95、あるいは褒美にこそ
ヴァレルガナ方の論功行賞は終始恙無く進行した。それもそのはず、今回の戦では切り取った土地は一里として存在していない、与えられるのは金銭と役職のみ。将にほとんど戦死者がいなかった以上、揉めようがなかった。
それでも平時に比べれば荒れなかった、と表現するほうが事実に近いだろう。手柄を巡った言い争いこそなかったものの、別の問題がこの論功行賞には存在していた。
先の戦と東方辺領騎姫の入場でヴァレルガナの金蔵は空も同然。王都に援助を要請してこそいるが、援軍すらも間に合わなかった以上、期待しようにも期待できない。
ようは、奮闘著しい諸将に対して報いられるものがほとんどなかった。後世の記録には、誰かが怒声を上げたというものは一切ないが、それでも、会場となった謁見の間についてのみ、『まるで負け戦のようだった』と記述されていた。
無理もないだろう。あれだけの激戦を戦い抜いておきながら与えられるのが名誉だけとなれば、他の家中であれば後に禍根を残すことにすらなりかねない暴挙。謹んで口を紡ぎ、決して不満を口にしなかったヴァレルガナの騎士たちは褒められてしかるべきだ。
結果として、ヴァレルガナとしては難儀なことに、戦に参加した将の全員が勲功に叙せられた。あの戦はすべての将が団結したからこそ、戦い抜くことが出来た。そうでなければ、今頃城は落ち、街は焼かれ、城方の首が道端に晒されていただろう。
故に、少ないながらも全員の功が賞されることとなった。異論は当然差し挟まれたものの、若きアレクセイが頑として全員への褒賞を主張したのだ。
それでも、その中には当然序列が存在している。幾ら誰一人として欠けてはならなかったとしても、その功績には歴然とした差があるのだ。
勲功第一等は、ラケダイモニアの守り手大将こと、 フェルナー・フォン・ロエスレラ騎士卿。そもこの戦はフェルナーの奮戦がなければ成立しなかった。彼の命懸けの奮戦によりラケダイモニアの砦は三日のときを作り出し、彼が砦に火をつけなければタイタニアの侵攻を止めることは適わなかった、東方辺領騎士団による乱入さえもありえなかっただろう。
戦そのものにおける勲功でこそないが、この一連の戦で彼の果たした役割は他の誰よりも大きかった。勲功第一等は当然のことといえる。
褒美としては、些細ではあるが、五十枚の金貨と男爵位への叙勲が約束され、無論のことラケダイモニアの返還もお墨付きを得た。タイタニアの手から取り返した後、という前提があるとはいえ、忠義に厚いフェルナーにとってはそれで充分だった。
それに次ぐ勲功第二等には、グスタブ・フォン・ユーティライネン並びにヴァンホルト・フォン・ユーティライネン卿が序せられた。叔父と甥揃っての叙勲、ヴァレルガナ家の懐刀の名に恥じぬ名誉であった。
それぞれ、軍議における献策とラケダイモニア救出戦における活躍を評価されてのこと。しかし、それ以上に、彼ら二人の存在がヴァレルガナの騎士たちの中心であったことが戦においては重要だった。
意外というべきか、当然というべきか、彼ら二人は褒美を受け取る事を辞退した。名誉のみで十分という彼らの忠誠心でもあるが、それ以上に家老筆頭として他の誰よりもヴァレルガナ家の懐事情に精通していたがゆえ、というのが大きい。辞退はヴァレルガナ家のため、ひいては自分達のためだった。
しかし、彼らが辞退すればほかの騎士たちに示しが付かないというのもまた事実。今はヴァレルガナ家の懐事情を助けることにはなるだろうが、禍根の芽を残すことはそれ以上にヴァレルガナに利することにはならない。
結果として、最低限の、上げた功にはあまりにも分不相応な、僅かばかりの褒美を彼らは受け取った。金貨二十枚、それが彼らの受け取ったものだった。
