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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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92、あるいは友誼

 決着を耳にするその前、彼の瞳を覗きこんだその時から彼女は走り出していた。ユスティーツァとアンナの制止など当然耳に入っていない。頭の中では幾度も同じ光景が繰り返し、抗いようのない衝動が両の足を突き動かす。骨の砕ける乾いた音が耳から離れない、彼の死という可能性が心を満たしていく。

 勝利を信じている、それは未だに変わらない。だが、その勝利の先に未来は存在していないかもしれない。勝利のためならば、己が命さえも顧みない。それが彼の在り方、戦国の世に生きる武士と呼ばれるものたちの共通した生き方だ。

 だからこそ、恐ろしい。きっと彼は負けはしない、あの無敵とも思える巨人でさえ下方弥三郎は打ち倒して見せるだろう。己が命を引き換えにしてでもきっと勝利を掴み取るはずだ。否、例え命尽きたとしても勝利を掴み取るのが、下方弥三郎だ。

 それは偏に、主がため、アンナただ一人のためだ。自身のためならば弥三郎が喜んで命を投げ出すであろう事を彼女は良く理解している。この試合に掛かっているのは、ただの名誉だけではない。このヴァレルガナの、彼自身の、そしてアンナの命でさえも掛かっているのだ。彼にとってこの御前試合は戦場、であるならば命を投げ捨てることですら策の範疇となりうる。そう彼は勝つだろう、己が命を犠牲にしてでも。

 だが、それは彼女にとって、森の魔女アンナにとっては到底容認できるようなことではない。こうして走り出したとしても何ができるわけでもない。ただそれでも走り出さずにはいられなかった。ここで駆けつけなければ、自分が自分でなくなってしまう、その予感があったからこそこうして走り出したのだ。


「――ヤサブロウ!!」


 十数秒も経たぬうちに、彼女は試合場へと辿り着く。先ほどまでは歓声に満ちていたその場所は静けさに包まれている。悪寒が背筋を這う、もう決着がついのか、そんな予感が心を蝕んでいく。勝敗の如何に関わらず、彼女にとって優先すべきことはただ一つ。弥三郎が無事か否か、ただそれだけだ。


「どいて!! どいて!!」


 周囲を埋め尽くす人混みを掻き分けて、その場所を目指す。最前列まで行けば試合場を目にできる。そこまで辿り着くことを望みながらも、恐ろしさが足を竦ませる。もし彼が死していたならば、取り返しようのない傷を負っていたならば、そんな考えが脳裏で繰り返す。

 それでも進む。どれだけ恐れていても、ここで逃げ出すことは許されない。もし、万が一があれば、いや、そうだからこそ彼女は行けねばならない。彼の最後を見届けるために、あるいは全ての報復のために。


「――っ!!」


 頭上で響く声と周囲から上がる割れんばかりの歓声を無視して彼女は人混みの中を押し進む。どうやら決着が着いたというのは間違いがないらしい。

 ゆっくりとしか進めない一歩がどうしようもなくもどかしく、逸る気持ちに内側から焼かれる。恐怖と不安がない混ぜになり、熱となって心を蝕んでいく。

 この先に辿り着けないのならそれだけで胸が張り裂けてしまいそう。ここにいることにさえ耐えられなくなるような重さが足に圧し掛かる。

 ただそれでも進まなければならない。ここに留まっていても永遠に答えは出ないのだから。

 そうしてほんの数秒とも永遠ともつかない葛藤の後、ようやくその場所へと辿り着く。前方に立ち塞がっていた背中カベが消えて、試合場が視界に入った。


「――え?」


 ほんの一瞬思考が止る。目の前の光景を理解するのに数秒の時間を要した。両者共に健在、どちらか一方は必ず命を落すという確信があった彼女にとって、この結末は全くの予想外。驚天動地といってもいい有様だった。

 そう健在だ。弥三郎も対手も未だに生きていはいる。だが、全くの無事というわけではない。軌跡のような決着には当然ながら大きな犠牲が伴っている。


「――ヤサブロウ!!」

 

 悲鳴のように名を叫ぶ。それも当然、己が従者の、いや、愛するものの傷ついた姿を見て平静を保てる人間などいない。ましてや、膝を突き、血を流す姿を目にしてはなおのことだ。

 返事を待たず、試合場へと駆け出す。周囲の制止も、魔女としての外聞も無視してただ真っ直ぐに駆け抜けた。傷ついた彼の元へと、息を切らして近寄る。どうしようもない衝動とたがの外れた感情だけが彼女を突き動かしている。思考や理性が介在するような余地はどこにもない、森の魔女としてはあるまじきまったくの感情からの行動だった。


「――アンナ殿!?」


「ヤサブロウ!!」


 困惑した表情を浮かべる弥三郎に飛び掛るように抱きつく。瞬間、周囲がこれまでとは違った要因でざわめくが、そんな事を気にするどころか、気付いている様子すらない。今の彼女の目に映っているのは、ただ弥三郎だけ。他の何もかもが思考から消え失せている。


