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青いライオン  作者: 鷹元
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続々:百獣の王とは誰がつけた名前か



「雛ちゃんが思うライオンって、どんなものなの」



 それは高校三年生の時、屋上でご飯を食べようと、公隆と数人の友人を連れて、校舎の一番上で、公隆は雛にそう問うた。雛は訳も分からず、率直に「ライオンはライオンよ」と答える。この人が変わり者だっていうことは充分承知していた彼女は、彼をあしらうのに長けていた。とりあえず答えればいいのだ。そうすれば、公隆は満足そうに頷いて、次の言葉を雛にくれるのだから。



「ライオンって、どんなライオン?」


「鬣が黄金で、身体が黄土色の、動物にとって気高き存在。だって百獣の王でしょ」


「君はそう思うかもしれないね」


「結局のところ、何が言いたいの?」


「僕はライオンが好きってこと」



 彼はお弁当の中に入っていた梅干入りのおにぎりを、箸で器用に持ち上げて、口の中に招いていった。思うのだけれど、彼のお箸の使い方はとても上手だ。持ちかたも綺麗だし、枝豆をひょいひょいっと掴んでパクパクと口の中に放り込むのだから。



「ライオンは私も好きよ」


「本当?」


「だって、かっこいいもの。威厳があって、動物を守る存在、とても素敵で夢のある話だもの」


「君は夢を見るのが好きだね」


「ロマンチックでいいじゃない」



 公隆はどこか嬉しそうに、目を細めた。そして、おにぎりの最後の一口を食べ終えると、パチンと手を合わせて、ちゃんと「ごちそうさまでした」と言う。お弁当箱を包みながら、彼は少しだけ雛の方へにじり寄る。何かを言うつもりなのだろうかと、雛は身構えていたけれど、何も言わず、ただそこでじっと、雛が食べ終わるのを待っているだけだった。どうやら雛が答えた「夢とライオン」についての話は、彼にとって満足のいくものだったらしい。



「動物園に行くと、どうしてもライオンの方へ行っちゃうんだ」


「そうなんだ」


「ライオンって響きも好きだな」


「そうだね」



 雛はそれだけ言うと、ちょうど昼時間を終えるチャイムが高校全体に響き渡った。雛はいそいで残りの唐揚げを口に放り込むと、弁当を乱雑に袋に突っ込んで、彼と一緒に階段を降りた。教室に戻ると、いつも通り、公隆は雛の隣の席に座る。英語の授業の準備をしながら、雛はライオンについて考えてみた。


 一般的なライオンは、さっきも言った通り、黄金の鬣を持っていて、メスは持っていないけれど、身体は黄土色した、百の動物の王だ。動物の世界での王なのだ。そのライオンの種類があるのだったら、また話は別なのだろうが、青いライオンなんて見たことがない。つい最近では、ホワイトライオンがピックアップされていたけれど、青いライオンなんてこの世には存在しないはずだ。ホワイトタイガー、ホワイトライオン。どれも白。青じゃない。最近の技術で、DNAを改造すれば、青いライオンは産まれるかもしれないが、そんなこと望んで誰がするんだろう。サーカス団が青いペンキを塗るんだったらそこに存在するかもしれないが、そんな事をした日には、動物愛護教会が黙っていないだろう。そのサーカス団は解散の危機に陥るかもしれない。



「考え事しているね」


「うん」



 最近変えたのか、黒縁の眼鏡をかけ直しながら、公隆は雛の顔を覗き込んだ。その向こう側に見える時計を見て、授業が始まるまであと二分、と、なんでもないようなことを考える。ライオンのことは、もう考えるのはやめた。


 どうあがいたってこの世界に、青いライオンなんて存在しないからだ。



「君の頭の中を覗いてみたい」


「気持ち悪いこと言わないで」


「ひどいなあ」



 彼の眉が、軽く八の字になって笑う。その笑顔を見ながら、この人はドリーマーだと思った。夢を追いかける人。夢を両手いっぱいに抱え込んで、人生を謳歌している人。それは公隆のこと。



「あなたはドリーマーね」


「え」



 体育会系の先生の声が教室にこだまする。雛はそれをおぼろげに聞きながら、外の景色を眺めていると、とんとん、と机を叩かれた。その音に反応した雛は、机の上に置いてある、綺麗に折りたたまれた紙切れを見つける。公隆の方を見ると、彼は知らんぷりをして前を向いていた。まるで先生の話を真面目に受けているような振る舞いに、ちょっとだけ笑える。彼はつまらない授業があると、すぐに頬杖をついて、話を聞く振りをしながら寝ているからだ。そうして、授業中に回された紙を開いて見ると、内容はとても仕様もないことが書かれていた。



『この先生はうるさくてかなわないね』



 この一言に、雛はちょっと笑って『声が大きいものね』と書いて隣の席に、先生の目を盗んで、その紙を放り投げた。それに気付いた公隆が、嬉しそうにこちらを見て微笑む。つられて微笑んでしまったけれど、別に好意があってそうした訳ではない。と、言い張りたい。恥ずかしい。


