控え室にあったかと」
「今すぐなんとかして!」
「……では化粧室にご案内します」
「あんたも付いてきて!」
「え、ちょっとおま……」
冗談じゃない、女子トイレなんていっしょに行けるか。
「ご一緒しても役に立ちませんけど」
「つべこべ言うな」
静香が畳み掛ける。
「女子が困ってたら何でもできることをやろうと考えるのが男ってもんでしょ!」
僕はため息をつきながら静香を見る。静香はそれなりにルックスはいいが、クラスにおける自分が関心のない男子には愛想というものを全く振りまかない奴だった。
だからあまりクラスでほとんど会話したことがないからよく知らなかったが、こんな横暴を言うキャラだったのか。
……明日からこいつをクラスで見かけたら、近くに来るのをなるべく避けて生活するべきだろう。
彼女はカバンを引っ掴むと、店員に連れられ女子トイレに向かう。
女子トイレは『清掃中』の札がかかってた。
中に入れるかどうか皆が一瞬躊躇するが、同行した店員がトイレの奥に、
「すみません、今ちょっと具合を悪くしたお客さまがいらっしゃって……入ってよろしいでしょうか」
と呼びかける。
すると年配の清掃員が中から出てきて、
「ああ、それは大変ですね。もうほとんど終わりましたから、どうぞお入りください」
と了承する。そしてその場を去って行った。
なぜか清掃中の札はそのままだ。清掃したばかりで床がかなり濡れてるから、水がはけるまでしばらくこのままなのだろうと思った。
それを聞いてほっとしたのか、
「とりあえず、今日はもういいですからまた相談させてください」
と店員に声をかけて顔を手で覆いながら急いでトイレに入る静香。今は痛みのあまり、さっき選んでいたつけまつ毛のことなんかはどうでもいいんだろう。
店員は、
「本当に申し訳ありませんでした。何かありましたらいつでもおっしゃって下さい」
といい、僕の方を見て軽く会釈し、トイレを去って行った。
つうかお客さんのトラブルは最後まで責任もって面倒見て行けよ。薄情な店員だな。
「あ~、林原。大丈夫か~」
静香しかいないであろうトイレの入り口に向かって声をかける。
「大丈夫じゃない~」
と涙声で訴えてくる。
「ねえあんた、目薬とかないの?」
あ、そういえば僕はコンタクトレンズの使用中はよく目が乾くから、コンタクト用目薬持っていたっけ。
「使い捨てのコンタクト用の新品なら、あるにはあるけど」
「もう、気が利かないわね。貸しなさいよ」
「あー、じゃあ取りに来て」
「今コンタクト外したばかりでよく目が見えないのよ」
「両目ともか?」
「両目とも~。だから持ってきて」
女子トイレの中にお届けしろと?
「自分でとりに来いよ~」
「持ってきてよ~」
まあその時の僕の心境はといえば、困っている女の子の役に立ってだね、それをきっかけに、もうちょっとクラスの女子たちと仲良くなりたいとか日頃思っていたから、つい応じてしまったんだよ。
「しょうがねえな」
とカバンの小物入れから目薬を一個取り出し、渋々トイレに入る。トイレの化粧台は最近改装したばかりなのか、綺麗でピカピカしていたが、各トイレの個室のドアは古びていた。このデパート、トイレ全体を改装する予算が厳しいらしい。
さっきは片目を押さえていた静香は、今は両目を押さえて顔を伏せがちにしている。
「なんで両目ともコンタクト外しているんだよ」
「だって片方の目に異物混入じゃん。コンタクトはめていると近くがよく見えないじゃん。だったら外すじゃん」
「ほら、手を出せ」
静香が顔を伏せたまま手を差し出す。そこに目薬を乗せる。
すると静香が手を動かし掴もうとする。
「あ、バカ。動かさずにそのまま手を広げて……あ~」
コンタクト用目薬は静香の手を離れてトイレの中に転がっていった。
「もう、ちゃんと渡しなさいよ!」
「なんで前が見えてないのに物が掴めると思って手を動かすんだろうな、不思議だな」
「さっさと拾ってこっち持ってきなさい」
「おい、トイレの床に落ちたものを拾って来いとな?」
「だってあたしじゃどこに落ちたか見えないし」
「……何で俺がこんなこと……」
トイレ全体を見渡し、床にかがんで中を覗うとと、どうやらトイレの個室の中にあるっぽい。
「お~い、すぐ隣の個室にあるから拾いたまえ」
「あんた拾いなさいよ」
「冗談じゃない、俺の人生に女子トイレの個室に入ったという黒歴史を刻む気か」
