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青いライオン  作者: 鷹元
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1.色褪せたノート





「……あれ」



 横上雛は、引越し準備の為に、手につけた勉強机の引き出しを開けて、素っ頓狂な声を出した。それと同時に、もろくなった壁が、部屋に侵入してくるすきま風を許して、唸りをあげる。外の風はとても強かった。

 あと一週間もすれば、四年を共にしたこのオンボロアパートとおさらばをする。と、同時に、学び舎として通いつめた大学ともさよならするという意味も含まれている。あてがわれていた研究室は、もう人が居た形跡すら無い。あれほど積み重なっていた研究レポートやら資料やらが無くなって、その重みに耐えた机が見えた瞬間の喜びといったら。飢えた猛獣がやっと肉を与えられたような感覚だ。

 雛は、もともと掃除をするのは、嫌いじゃない。



「こんなノートあったかな」



 すごく色褪せた大学ノート。すごく、というのも、それ以外に修飾できる言葉がみつからない。強いていえば、すごく、年代物。表紙には特別なんにも書かれていなかったけれど、ひとつだけ読み取れたのは『ライオン』という文字だけだった。

 その前後になにか書いてあるわけでもなく、ただ、表紙の端っこに、たった一言。



「ライオン……」



 人生で出会った人の中で、そんなこと言う人はきっと、わかっている、心当たりは一人しかいない。



「きみくんか」



 ふぅ、とため息をついた。記憶をめぐるのは、桜の花びらと、青春と、彼が大好きな『青いライオン』。

 でも未だになぜ彼が青のライオンにこだわっているのかは、謎に満ちている。それに対して何かするわけでもなく、学会に申し出る訳でもなく。一度問うてみたことがあるけれど「それじゃあ、世間は僕の頭がおかしくなったと思うに決まってるじゃないか。だろう?」彼は悲劇のヒロイン振りに嘆いてみせた。

 きみくん。本名を、山村公隆。彼は雛の高校からの同級生で、大学生活も共にした親友である。



「呼んだかい」


「……相変わらず地獄耳」


「そりゃどうも」



 背後から聴こえてきた声に、雛はこっそりため息を吐く。キッチンの整理を頼んでいた公隆が、障子の向こうからひょっこりと、その整った顔をのぞかせた。彼は特別、耳の聴こえが良い。そりゃもう、驚くほどに。だから、彼が外にでも行かない限り、友達と秘密の話もできやしない。その秘密を強いて例えるならば、公隆が尊敬している講師の悪口、とか。



「ニャー」



 不意に窓の外で一つ、小さな生き物の鳴き声がした。雛は、カラ、と透明の窓をあけてやると、高貴な毛並みのロシアンブルーが、金色の瞳を覗かせていた。いつの間にか住みついた野良猫のアーサーだ。公隆の顔が一気にほころぶ。彼は動物が大好きなのだ。昨日はそのへんで暇そうに歩いている鳩に「おはよう諸君。今日も寒いね」と声をかけていたのを見かけた。駅前であれはやめたほうがいいと思うとひそかに思ったのは内緒のお話だ。


 アーサーはその細身の身体を窓からすり抜けさせる。雛はそれを見届けて、即座に窓を閉めた。意外と外は冷えている。



「やあ! アーサー! 来たのか、ん、どうした。外は寒かったろう」


「ニャァ」


「……君の言葉がわかればいいのに……」



 こいつはとても賢いから、きっとお昼ご飯をたかりに来たんだろう。公隆もそれをわかっていて、ふと顔を曇らせて「君と喋れたらなあ」と、そんなことを言うものだから、呆れの溜め息しか口からは出てこない。

 雛は目線を下に戻した。そういえば、と思い、そっと大学ノートを公隆に差しだす。これは雛の私物ではないし、ライオンといえば、さきほども言ったとおり公隆に関連するものだ。

 さっきまで鰹節を探していた綺麗な指先が、ちょんとそれに触れた。まるで壊れ物にでも触るみたいに。



「日記なの」


「いや、物語さ」


「相変わらず」


「「お堅い頭だこと」」



 肩をすくめた。これ以上は、どうにも口が勝てる問題でもない。



「いやぁ。懐かしいなぁ! おいでアーサー。君のご飯はどうやらこっちだ」



 彼はぱらぱらとそのノートを捲りながら、公隆はふらりと部屋を出ていく。後ろには実に忠実なハラペコの猫ちゃんを連れて。

 雛はそれを追っかけてリビングまで行くと、彼はいくつもあるダンボールの一つ、それも封をしてあったものを引っ張りだしてきた。パッとこちらを見た目が「手伝って」と訴える、それを頭の中で「はいはい」と返事をして、雛もダンボールの角を一緒に持ち上げた。



「これ、なに」


「ライオン」


「まぁ大変」


「ごめんごめん、ふざけてないよ。少なくとも、僕はね。いつだって真剣さ」


「そんなこと、前にも言ってて裏切られたけど」



 それはまだ、記憶に新しい。

 彼は数日前に、猫が欲しいと相談してきたのだ。それも真顔で。雛は『アーサーがいるじゃない』と言ったが、彼は違うんだ、猫が欲しいんだ、とのたまった。そして『真剣な話をしているんだよ』とも。その後、二人してペットショップに猫を見に行って、公隆が猫のコーナーをひとしきり見たあと、爽やかな笑顔で『帰ろっか』と言ったのだ。



『どういうこと?』


『そのまんまのことだよ』


『猫は?』


『よく考えてみたんだけど、アーサーが居るからね』



 雛は、事前に同じことを忠告したのに。と思いながら、はあ、と溜め息をついた。彼の気まぐれにはついていけない。そう思ったのは、つい最近の話である。

 公隆の真っ白な手先が、いつの間にか現れた袋の中の鰹節を掴んで、まるで花咲かじいさんのように、鰹節を宙に放り投げた。



 

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