「脱いで! 腕、直ぐに直すから!」


「は、はい? しょ、少々お待ちくだされ、まだ試合が……」


「早く!!」


 珍しくたじろぐ弥三郎に対して、アンナは強気そのもの。今の彼女にとって重要なのは、弥三郎の傷を癒すただそれだけ。試合のことなど頭から吹き飛んでいた。


「ご、ご心配めさるな、この程度かすり傷のうちでござる」


 それでも当の本人は顔色一つ変わらず振舞っている。なんのこれしきと笑みを浮かべる余裕すらも見せるほど。痛みをこらえる様子すらも見せはしない。武士は食わねど高楊枝、というがここまでくれば一種の狂気と言ってもいいだろう。少なくとも騒めきながら状況を見守る観客たちには弥三郎の傷は大したことのないようにも思えた。

 しかし、事実として弥三郎はかなり重傷だ。最後に金棒を受けた左腕は見事に拉ており、叩きつけられた脇腹は骨が砕け血が滲んでいる。命に障りこそないが、常人ならばとっくに気を失っているだろう。


「いいから! 早く!!」


「は、はあ、では、アステリオ殿、これにて」


「……いや、控えの間まで共に行こう」


「それは……」


 弥三郎の傷の具合を見抜いているのはアンナだけではない。実際に打ち合い、傷を負わせたのだ、アステリオ自身が一番弥三郎の状態を把握している。だからこそ、それでもなおあれほど武の冴えを見せた弥三郎をある種尊敬してさえもいた。

 これまでにない強敵、それに手を差し伸べるのはアステリオ・イーグバウにとっては至極当然の事だったのだ。


「……かたじけない」


 そして、その手を掴み、弥三郎はゆっくりと、だが、確りと立ち上がる。

 友誼を感じているのは弥三郎とて同じ。傷を負わされ、命の取り合いまで演じた両者の間には奇妙な友情が成立していた。


「――オオオオオオオオオ!!」


 その瞬間、割れんばかりの歓声が再び沸き起こる。あれだけの死闘を演じた両者がこうして手を取り合い、立ち上がる。寝物語の一幕のような光景に観衆の興奮は最高潮に達していた。ともすれば、このまま試合上になだれ込み、両者を讃えて胴上げでも始めかねない熱狂ぶり。少なくともこの瞬間において、弥三郎とアステリオは彼らにとって最高の英雄だった。


「……………なにこれ」


 そんな中、拗ねたようにようにそう呟いたのは森の魔女アンナだった。彼女にしてみれば二人の友誼からも、この熱狂からも理解しがたいもの。一人蚊帳の外に置かれたような感覚に思わず怒りさえも覚える。

 この巨人は弥三郎の傷つけた敵だ、それ以下にはなりえてもそれ以上にはなりえない。このアウトノイアの人々にとってもそれは同じはず。敵を讃える道理などない。ましてや、弥三郎が明確に友情を感じるなどありえない。

 そういった感情を向けられるべきはむしろこうして駆け寄って、傷を治そうとした自分だけだ。弥三郎が感激し、感情を向けるのは自分だけでどこの馬の骨ともしれぬ巨人と友誼を結ぶ許可など与えた覚えはないし、ましてや主人を無視するなど論外だ。

 けれども、それを口にするような了見はアンナにはない。それはある意味では美徳ではあるが、ある種哀れではあった。こと他者に感情を示すことを不得手とする彼女にとって、ましてや誰かに甘えることなど些か難事に過ぎたのだ。

 結果として唯一彼女にできた意思表示は童のように仏頂面で口を紡ぐことだけだった。


「――かたじけのうございました、アンナ殿」


「――う、うん!」


 その声が鼓膜を打ったのはその瞬間だ。他の誰に向けてのものでもなく、肩に静かに添えられた手から伝わる彼女にだけ聞こえる声。それが告げたのは彼女が望んでいた詞だった。

 瞬間、ただそれだで心臓が跳ね上がり、体が羽になったような気分が全身に満ちる。この上ない幸福、そう呼んで然るべきものが彼女の全身に充ち溢れる。先程まで感じていた怒りなど彼岸の彼方に追いやられている。未だに快哉を上げる観衆たちも、すぐ側に立つ巨人も関係ない。重要なのは、弥三郎ただ一人。彼が味方としてあり、愛してくれるのなら他の何もかもが色褪せる。結局のところ、森の魔女の関心事はただそれだけだった。


「………如何なされた? どこか障でも……」


「……なんでもない。それに傷ならあなたの方が酷い、すぐに治療しないと」


 恥ずかし混じりにそう言葉を返して彼の側へと寄り添う。いつもの定位置、その場所に立つことで落ち着きと確かな安心を取り戻す。少なくとも確かな幸せがここにはあり、これ以上望みなどありはしない。この場所が彼女にとっての夢だった。

 それに冷静に考えれば心配されるべきなのは自身ではなく彼だ。そんなことを忘れていたなんて、今更ながら自分自身に腹が立つくらいだった。


「――どうなることやら」


 アステリオの手を借り、森の魔女とともに熱気を背にする。呟いたその言葉、かき消され、どこへも行き着くことはない。

 勝利でもなければ敗北でもない、引き分け。全ては未だに闇の中、その結果が一体何をもたらすか今はまだ誰一人として知りはしなかった。

 巨神暦千五百九十年、八の月の二日目、後々にまで語り継がれることとなる御前試合はそうして幕を閉じたのだった。


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