「……もう! 使えないわね! わかったわよ! どこの個室か案内しなさいよ」
静香が目薬の落ちたトイレに入ろうと、トイレの個室の壁やドア越しに手探りで進む。トイレのドアを開けて中に入るとそこは洋式便器のトイレだった。
「そう、そこにあるはず」
「便器の中には落ちてないわね……床のどのあたりに落ちているの」
静香は壁に手をかけて見えない目で覗き込もうとする。ここから見えないから奥の方……とアドバイスしようと思ったら足を滑らせてトイレの個室ですっ転んだ。
ゴンッ! と鈍い音がしてトイレのドアが一度勢いよく全開した。トイレのドアは隣の個室の壁にぶつかり、バタンと音を立てて戻ってくる。
「ぶっ!!」
「おい、大丈夫か」
静香の頭はトイレの便器と壁の隙間に頭が挟まっていた。それを見てさすがに放置できずにトイレの個室に入って助け起こそうとする。
狭い個室に二人きりになった。
「痛った~……あんたのせいでひどい目に遭った」
こっちを睨んで涙を流す。
「お、おう……目のゴミとれたみたいだな」
「あ、そういえば」
ホッとしていると背後でバタンと音がした。勢いがついて全開になった扉が反動で戻ってきて、そのまま閉まったらしい。
「へ?」
「……あんた、何を勝手に扉締めてるのよ!」
「いや勝手に扉が閉まって」
「もういいから早く開けて。あたしはここを出たいの」
それはこっちのセリフだ。
こんなところ第三者に見られたら痴漢冤罪確定である。
「ああ、はいはい」
ドアのラッチを開けようとするが……開かない。
「おい、なんかこのドア開かないんですけど」
「なによ、もう。そこどいて」
狭い個室で体勢を変えて入れ替わる。
「……う、うそ。ホントに開かない……立花君……鍵壊れちゃってるわよ……どうするのよ、これ」
「さっき、勢いよくドアが開いた反動で鍵が壊れたらしいな」
「何落ち着いて解説しているのよ! もう! さっさと出るわよ。ほらよじ登って」
いや全然落ち着いてませんから!
自分が当事者の事案が絶賛発生中である。とにかくさっさとここから出なくては僕の人生が限りなくヤバい。
内心の動揺を押し隠し、便座の背後にある配管に足をかけ、上部の隙間から身体を出そうとした。天井とドアの隙間は空いており、何とか身体くらいはその隙間から出られそうな按排である。
だが、その時ちょうど頭を出したその隙間から、偶然他の女性客が入ってくるのが見えた。慌てて中に入りなおす。
足音に気がつき、静香もにらみながら仕方なしに僕が入り込む場所をあける。静香と体が密着しそうになり、ちょっとドキドキした。
口の利き方さえもう少し穏やかなら、彼女は十分魅力的な美少女と呼んでも差し支えない範疇に入る。身体からふんわりとコロンの香りが漂い、頭がくらくらしてきた。
少なくともこの同級生は、女子力だけは無駄に高い。
「もう! グズグズしてるから……」
そんな僕の微妙な心境などお構いなしに、容赦のない叱咤が飛ぶ。
「……大きな声上げるな」
慌てて小声で注意を促す。
隣りのトイレの個室でゴソゴソ音がする。用を足そうとしているらしい。
「こら! 変態っ! 耳をふさげ!」
静香が小声で叫び、僕は慌てて耳をふさいだ。
確かにこれは思春期の男子にはかなり微妙な状況だ。何もせずに聞き耳を立てていたら変質者と呼ばれても仕方があるまい。
とにもかくにも慌てて耳をふさぎ、その場でじっとしていた。
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あれから二時間が経過した。
途切れることなく入れ代わり立ち代わり、トイレには女性客がやってきている様子だった。
様子だった、というのは静香が「これを耳栓代わりにしなさい」といってトイレットペーパーを小さくちぎり、丸めてよこしたものを耳に詰めていたからだった。
音が完全に遮断されたわけではないが、一応耳から入る音はこれにより幾分阻止される。
僕らが入ってきてから最初に遭遇したトイレの客は、清掃中の看板にお構いなく入って用を足したんだろうと思う。
そしてその後清掃員が看板を撤去していったんだろう。
個室に閉じ込められて声の出せない静香と僕は、仕方なくスマホを取り出しLINEのメッセで会話をやり取りした。
