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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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96、あるいは栄誉にさえ

 

「おお、来てくださったか! お疲れのところ申し訳ない」


「何のグスタブ殿比べれば、大したことはござらん」


「はは、この程度、何時ぞやの篭城に比べれば物の数にも入りませんわ!」


 グスタブは、いつかの軍議と同じように、謁見の間にて二人を待っていた。

 本人も三日続けて働き詰め、六十を数える老骨に些か以上の激務。だというのに、この老将にはむしろ力が漲っている。まるで若返ったかのような快活ささえ取り戻していた。


「……なんだか楽しそう」


「まあ、不謹慎ではありますが、これほどの差配を任されるなど人生で一度あるかないかですからなぁ。年甲斐もなく発奮しておりますれば」


 どこか責めるようなアンナに対してもあくまでグスタブは愉快そうにそう答える。彼自身、浮かれているという自覚はあった。そうでなければ疲労を忘れることが出来ないのか、あるいは、本当に心のそこから楽しんでいるのか、それは定かではないが、どちらにせよ、この状況は彼のような知恵者にとっては面目躍如の場所だった。

 城主たるアレンソナが床に臥せり、跡継ぎであるアレクセイがクリュメノスへの応対に掛かりきりである以上、アウトノイアの城の差配を行うのは家老にして城代であるグスタブ以外にはいない。今この時、城の実質的な城主はグスタブだったといっていいだろう。


「それで、我ら二人に御用事があるとか……」


「おお、そうでしたな。実はお二人が姫殿下の元を訪れている間に論功行賞がありまして、それについて少し確認せねばなならぬのですよ。よろしいかな?」


「……私達に関係あるの?」


 アンナの疑問は当然といえば当然のもの。彼らはあくまで客分の身、ヴァレルガナの家臣でもなければ、アルカイオス王国の民ですらない。本来ならば、褒賞の序列に加わることはありえないこと。傭兵達にはその働きに見合った金銀が支払われるが、客将にはそれすらない。慣習に従うならば、精々が城主からの感謝を受け取る程度のこと、それだけで済むはずだ。


「正確には従者殿、いや、弥三郎殿に関係があると申すべきでしょうな。むろん、弥三郎殿に関係があるという事は魔女殿にも無関係とはいえませぬがな」


「……そう」


 一瞬曇ったアンナの眼にグスタブや隣に立つ弥三郎が気付いたかは定かではない。だが、それでもその瞬間、彼女の内では確かに渦巻くものがあった。

 クリュメノスといい、ヴァレルガナといい、何故こうまで弥三郎に構おうとするのか。彼の主は自分で彼は自分に忠誠を誓っているというのに、どうしてこうも横合いから邪魔が入るのか。


「して、褒賞とは?」


「…………」


 その上、弥三郎がどこか乗り気に見えるのも、アンナの焦りを助長する。

 実際彼のような、人間にとって働きに応じた褒美というのは自らの価値にも帰結するもの。戦国乱世においては、自ら相応しい評価や褒美を求めて、主君を変えることですら珍しいことではない。

 といっても、そういった道理を弁えぬ道は弥三郎の武士道とは相反するもの。本来ならば一顧だにすべきものではない。

 しかしながら、自らに与えられる褒賞、自身に認められた価値を知ろうとするのは戦国の武士の習性サガのようなもの。弥三郎とて、その例外ではない。


「ああ、委細は承諾を取り付けた後でお願いいたす。金庫はほとんど空なので、たいした物はお渡しできませぬが……どちらかというと受けていただけるかが問題でしてな……」


「ふむ、巫女殿、如何致しましょうか?」


「……私には関係ない」


 神妙な面持ちで覗き込んでくる弥三郎に対して、アンナは酷く怪訝そうにそう返す。褒賞云々の話題になってからは彼女は自分には無関係なことだと思い込もうとしていた。そうでもなければ、暗い感情に身を任せてしまいそうだった。