続いて、勲功三等に序せられたのは、ただ一人。ヴァレルガナの家臣ではなく、アルカイオスの民でもない、そんな人物が序せられた。だというのに、異論を差し挟むものは誰一人としていなかったのは、極めて驚くべきことだった。
序せられた将の名は、下方弥三郎忠弘、のちのアルカイオスの雷光こそがそれに相応しいとされたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……少々疲れましたな」
「…………うん」
気だるげに体を伸ばすと、弥三郎はアンナにそう声を掛けた。常在戦場を心がける弥三郎にとってもこの謁見は疲れるものだった。
窓の外では、既に日が昇っている。決死の覚悟で城を取り出してよりこの方、まともに休息を取れていない。弥三郎にしても、アンナにしても心身ともに疲れきっていた。
「部屋に戻り休みましょうぞ。思索を巡らすにしてもきちんと休まねば埒が明きませぬ」
「…………うん」
あれほど騒がしかったアウトノイアの城も今では静まり返る。城全体が眠りについている、それも当然か、連日連夜の戦に続いてのこの騒動、誰にも彼にも休息が必要だった。
森の魔女アンナとて、その例外ではない。昨夜の決断は未だ重く彼女の心に圧し掛かっている。
「……ねぇ、弥三郎」
「いかがなされました、アンナ殿」
「……いや、なんでもない」
舌先まで出掛かった言葉を咄嗟に飲み込む。己の中に渦巻くもの、それを素直に口にするには、アンナは子供ではなく、大人にもなりきれていなかった。
東方辺領騎姫の提案に頷いた事を彼女は後悔している。あの場ではそうするしかなかったことは重々承知している、そうしなければ今頃晒し者になっていたことも。
けれでも、割り切れるものではない。ほかのことならば未だしも、弥三郎のことになれば殊更そうだ。
「……アンナ殿、今は休みましょうぞ」
「……うん」
弥三郎の気遣いも今のアンナにとっては針の筵。突き刺さる痛みはそのまま良心の痛みだ、これほどに忠義の厚い従者を一瞬でも疑ったという事実が彼女の胸を静かに締め付けていた。
彼女は恐れているのだ、弥三郎を失うことを、あるいは、誰かに彼を奪われてしまうという事を。
森の掟において執着は忌むべきものとされている、移り行く森において、何かに執着することは死を招くからだ。その中でも、情念による執着は森の魔女にとっては最大の禁忌といっていい。
自覚していないにしろ、アンナはその禁忌を犯していた。まるで人間のように。
「あの、その、弥三郎――」
思い悩むだけでは何も解決しないことを彼女は理解し始めている。
森を出てからのすべての経験が、アンナを魔女から人へと変えてきた。悪しきにせよ、良きにせよ、彼女は人としての成長を重ねている。
魔女では対処できぬことも、人のみならば如何様にでも処する事ができる。それでももしどうにもならないことがあれば人は他者に頼るもの。今のアンナにはそれができる。
幸いにも彼女には頼るべき従者がいる、悩みを打ち明け、答えを求めることが出来る相手がいるというのはそれだけで他に変えがたい幸福だった。
「――おお、お二方とも、ここに居られたか!」
「これはフェルナー殿、如何なされた? 怪我の具合はもうよろしいのか?」
だが、常にそれが都合よく適うとは限らないのが人の世の常というものだ。それを理解しきるには彼女は世に慣れてはいない。
二人の姿を見つけ、駆け寄ってきたのはフェルナーだった。どうやら城中を走り回っていたらしく、息が切れている。儀礼用の甲冑は病み上がりのみには少々堪えたようだった。
「なんのなんの、これしきのことなんの障りもありませんよ。それよりも、グスタブ様がお二人をお呼びです、ご同行願いたい」
東方辺領騎姫からの呼び出しに続いて、城の家老筆頭たるグスタブよりの呼び出し。森の魔女の主従には未だ休息は訪れなかった。