『なんであたしがあんたのアカウント取得してLINEやらなきゃいけないわけ?』
『しょうがないだろ、声が出せないんだから』
密着状態のLINEでの無言の会話は続く。
『なあ、トイレの客が途切れたら助けを呼びに行ってくれないか』
『なんであたしがあんたのために』
『……お前のために俺がこんな目に遭ったんだろうが』
『いやよ、こんなところよじ登ったら下から見えるじゃないのバカ』
『目をつぶってますから』
『信用できません』
『カバン、洗面台に置きっぱなしだろ? 財布もコンタクトもその中だろ? なるべく早く取りに行った方がいいんじゃないか』
『…………』
律儀に三点リーダーを入力して返信してくる。なにを迷っているんだろう。
『よじ登れないの』
『なんで? こんなところ登るくらいできるだろ?』
見たところ静香はスリムな体つきで、胸が過剰に大きいということもない。体がドアと天井との間につかえるということもなさそうだが。
『察しろバカ!』
なんか足をすり合わせてモジモジしている。
……あ~、そういや僕もさっきからトイレ行きたくなってきてるわ。
つうか、ここトイレだけどな。
『よかったら僕にかまわず遠慮なく』
『死ねや! ボケカス!』
『こんなに近くに便器があっても用が足せないなんて……www』
『あんたさえここにいなければ……殺意が沸いてきました』
いかん、こんなところでこの女に逆上でもされ、興奮して叫びだされたらえらいことになる。
少し気持ちを落ち着けてもらわねば。
『なあ知ってる?』
『何よ』
『男の方が女よりも尿意を堪えやすいんだってさ』
『……』
『男の方が尿道長いからおしっこ我慢できるんだって』
『喧嘩売ってるの?』
少しでも場を和ませようと努力しているんだが、逆効果だったか。
『あと豆知識』
『?』
『日本人ってバスの休憩のときって必ずトイレ行くけど、白人は行かないんだってさ』
『……』
『なぜかというとあいつらの方が膀胱がでかいから』
『どうしてそっち方面に会話を振るわけ?』
『いやこの際だからウンチクを公開しておこうかと』
『こっちは少しでも気を紛らわそうとしているのに、あんたって人は』
今現在、静香にとってトイレネタは絶対的タブーだったらしい。
『なあ』
『何よ?』
『万が一だけど、俺がもしここにいることが発見されたら、一緒に弁明してくれよな』
『なんであたしがあんたのために』
『おいおい、俺は痴漢の冤罪を受けたくないんだよ』
『知りません』
『ならさっきこっそり撮った画像があるんですが』
『は? 隠し撮りしてたの?』
『左様』
『シャッター音を聞いてなかったけど』
『ミクロソフトが公式配信しているカメラアプリにはシャッター音がありません』
『そんなアプリを使っているなんて……まさか盗撮痴漢の常習だったなんて……あんたが変態だっていう決定的証拠じゃないの』
『人聞きの悪いこと言うな! SNSにラーメン画像を投稿するときに、店でいちいちシャッター音させたくないから入れてるんだよ』
聞くところによると、わざわざシャッター音の擬音をカメラアプリ使用の際に発生させるのは、日本独自の仕様らしい。外国の製品は、カメラアプリは無音で作動するのだそうだ。
『で、画像が何よ?』
『何かあったときに弁明してくれなければ、俺と一緒にトイレ入って涙ぐんでいるあなたの画像を世界中にばらまきましょうか』
『…………』
『誰がどう見ても一緒にトイレで何か悪いことしている(かもしれない)私たちの二人の世界が写っています。それが全世界に公開されます』
『うわ、最悪、最低』
『こっちは人生かかっているんだから、手段は選べないんだよ!』
『わかったわよ!』
さらに一時間が経過した。相変わらず女子トイレは盛況のようだ。
さっきからLINEに返信がない。
拗ねたか怒っているか、さてどっちだろう。
『なあ、怒っているのか』
返信なし。
しかしこの窮地ではお互いに協力しなくてはならない。静香が腹を立てようがこっちが一方的に謝るわけにもいかない。
しばらくして返信が来た。
『もう指を動かすのも苦しいから、用がないならしばらく黙ってて』
見ると顔が真っ青だ。全力で尿意を堪えているらしい。
そういう僕もいい加減に限界が近い。最後に用を足したのは下校前のトイレに行ったきりだが、これは静香も同じだろう。