「……弥三郎が決めて」


 激情は甘美な毒と同じ。一度身を任せてしまえば、何度でも全てを委ねてしまいそうになる。そうしてしまえば、どれほど楽か、分かっているが故に。


「某の主は巫女殿でござる。その巫女殿に断りなく、褒美を受け取ることは出来ませぬ。もし、巫女殿が受け取るなと申されるなら、きっぱりと辞退いたしませれば」


「……うん」


 弥三郎の言葉はアンナが何よりも望んでいたもの。

 自らの忠誠はあくまでアンナの元にあり、決してそれは揺るぐことはないと、再三に渡って、弥三郎は宣言している。実際その言葉を彼が違えたことは一度としてないし、それを疑ったことも一度としてない。この世界の何ものよりも、アンナは弥三郎を信じている。

 しかし、それでも、心は一向に晴れてはくれない。裡に溜まった澱みは膨れ上がっていくばかり。一日ごとに勢いを増し、濃くなり、より重くなっていく。

 一瞬でも気を抜けば、蛇は顔を出す。再び解き放てば、この世界のすべての意味を剥奪してでも、この思いを成就しようとするだろう。あの闇はまだ彼女の中で確かに息づいている。


「………わかった」


 申し出も断ることは容易い。東方辺領騎姫のときとは違い、選択肢はあくまでこちら側にある。ここで首を横に振ったとしても、ヴァレルガナは気を悪くすることはあれど、首を刎ねるなどと言い出すことはありえない。

 けれど、その選択にはまたも煩悶が待ち構えている。ここで断れば、弥三郎は失望するだろう。それをおくびに出すことなど絶対にありはしないが、それでもアンナには伝わってくる。結ばれた縁は、何もかもを明け透けにしてしまう。


「……私は」


 彼を失望させたくはない。一度として彼が理想の従者としての姿を崩したことのないように、自らもまた理想の主人として振る舞いたい。そうでなくては、彼は自らの元を去ってしまうのではないか、その恐れもまた彼女を蝕んでいる。

 またも板挟み。東方辺領騎姫も、ヴァレルガナも本質的には何も変わらない。人間は如何なる時も、彼女に選択を迫る。決して、選びたくはない、二択を。


「グスダブ殿、この話、また後日にしてはいただけませぬか? 某も、巫女殿も、急なことかゆえ、少々戸惑っておりますれば……」


「う、うむ、まぁ、今日でなくてはならぬ、ということもありませんからな……少々段取りを変えればなりませんが……」


 助け舟を出したのは、無論のこと、弥三郎。アンナの煩悶を表情から悟れぬ彼ではない。

 それか元々、呼び出される前には休息を取るつもりだったのだ。喫緊の課題でないのなら、ここで答えを出す必要はない。

 それに答えを出さねばならない難題は、これ一つではないのだ。殊更せかされては決めるものも決められない。


「……ううん、ここで決める」


「……巫女殿」


 それでも、また先延ばしにするわけにはいかない。その経験はなくとも、わかっていること、感じられることはある。一度遠ざけた重荷は重みを増すのだと、彼女は知っていた。

 ゆえに、どれだけ苦しくとも、ここで決めねばならない。


「……働きには相応しい報酬が必要。だから、受ける、褒章は貰っておく」


「巫女殿……」


「おお、それは重畳至極! こちらとしても受けていただかなければ些か困っておったところでしてな」


 アンナの返答にグスダブは喜色満面に頷く。

 ヴァレルガナにとっても、勲功第三等に辞退されては、折角纏まった論功行賞にまた問題が発生することになる。できることなら、無理にでも弥三郎とその主人に褒章を押し付けたかった。


「……して、褒章とは?」


「此度の戦においては、弥三郎殿は勲功第三等に序せられましてな。褒章は、騎士公への叙勲。他に何も差し上げららませぬが、どうかお許しあれ」


 騎士公への叙勲。それは名誉であり、褒美であり、しがらみでもある。価値はあっても、それだけではない。アルカイオス王国の一部として組み込まれる、その意味をまだ弥三郎もアンナも理解できていなかった。

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