2.夢物語
ふと目線をあげると、あれほどしきりに舞っていた桜の花びらはもうなくて、中庭に生えているその木は、もう一度花を咲かせる気力もないようだった。入学当初はそれを見ながらつまらない授業もサボれていたけれど、最近では裸の木を見つめているほうがつまらない事に気がついた。
欧州を中心とした歴史の授業のほうが、幾分か面白かったからだ。どうやらロシア人はカラクリが怖いらしかった。歴史マニアと称される先生が、顔を火照らせて訴える。
「ロシア兵は突然鳴り出した目覚まし時計にびっくりして、新しい武器か何かだと思ってライフルをぶっぱなしたの! ビビリ過ぎなのがロシア人というものよ。ウォッカは彼らにとって水のようなものだからね!」
もはや着地点が見つからない。
生徒の目はもはや黒板よりも教科書に釘付けだった。そうさせた先生は、すごい。
「つまらない顔してる」
「……つまらないもの」
隣から失笑と共に聞こえてきたのは、それすらもつまらないような言葉だった。
今は日露戦争の話を聞いているはずなのに、ロシア軍のアホな話しかしていない。外国にはさして興味もない雛にとって、子守唄のなにものでもないその話は、面白いけれど、本当につまらなかった。
「先生は、夢を語っているね」
「は」
隣のメガネ男子は、口から意味のわからない言葉をスッと吐き出した。少女漫画でよくある「隣のメガネ君」なんてタイトルに、ありえるようで、ありえないようなストーリー。私もこういう展開を待っていたはずなのに、運悪く、隣のメガネ君は、よくわからない人物だった。顔はさわやかで、スポーツマンっぽい。けれど所属している部活は「読書部」だ。傍目から見るとすごくイケメンなのに、脳内は残念だ。
現実はやはり、想像の世界とは真逆に動く。
「さて、雛ちゃん。夢ってなんだと思う」
「私とあなたってそんなに仲が良かったかしら」
「いやだな、細かいことは気にしない方が幸せというじゃないか」
「いやだな、気持ち悪い」
「ははっ。ほらね、知らないほうが、幸せなこともある……」
ガラスのハートがヒビ割れた音が聴こえた気がした。どうやらメガネ君は、心の態度を表に出すことが得意分野であるらしい。少し涙目になりながら、彼は軽く笑ってみせた。
冗談なのに。
「……夢って、眠るときに見る非現実な物語だったり、自分が将来何になりたいとか、そういう事に使う単語でしょ。その一言には大きな意味が含まれていると思うけれど。それが先生とどう関係するの」
早口にまくし立てた。そして雛は大きく息を吸う。「夢」に対してそんなに深く考えたことがないから、簡単なことしか言えなかったけれど、彼にはベストアンサーであるらしかった。さっきまでの暗い雰囲気を消し去って、にっこりと高めに口角があがる。
「君とは長く居れそうな感じがするよ!」
「……のーさんきう」
差し出された手を握る代わりに、パチンと叩いてやった。その音はチャイムの音に掻き消されて、誰の耳にも届かなかったけれど。