すると静香が震える指で『蛍の光が聞こえる』と通信してきた。閉館を知らせる案内準備のインストルメントが流れてきたらしい。やっと閉館か。長かった。
確かここのデパートは午後8時閉館だったな。スマホの時計を見ると19:50とある。あと10分。こっちもかなり尿意が限界に近くて苦しい。
『そろそろ外していいか、耳栓』
『だめ、また入ってきた』
耳栓は最後までつけていろとの命令をいただいた。
『閉館のアナウンスが流れてきた』と静香がメッセを流す。
どうしよう……いつ、どんなタイミングでここをよじ登って飛び出すべきか。ぎりぎりまで我慢すべきか。
『ごめん、立花君。もう限界』
静香が震えながらメッセを打ってきた。
『えっと、客は?』
『さっき最後の人が出て行った』
『閉店直前まで待ちたいのですが』
『さっさとここを出てよ!』
静香はメッセージを打ちながら僕を睨みつける。涙目だ。
『まだだよ、まだ客が残っていて用を足しに来ようと……ほら』
耳栓越しに慌ただしい雰囲気を感じ、バタンと扉が閉まるのを感じる。
『蛍の光を聞いていたら我慢できなくなってきたのよ!』
『そうだよな、トイレ我慢するって行為は何かをきっかけにして我慢するのが苦しくなるもんな』
『……憎い……蛍の光が憎い……』
くっ、と静香が顔をしかめる。相当に苦しいのか、それともあるいは。
『大丈夫、少しくらい出てもここはトイレだから臭ったりしないよ』
『漏らしてない! 死ねアホ!』
冗談のつもりだったが図星かもしれない。
スマホの時計が19:55になった。そろそろ出るタイミングか。
『そろそろ行きます。死んだら骨は拾ってください』
『あんたの屍を踏んづけて出ていくわよ』
ようやく用が足せる安心感からか、軽口を返してきた。
『じゃあ行きますよ』
水洗便座の背面の配管を足掛かりにしてよじ登り、扉と天井の狭い隙間を乗り越える。
変な形に体重をかけて扉を壊さないよう慎重によじ登る。扉から飛び降りトイレの床に着地して、そのまま廊下に出る。
……僕はすっかり忘れていたのだ。耳栓をしていたことを。
廊下で巡回していた警備員の気配にまったく気がつかなかったとは。
廊下で警備員にバッタリと遭遇した。向こうもいきなり男子高校生が女子トイレから出てきて唖然としていた。
警備員が「おい」とか「こら」とか言っていたようだが耳栓のおかげでよく聞き取れない。そのまま隣りの男子トイレに飛び込む。
「すみません! 今はトイレに行かせてください。っていうか漏れますってば!」
とっ捕まえようとする警備員を振り切り、強引に男子トイレに入る。そのまま警備員に後ろから見張られながら、男子トイレで用を足した。
尿意から解放されると同時に「えらいことになった」とため息が出てきた。
耳栓を外し、警備員を伴って女子トイレの入り口から声をかける。
「林原~~。すまん~~。警備員さんに見つかっちまった~~」
それに応えるかのようにトイレの奥から水を流す音が響いた。トイレの向こうで静香が嘆くのが手に取るように想像できた。
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「で、君たちはトイレに二人そろって閉じ込められたというわけだね」
「……はい」
あれからトイレで用を足し終えた静香は、ドアの鍵がどうしても開かないと訴えたため、デパートは営繕担当の社員を呼んだ。そしてドアの鍵が外され、ようやくトイレの個室から出ることができた。
そして僕らは二人して警備員詰所に連れて行かれ、体の大柄な警備主任の前に座らされていた。いわゆる尋問ってやつである。
「まあいろいろと言い訳したくなる気持ちはわかるけど、このような場合学校や警察に連絡することになっていてね」
完全に犯罪者扱いだ。
「もちろんご家族にも連絡しなければならない」
すごく怖い顔をした警備主任がドスの利いた低い声で言い放つ。こっちは有罪判決を聞いているような気分だ。事前にトイレで用を足してなかったら、悲嘆にくれチビっていたかもしれない。
「あ、あの、本当にトイレにいただけで何もしてないんです」
静香がしおらしく顔をうつむかせながら弁明してくれていた。一瞬、僕のために約束守って弁明を……と感動しかけたが、よく考えたらこのままじゃ「トイレ内でわいせつ行為をしてました」とかいうことになりかねないからな。
……さっき脅しておいた甲斐があったか。