 またもや、ポン、と紙を机の上に放り投げられる。段々と埋まっていくその白い紙切れに、笑いをこらえながら、雛は返事を書き続けた。


 今は六時間あるうちの、六時間目。これが終われば、部活に行く人で溢れかえるだろう。


 なんとかぽかぽかとしたこの陽気に誘われる眠気と戦いながら、やがて授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。彼と、ちょっとした文通を交わしていたからか、授業が終わるのが早く感じられた。



「じゃ、ここまでで授業終わるぞ」


「起立、礼、ありがとうございました」



 このクラスの委員長が、これまた体育会系並みの野太い声を出しながら、皆に指示を出す。それに従って雛も「あざしたー」と言うと、帰り支度を始める。


 公隆が椅子をガガガとうるさい音を鳴らしながら、隣に鎮座した。何をするでもない。彼は時々そうやって雛の行動を見て、一人満足するまで、隣に居続ける。それがなんの意味をもつのか、雛にはよくわからなかったが、何故かと問うのも何か違う気がして、彼の好きなようにさせていたのだ。


 その彼が、爆弾を落としていった。



「今日、一緒に帰ろう」



 担任の話をおぼろげに聞きながら、雛は彼の言った言葉を理解するのに、相当な時間を要した。彼は「一緒に帰ろう」と言った。それは、二人で一緒に帰路につくということで、つまりは、二人きりの空間になるわけで。雛は複雑な気持ちで「わかった」と言うと、彼は満足そうに笑った。上機嫌な時の笑い方だ。


 友人たちが夢を語る中、雛は夢について苦悩させられていた。


 特にやることもないし、やりたいこともない。夢もないし、希望なんてもの最初から存在しない。親は何も言ってこないし、自分はどうなりたいのかよくわからなかった。そういう時は、大抵自分の身体に訊くものだと心理学者の先生は書物を通しておっしゃっているけれど、それも難しい話なんですよ、と言いたい。


 帰り支度を終わらせた二人は、トントンと階段を下りていった。


 ここの学校は、学年が上がっていくごとに、階数もあがっていく。二人は下へ続く三階の階段を、トントンと降りていく音だけが、この空間にこだました。それは別に気まずい雰囲気などではなく、今は特別、会話が必要な訳ではない空気だった。やがて二人は一階に降り立ち、靴箱へと移動する。雛はスリッパからローファーに履き替え、公隆と一緒に扉を開ける。ふんわりと入り込んできた空気は少し冷たくて、もうすぐ秋を迎えようとしていることを、風が告げているように思えた。


 公隆と一緒に門を出て、帰り道をひたすらに歩く。



「雛ちゃんって、進路はもう決まってるの?」


「ううん、まったく」


「山村くんは、進路決まったの」


「それが、まだなんだ」


「進学? 就職?」


「進学。でもどの大学にすれば良いのかよくわからないよね、あれって」


「目指すものによって違うもんね」


「そう。そこなんだよ。僕には目指すものが何もないんだ」


「その気持ちすごくわかるけどね」



 公隆がガクリと肩を落として、うなだれる。それを見ながら、雛もつい、彼と同じように肩を落とした。二人には目指すものがないのだとわかって、雛は仲間精神で彼の背中をポンポンとあやすように叩いた。その手をぐい、と掴んで、何故か手を繋がれる。ドキリと跳ねた心臓が、ドクドクドクと激しく動く。この鼓動が伝わっていませんように、と祈るが、その前に、こんな気持ちにさせる公隆の存在が、雛にとってよくわからない対象だった。男友達とは普通に話もできるし、ハイタッチくらいは普通に、正常な気持ちでいられるのに、彼だけは違うのだ。



「雛ちゃんだったら、カウンセラーとか似合うと思うけどな」


「カウンセラー?」


「そう。物事ひとつひとつ丁寧に考え込む癖があるみたいだから」


「そうかな」


「そうだよ。だから、心理学科とか、いいんじゃない」


「それなら貴方も、カウンセラーに向いていると思うけどな」



 雛は率直にそう述べた。彼は聞き上手だし、なによりあまり他人に干渉はしない。気持ちを分かりすぎると、カウンセラーの方がつられてしまって鬱になってしまうなんて話を、いつか聞いたことがある。その辺り、公隆はちゃんとわかっていて、的確な判断を下せる心理指導が出来るだろう。もっとも、その道に進むのかは、彼自身が決めることでもあるが。


 雛は握られた手をぎゅ、と遠慮がちに握り直しながら、なぜ自分がそうしたのかもよくわからないけれど、街灯に揺れる二つの影は、優しくそこに寄り添っていた。



「いつか雛ちゃんに訊いたかな」


「なにを」


「青いライオンのこと」


「ああ……、えーと、」


「入学式、確か隣だったよね」


「今もだけど」


「じゃ、やっぱり僕、君に訊いてる」


「そうだね、訊かれたかも」



 しばらく歩いて、公園についた二人は、そこにあったベンチに腰掛けた。やわらかな風が二人を包み込むようにして、どこかへと去っていった。



***


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