窮地に立たされたか弱い女の子の演技をしながら、静香は言い訳を必死で考えているようだ。
「そうは言ってもねぇ」と少し態度を軟化させた警備員がつぶやく。うん、女子高生の女の武器もおっさんを懐柔するのに多少は役に立っているらしい。
「……何か証拠でもあるのかね」
「あ……」と静香が顔を上げて言った。「証拠ならあります!」
僕と静香はトイレに入っている間の、二人のLINEのやり取りを警備主任に見せた。僕ら二人の会話が余すことなく記録された双方のスマホを食い入るように読んでいる。
時々「ぐっ……」と鼻の奥から変な声が漏れた。おそらく笑いが噴き出すのを堪えているのだろう。スマホを持つ手も小刻みに震えている。
「……うん、まあ、確かにこれは君らが本当のことを語っている確かな証拠だな」
笑いをかみ殺しながら警備員が太い声で言ってくれた。
思わずホッとして顔を見合わせる僕らに彼は言った。
「でも緊急時にはこんな風に隠そうとせずに、ちゃんと大人を頼りなさい。すぐに大声を上げれば何とかなっただろう?」
確かにその通りだ。
「この件は学校にも警察にも言わないでおこう。親に話すかどうかは君らが決めればいい。ああ、ただこの一件は上に報告を上げなきゃならない。その証拠品として君らのLINEのやり取りのデータをコピーさせていただくから、その件は了承するように」
「はい」
僕らはほっとしてうなずいた。
鍵の壊れた扉は前々から問題になっていたからその弁償はしなくていいこと、閉館後は使用人通路から帰ることを教えられて、洗面台に放置された静香の忘れ物を全部受け取って、僕らは帰途に就く。
「あ~本当にあんたのおかげで災難だった」
「それはこっちのセリフ……」
「このことは絶対に内緒だからね! 誰かに話したら承知しないから!」
「わかったよ。……なあ、親に連絡しなくていいのか」
「うちは親の帰り遅いの」
「そっか。うちもだよ」
そんな会話をしながらその日、静香とは駅で別れた。
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数日後の朝、登校した僕を待っていたかのように教室で静香が近寄ってきた。そして青い顔をして「メッセ送ったから」と一言言って席を離れた。
何事かと思い慌ててLINEを起動すると
『掲示板にあの時のことのスレが立ってる(涙』
と泣き顔のスタンプと一緒に、そのアドレスを貼りつけたメッセージが入っていた。
慌てて僕がそのURLを開くと
【トイレで同じクラスのJKといっしょに閉じ込められたけど質問ある?】
というスレッドが立っていた。
ご丁寧にまとめブログが取り上げており、僕らのLINEのやり取りもそこに画像データとしてアップロードされていた。
こっちのアイコンにはボカシが入っていたので個人の特定はできないだろうけど、あまりの出来事に僕は頭を抱えた。
『一応言っておくけど、俺じゃないよ』
『わかってるわよ』
『まさかあの警備主任、ネラーだったとは』
『もうあのデパート、行けないね』
『そうだな』
あのデパート、コンプライアンスとかいったいどうなっているんだろう。
高校生だから舐められたとしか思えないが、さりとてデパート側に文句をつける方策も思い浮かばない。
正体がばれてないし、多分この先ばれることもないだろうからこの恥ずかしい体験もそのうちにネット上の小さな話題となって消えていくのだろうが、それでもすごく落ち着かない気分になった。
このまま時間が経って、記事がネットの中で埋もれるより待つしかなかった。
その後、クラスで静香とは普通に話をする間柄になった。そしてそれをきっかけに僕はいろんな女子と話をする機会が増えてきた。まだ彼女はできていないが、そのうちに親しくなれる女の子も現れるだろう。災い転じて福となすって奴である。
だけどあの時のことについては、僕と静香は、お互いに触れることは全くない。一日も早く忘れてしまいたいが、お互いに毎朝顔を合わせるたびに微妙な笑顔が浮かんでくる。
それを見て二人の間に何かあるのでは、とクラスの暇人どもが僕らを囃し立てたりもするが、自分たちの間には何もないと言い訳して、また僕らは微妙な笑顔を浮かべるのであった。
お読みいただきありがとうございました。
※ご意見がありましたので、一部分改訂しました。